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![]() 門司港(旧門司)駅舎 |
今回も行き先の決まらないまま、大阪からフェリーに乗って出発です。 船内で地図を見たり、天気予報を見て考えた結果、 未踏の地である山陰を目指すことにしました。 翌朝、新門司港へ上陸。まずは門司港駅へ寄ってみることにしました。 この界隈は最近「門司港レトロ」というキャッチフレーズで売り出し中なんですよ。 駅舎の中もレトロ感いっぱいでいいんですが、貴賓室なんかの設備がいい感じなんですよ。 時間がなくってあまりいられませんでしたが、いいところです。 機会があればバイクを降りて歩いてみるのもいいかもしれません。 |
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![]() 関門海峡 |
駅から関門海峡まではすぐです。 下関との連絡船乗り場がありました。 |
![]() 下関へ向かう連絡船 |
![]() 秋吉台 |
門司港で時間を食いすぎたので、関門トンネルで山口県へと急ぎます。 んがっ!! トンネルに入って1分で後悔しました〜 ものすごい排気ガスです。 窒息するかと思いました・・・ トンネルを抜けた時は幸せいっぱいでした (^^; 下関から高速を利用し、美弥I.Cで降りて一般道へ。 カルスト地形で有名な秋吉台を目指します。 結構人が多かったんですが、秋芳洞にも入ってみました。 暗くて写真は全滅でした(トホホ) でもとてもきれいでしたよ〜 地上に出て秋吉台を目指します。 緑の草原のそこかしこに岩がにょっきり出ています。 青い空と相まって、とてもきれいな景色でした。 |
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![]() 萩城跡 写真左奥が天守台で、 かつては五重の天守がそびえていました。 |
次に毛利家39万石の城下町、萩にやってきました。 とりあえずポプラというコンビニでお弁当をゲットして昼食にします。 このコンビニ、買ったお弁当にご飯をあとから詰めてくれるんですよ〜 おかげでおいしくいただきました。(^^) まずは萩城に向かいます。この萩城は建物は一つも残っていません。 萩城は、関ヶ原合戦で敗れた毛利輝元が防長39万石に減転封になった際、 居城として築いたものです。 川に挟まれた三角州に築かれた平城ですが、後背に指月山があり、その山頂にも詰の丸として本丸と二の丸を持つ珍しいお城です。 徳川氏に敗れた毛利氏が、戦時も構想に入れた城として築かれました。 以後、明治維新直前まで毛利氏の居城となりました。 幕末の1863年、萩城では海上からの砲撃に弱いということで、藩庁が山口に移転になります。 以後は山口が県庁所在地となったため、萩は城下町の雰囲気を今に伝える街になりました。 |
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![]() 萩城 |
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![]() 萩城横の浜 |
萩といえば、幕末の志士たちの出身地(伊藤博文、高杉晋作他)でもあります。 あと「萩焼」という焼き物も有名ですねえ。 私も茶碗を一つ買ってみました。 お城のすぐ横は浜になっていて、とっても美しい海が印象的でした。 今宵の宿は、次のYHが遠かったこともあり、萩YHに泊まることにしました。 このYH、部屋はふつうなんですが、ご飯が合宿飯(わかります?)だった(それはまあいい)のと、お風呂がふつうの家庭風呂だったのが辛かったです(宿泊者が多かったので特にね〜) |
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![]() 国道9号 |
翌朝は昨日とうってかわって曇天です。雨におびえながら出発します。 国道9号線をのんびりのんびり北上します。 |
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![]() 波子浜 |
途中、広々とした浜に通りかかりました。波子浜です。 この日は気温も低いし、曇ってるし、あんまりいい印象なかったです・・・ 3年後に、ここできれいな夕日をみるんですが、この時は寒々としていました。 |
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![]() 鳴き砂の浜 |
さらに先に進むと、「鳴き砂の浜」という標識があったので、寄ってみることにしました。(浜の名前は忘れた〜) バイクを止めて、浜に降りていきます。 「きゅっ、きゅっ」 確かに砂が鳴いてます。すっかりうれしくなって、浜をいったりきったりしていました。 |
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![]() 砂がとってもきれいです |
あんまりきれいな浜なので、砂浜に寝ころんでみました。 本当に砂がきれいです。ふかふかの布団に寝ているようでした〜 |
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![]() 出雲大社 |
昼過ぎに出雲大社に到着。まずは途中で話したおじさんに教えてもらっていた 「出雲そば」 のお店で昼食です。おいしかったですよ〜 で、お店から歩いて出雲大社を目指します。 |
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![]() 出雲大社 |
出雲大社は立派なお社でした。 この神社はちょっと変わっていて、しめ縄がほかの神社の逆なんです。 |
![]() 出雲大社 |
![]() 出雲大社 |
井沢元彦さんなんかが、「この神社はオオクニヌシを封じ込めているのだ」とか考察されてましたが、意外とそうかもしれません。 |
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![]() 宍道湖 |
出雲大社を見た後は、宍道湖畔を松江に向かいます。 |
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![]() 松江城 |
松江に到着です。まずはお城を目指します。 関ヶ原の合戦後、出雲24万石を与えられた堀尾吉晴は、当初月山富田城に入ります。 しかし月山富田城では城下町の建設が難しいことから、松江城の築城に着手。 1611年に完成させています。 堀尾氏は孫の忠晴に跡継ぎなく断絶。ついで京極忠高が入りますが、これまた跡継ぎなく断絶。 その後に結城秀康の三男である松平直政が入り、以後松平氏で幕末を迎えています。 直政は「油口」と陰口をたたかれるくらい口達者たったそうですよ。 松江城は、最近二の丸の櫓が再建されたりと、整備が進んでいます。 |
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![]() 迎賓館 |
城の中には迎賓館が移築されていました。 明治天皇の行幸を請願していたときに、宿泊用としてたてられたそうです。 |
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![]() 松江城天守 |
続いて本丸にやってきました。立派な天守がそびえています。 山陰地方で唯一現存している天守です。 さっそく上ってみることにしました。 |
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![]() 松江市街 |
天守の最上階からは、松江市街を見渡すことが出来ました。いい眺めです。 | |
![]() 松江城 |
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![]() 大山 |
どこで泊まろうか考えていたのですが、大山にYHがあったのでそこに泊まることにしました。 ふもとのこじゃれたレストランで早い晩飯にしたあと、山道を登っていきます。 山の中腹にスキー宿がいくつか建っている場所があって、その中にYHはありました。 が、YHには電気がついていません・・・おかしいなあ・・・予約の電話をした時は出たのになあ・・・とYH前をうろうろしていると、おじさんが歩いてきました。 どうやら関係者のようです。 ようやく落ち着くことが出来ました・・・が、話はここで終わらなかったのです(笑) |
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![]() 蒜山高原 |
素人が見ても、このYHはスキーシーズンメインであることはわかりました。 だって館内埃だらけなんだもん(笑) で、畳の部屋に通されたんで、布団を押入から出したんですが、シーツがいつ洗ったのかわからんぐらいに汚れてるし、髪の毛もたくさんついてたので使うのやめちゃいました(泣) で、お風呂が沸いたというので入ってみると、湯船の中は髪の毛やらなんやら浮いてる有様。シャワーで体を洗うのが精一杯でした・・・ 「きびし〜い」 この日の宿泊は私一人。 心細い気持ちのまま、持参していた銀マットに服のまま横になりました・・・ 翌朝、逃げるように出発したのはいうまでもありません・・・(^^; |
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![]() 旭川(勝山市) |
さて、大山の中腹をぐるっと岡山側に走り、蒜山高原までやってきました。 牧場があって、北海道のような風景でした〜 そのまま一般道を勝山まで下ります。 昔は旭川をさかのぼってきた高瀬舟が、ここまでやってきていたそうです。 すごいですよねえ。 ここも一応城下町でして、三浦家2万3千石の居城がありました。 ここからは三桁国道を南下して総社経由で岡山市内まで行きました。 ナッシュカレーでお昼ご飯にした後、宇野港を目指します。 |
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![]() 宇野港 |
宇野港からは宇高国道フェリーで高松を目指します。 | |
![]() 高松港 |
高松港が見えてきました。高松に上陸した後は、国道11号線で徳島まで帰って行きました。 ちょっと(いやかなり)宿に恵まれなかった、?な旅はこれでおしまいです(笑) |
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れんと in 山陰 完 | ||
2006.2.5作成 | ||
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