入場券
 さて、この週末は特に予定を入れていなかったのですが、
窓から外を見ると、とても良い天気ではありませんか!
 というわけで急遽出発!例によって遅いスタートとなりました。(10:00発)
 今回の目的地は兵庫県。
 何度もチャンスがありながら、ずっと見逃していた「赤穂城」を見に行きます。
 時計が13:00を過ぎて、お腹が空いてきました。
なんかこの辺で名物がなかったか考えます・・・
 「そうだ!えきそばだ!」
 姫路駅に有名な「えきそば」があるのを思い出しました。
 さっそく姫路バイパスをおりて、姫路駅に向かいます。
駅前は混雑していて、バイクを停めるところに苦労しました。
 さすが姫路城は世界遺産。結構外国人観光客が目につきました。
さっそく姫路駅に向かい、入場券を買って駅構内へと入ります。

えきそば
 以前の姫路駅は地上駅でした。
(新幹線だけ高架)
 現在改修工事が進んでいて、立派な高架の駅になりつつありました。
 えきそばのお店もきれいに新築されていました。

期待がふくらみます。

これが「えきそば」
350円
 さっそく自販機で食券を購入します。
おいなりさんも頼もうかと思ったのに、売り切れでした・・・orz
 まま、とりあえず「えきそば」をいただきます。
 ここでちょっと「えきそば」についてご説明を。
店内にあった解説によると、戦後姫路駅でうどん販売計画が持ち上がったとき、
うどんは傷みやすいので、おつゆはそのままに黄色い麺を使う事によって誕生したんだとか。
 ちなみに昭和24年10月19日の事だそうです。
それからは「姫路駅のえきそば」と親しまれているそうです。
 ま、簡単にいっちゃえば、中華蕎麦の麺をおうどんのおつゆでいただくって事ですね。
 ではいただきま〜す(^^)
 関西のわりには濃いおつゆですが、甘口に仕上がっていてとてもうまいっす。
上にはあんまり具のない天ぷら(笑)が乗ってます。
 お値段は350円ですが、14:00〜17:00までは290円で食べられます。
あえて時間ずらすのも手かと。(あと大盛りあり)

あなごめし
 しかしえきそばだけじゃ、お腹いっぱいにならないなあ・・・
 というわけで、駅弁も食べちゃいました(−−;
マタフトッチャウ・・・
 やっぱり瀬戸内といえば、「あなごめし」かな?ってことで。
 お値段の方は950円と少々お高くなってますが、
結構おいしかったです。
 なんか駅弁って旅情をそそりますよね・・・
なんでだろ・・・

中身

高架になった姫路駅
 記憶にあった地上駅の姫路駅は姿を消し、
立派な高架駅へと姿を変えていました。
 これも時代の流れですかねえ〜
 ホームでひなたぼっこしてると電車が到着しました。
なんか津山線みたいなカラーリングの電車でした。
最近JR西日本に乗ってないのでよく分かりませんが、新車かな?

電車到着

なんと敦賀まで行くのか?
 行き先表示を見てびっくり!
 なんと湖西線経由で敦賀まで!
姫路から敦賀までとはかなりの距離です。
 北陸本線は交流のため、関西方面から直通運転が出来ないと聞いてましたが、
敦賀まで直流化工事完成してたんですねえ・・・

姫新線
 姫路駅の高架工事はまだ途中。
 地上駅部分も残っています。
 こちらは0番、1番線ホーム。
 姫新線(兵庫県姫路市〜岡山県新見市)用のホームで、ディーゼルカーが停まってました。
 まあ姫路からは途中の作用駅までしか行かないのがほとんどらしいですが。

播但線
 こちらは33番線ホーム。
 播但線(兵庫県姫路市〜兵庫県和田山町)のホームです。
 こちらは寺前駅というところまで電化が進んでいるせいか、電車でした。
 103系3500番台です。

こちらは電車

赤穂城大手隅櫓
 姫路で時間かけ過ぎました(^^;
 あわてて赤穂へ向かいます。
姫路〜太子バイパスから国道2号線へ。東有年からは県道90号で赤穂市街を目指します。
 16:00前、ようやく赤穂城へ到着しました。
 赤穂城は今でこそまわりが陸地化してますが、かつては半分以上海に面した海城だったのです。

大石内蔵助屋敷門
 三の丸大手門をくぐっていくと、かつて大石内蔵助が住んでいた屋敷跡がありました。
 屋敷門が残されています。
ただ、屋敷の跡地の方は大石神社の敷地になっていました。

城内案内図

積み直された東北隅櫓台
(二の丸)
 三の丸清水門を出たあたりは、かつて米蔵が並んでいたそうで、米蔵を模した歴史博物館がありました。
 入館料大人200円だったので入ってみました。
 赤穂といえば、かつては塩造りで大いに栄えたところでして、
館内1Fには塩造りの貴重な資料がたくさん展示されていました。
 2Fには松の廊下刃傷事件から吉良上野介屋敷討ち入りまでの資料が展示されています。
あと、赤穂城の模型(城ファンならぜひ!)も展示されていて、かぶりつきで見てました。(笑)
 赤穂の街はデルタ地帯に広がっているため、井戸を掘っても海水しかでませんでした。
そこで川の上流から上水を引っ張ってきて、城下町や城内に真水を提供していました。
なんと昭和初期までこの上水が使用されていたそうです。
 3大上水の一つに数えられていたこの上水に関する資料も展示されています。
 200円の入場料はすごく良心的だと思いますので、赤穂城まで来たらぜひ寄ってみてください。 

本丸大手門
 いま赤穂城は復元ラッシュらしく、あちらこちらで真新しい石垣や塀が作られていました。
 こちらの本丸大手門もその一つ。
石垣もきれいに積み直されて、きれいに復元されていました。
 この日は門の内部も公開されていたのですが、なんと16:00まで・・・
 もっと早く来ればよかったorz

本丸大手門一の門

本丸庭園から本丸大手を見る。
 かつて高校があったらしい本丸内も、きれいに整備されて、発掘復元された庭園と、本丸御殿の間取りを紹介したモニュメントが広がっていました。
春だなあ・・・

本丸庭園と天守台
 本丸内には天守台が残されていました。
 が、財政難からか、幕府に遠慮したためか、
ここに天守が上がることはありませんでした。

天守台

天守台から赤穂の街を眺める
 赤穂城は浅野家時代に現在の規模になりましたが、
5万石という石高からすれば立派すぎる規模だといえます。
 (お隣?の竜野藩も5万石でしたが、ここまで立派なお城ではない)
 しかも江戸時代になってから築城を許されているという点でも、大変珍しいお城です。
 一説によれば、浅野長直(有名な浅野長矩のおじいさん。ちなみにこの人も内匠頭です)は外様大名であったものの、父長重とともに幕府の信頼厚く、駿府城代を努めたりと、譜代並の扱いを受けています。
 3代将軍家光は西国の外様大名にかなりの警戒心を持っており、備前岡山藩池田家に対する押さえとして、長直を常陸笠間から赤穂へ転封した上、新城築城を許可したものらしいです。

厩口門(台所門)
 その説をとれば、江戸時代になってからこれほど立派なお城を築くことができた理由も納得できます。
 ただ、残念ながら孫の内匠頭長矩は刃傷事件を起こし、浅野家は断絶させられます。
 (ただ、長矩のおじさん二人は旗本として続いてます)

三の丸大手隅櫓
 ただ、赤穂藩としては浅野家3代より、その後の森家(森蘭丸の弟から始まる)支配の方がながいんですが、そんな気配はほとんどありません(笑)
 すっかりなかったことにされてます。(爆)
 ただ森家は石高2万石だったので、お城の維持はかなり大変だったみたいですよ。(収入半分以下だもんね)

ちょっとしぶい?

大手門前の和菓子屋さん
 赤穂といえば「塩」
 大手門前のお店で「塩味まんじゅう」売ってました。
 試食してみると、塩がほのかに甘さを引き立てるあっさりしたおまんじゅうだったので、思わず買ってしまいました(^^;

塩味まんじゅう

大手前はこんな感じ
 日もかげってきたので出発することにします。
 ほんとはこのまま岡山まで足を伸ばす予定だったのですが、
明日の岡山は朝から雨の予報。
 あきらめて帰ることにします。

城と愛車
 城を熱く語りすぎたので、ちょっとツーリングらしい写真も載せときます(^^;

横矢がかり
 お城を一周してから帰ることにしました。
 横矢がかり(石垣に取り付いた敵を横から攻撃すること)のため、石垣を一部折り曲げています。
 赤穂城は、これでもかっ!というくらい、この横矢がかりを意識して設計されています。

西南隅櫓台
 塩屋門を守るための櫓があったところです。

水手門
 ここはかつて海だったところです。
 この水手門には船着き場があり、船で出入り出来るようになっていました。
 さ〜帰りますよ〜
この日の帰宅は22:30でした。
赤穂へGO! 完
2008.3.23作成
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