再び三の丸
 さあ〜金沢城に戻ってきました〜
 普通の観光客なら兼六園がメインで金沢城はおまけなんでしょうけど、私は普通ではありません(笑)
たっぷり金沢城を堪能しよう気合い十分です。
 石川門を再びくぐって三の丸に戻ってきました。
 何回みても五十間櫓は圧巻です。オススメです。金沢へきたら是非見てって〜(力説)

菱櫓と五十間長屋
 お堀のそばまでやって来ました。
 う〜む、見上げると一段と迫力がありますねえ・・・
 この菱櫓と五十間長屋、橋爪門続櫓は、平成十三年に木造で復元されました。総工費はなんと三十六億円!!!
 お金持ちなのね、石川県・・・

橋爪門と橋爪門続櫓
 堀に沿って歩いていくと、橋爪門までやって来ました。この門の脇にはには橋爪門続櫓がそびえていて、防御を固めています。
 金沢城は、東側の堀や櫓などが特に立派だったらしいのですが、これには訳がありまして、金沢城の立地と関係があります。
 金沢城は小立野台地の端に作られていました。城から見て東側が台地続きとなるため、この方面からの攻撃が弱点とされていたのです。
 この弱点をカバーするため、百間堀という巨大な堀で城地を台地から切り離し、さらに巨大な石垣や長屋で守りを固めていたのです。

本丸付壇へのルート
 橋爪門をくぐると、道が二手に分かれています。
 私は二の丸へと向かいます。

付壇と二の丸の間にある空堀

五十間長屋・菱櫓
(二の丸側)
 さあ二の丸にやって来ました。
 ここ二の丸には巨大な御殿が建てられて、藩主の住居と藩政の中心地となりました。今は広場になっています。
 さて長屋と櫓を見学に向かいます。

菱櫓の石落
 入場料300円を受付で払って、内部に入ります。
 菱櫓は名前の通り、菱形に建てられています。
 中の柱まで菱形です。大変珍しいですが、菱形の櫓なら和歌山城にもあるんですよ〜
(鉄筋コンクリートですが)

菱櫓からの眺め

全盛期の金沢城の模型
 長屋内には、全盛期の頃の金沢城の模型が展示されていました。
 金沢城は2回火事で焼けていて、そのたびに建物の数が減っていってます。財政事情が厳しかったからのようです・・・

五十間長屋の内部
 長屋の内部は倉庫に使われていたそうなので、だだっ広い空間になってます。それにしても大きい・・・

橋爪門続櫓から石川門を見る
 時間が早くて人が少なかったので、ゆっくり見学できました。

組み木の仕組み
 この建物の復元に当たっては、昔からの技術が用いられました。
 木をつなぎ合わせる仕組みが、見本で展示されていました。すごいですよねえ〜パズルのようです。

海鼠壁の構造
 壁の構造や、屋根の構造も展示されていました。
 私はしげしげと見入っていました。
 一般のお客さんは、ほぼ素通り状態でしたけど(笑)

屋根の構造
(なんと鉛葺きです)

極楽橋
 櫓と長屋を堪能したので、本丸に向かうことにします。尾山御坊の名残と言われる極楽橋を渡って、本丸付壇に入ります。

三十間長屋
 ここには30間長屋(国の重要文化財。1858年建)があります。金沢城で江戸時代から残っている建物は、ここと石川門だけになります。
 裏側(城内側)はすっきりしていますが、表側(城外側)には石落としが備えられています。この石落としのデザインも金沢城のは独特です。

三十間長屋
(城外側)
 この三十間長屋の石垣はかなり特徴的でして、ふちはきちんと削られているのに、真ん中をわざと荒く仕上げています。
 さすがは大藩のお城だけあって、細かいところまで手が込んでます。 

三十間長屋の石垣

本丸鉄門跡
 さてここから本丸に入ります。
 かつては鉄門があったのですが、今は石垣だけが残っています。
 ここの石垣は「切り込みハギ」という技法で積まれていて、石の合わせ目がぴったりと合わさっています

鉄門の石垣

巽櫓からの眺め
(二十一世紀美術館が見えます)
 本丸跡は、金沢大学の植物園に利用されていたためか、ジャングルのような森になっています。
 江戸時代半ばには城の中心が二の丸に移ったこともあって、遺構はほとんどありません。

乾櫓跡からの眺め

本丸石垣
 この本丸付近の石垣が城内でも古い石垣でして、「野良積み」といわれる整形されていない石を積み上げたものになってます。
本丸石垣
(丑寅櫓台)

鶴の丸から三の丸へ
 本丸から下ると鶴の丸に入ります。
 鶴の丸をさらに下ると三の丸に戻って来ました。

うーん、きれいですねえ・・・

このアングルもいいなあ・・・
 何回見ても飽きない美しさです・・・うっとりしちゃいます(笑)
菱櫓

河北門跡
(三の丸大手門)
 さて、三の丸の大手門だった河北門を下ると、新丸と呼ばれた郭にでます。
 広場になっている新丸を横切ると、金沢城の表門、大手門にでます。
 裏門の石川門が兼六園のせいで賑やかなのに対し、大手門の方はひっそりとしていました。

大手門跡

亀石
(火よけのまじないだそうで・・・)
 大手門近くは、利家の娘で秀吉の養女となり、宇喜多秀家に嫁いだ豪姫が余生を送った屋敷があったそうです。
数寄屋丸の石垣

玉泉院丸の石垣
 黒門跡から城内に戻り、土橋門跡、切手門を抜けて数寄屋丸を通ります。数寄屋丸はかつて藩主の側室たちが住んだところだそうです。今は旧陸軍の第六旅団司令部だった建物があります。
 ここから木道を歩くと、かつて玉泉院丸の借景として使われた石垣を見学できます。縦長の石材が使われたりと、なかなか手の込んだ石垣になっています。

百万石通り
 木道からいもり堀方面に下ってくると体育館などが建っています。そこから旧県庁の前を通り、百万石通りを横切ると「21世紀美術館」があります。

21世紀美術館
 このとき美術館では奈良美智さんの展示が行われていまして、お友達のたお吉さんのすすめもあって、見に行ってきました。
美術館入り口

すがきや(笑)
 ・・・芸術の秋より食欲の秋ですかね(笑)
 11:00過ぎ、金沢城を出発して百万石通り、香林坊(金沢の繁華街?)を抜けて国道8号線に出て、帰路につきます。
 途中、白山市のジャスコに寄ります。なんでかって?東海地方には、とあるお店があるんですよ・・・
 その名は「すがきや」
 魚ベースの甘いスープが特徴のラーメン屋さんで、愛知県ではショッピングセンターのフードコートには必ずといっていいくらい入ってるんですよ。
 愛知・岐阜で食べ損なったので、今度こそ!というわけで・・・(笑)
 お、あった、あった〜

特製ラーメン(390円)と
豚塩カルビ丼(290円)
 昔は私の地元にもあって、よく食べに行ったのですが、お店がなくなってからは、すっかりご無沙汰していました。
 久しぶりに食べたすがきやのラーメン。記憶よりちょっと薄かったけど、おいしかったです。
 実に食べにくいスプーンフォーク?も健在でした(爆)

このスプーンが実に・・・(^^;

丸岡城天守
 さあて〜のんびり帰り始めました。国道8号線をゆっくりと南下していきます・・・
 途中、「丸岡城→」の標識を発見!金沢城を堪能した後にもかかわらず、寄っていくことにしました(笑)
 丸岡城は、かつて大きな堀に囲まれていたのですが、すべて埋め立てられて、住宅街の中にある小さな丘の上に、ぽつんと天守だけが建っています。
 なんか福井地震の時に一度倒壊したらしいのですが、古材80%使って再建したらしいです。でも一応現存する天守では最古って事らしいです。
(国重要文化財)

珍しい石瓦
 丸岡城天守は、天守建築の中でも「望楼型」と呼ばれる古風なものです。「望楼型」天守としては、他に犬山城天守や高知城天守があります。
 さて、丸岡城天守で気に入ったのは、石を削った「石瓦」が使われていること。この石瓦のおかげで、独特の雰囲気があります。

マロンソフト
 もともと柴田勝家の甥で養子の柴田勝豊が築いたお城で、柴田勝家が羽柴秀吉に敗れると丹羽長秀の持ち城となり、さらに関ヶ原の合戦の後、金沢の前田家への押さえとして福井に徳川家康の次男、結城(松平)秀康が62万石で入ると、その持ち城になりました。
 秀康の子、忠直が福井藩主になると、幼少であるとの理由で、有名な本多作左右衛門重次の息子、成重が付家老として丸岡城に入ります。
 忠直はその後、乱行で越後高田に移されましたが、本多家は丸岡藩主として6万石で残りました。
 ところが、本多家も丸岡騒動というお家騒動を起こしてしまい、改易(領地没収)
 その後、キリシタン大名で有名だった有馬晴信の子孫が5万石で城主となり、明治維新まで続きましたとさ。

 ・・・お城の売店で「マロンソフト」を購入。秋ですねえ・・・(^^;

片町通りにある錦梅堂
 あ〜おみやげを忘れてましたよ〜アセアセ
 というわけで?、福井市片町通りにある、「錦梅堂」さんで、「羽二重餅」を購入しました。
 羽二重餅の元祖のお店らしいですよ〜
 お餅だけのと白あん入りがありますが、断然「お餅のみ」オススメです!!

ご存じ!羽二重餅
 さて〜いよいよまじめに帰らないと、時間がまずくなってきました(笑)
ピッチを上げて国道8号線を南下します。
 途中、敦賀市の1.4キロ手前で、バイクのトリップメーターが40,000キロを指しました。ついに赤道1周したことになります。我ながらたいしたもんです。(笑)
 さて、敦賀市からは高速を使おうか・・・とも思ったのですが、知人のブログに「国道161号線が快適だった」と書いてあったのを思い出し、あえて国道161号線を行きます。
 さすがは知人。えらく気持ちのいい道じゃないですか〜鼻歌交じりに快調に飛ばします。
・・・が、「道の駅あどがわ」から渋滞し始めました。「まじいな〜」と思っている間に、本格的に渋滞が〜シクシク
 161号線バイパス(旧湖西道路)に入っても、渋滞はなくなるどころかますますひどくなるばかり。かなり憂鬱になりましたよ〜(^^;
 へろへろになりながら、ようやく国道1号線に合流しました。もうめんどくさかったので、京都東ICから高速道路に乗っちゃいました〜あとは快適でしたよ〜(^^)V
 「北陸の秋」ツーリングはこれにて終幕でございます。
北陸の秋 完
2006.11.5作成
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