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![]() キムラヤ |
この日は6:00起床。 7:00にはチェックアウトして出発しました。 写真は岡山で一大勢力を誇るパン屋「キムラヤ」です。 「♪キムラヤ〜のパン、キムラヤ〜のパン」 のCMで有名・・・なはずです(笑) 中庄にあった工場ではケーキバイキングやってたけどなあ・・・今でもやってるのかな? |
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![]() 月見櫓 |
7:30、岡山城に到着。 バイクを適当に停めて歩き出します。 今回も裏口方面から・・・(^^; 好きなんです、裏口(爆) まず見えるのが江戸時代から現存している 「月見櫓」です。 空襲にも耐えてがんばってます。 次いで見えるのが 「天守」 こちらは残念ながら空襲で燃えてしまい、 今は鉄筋コンクリートで復元されたもので、内部は博物館になってます。 |
![]() 岡山城天守 |
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![]() 押さえ石垣 (奥の石垣を手前で押さえてる) |
岡山城の歴史を少々。(またうんちくが・・・興味のない方はパスしてね〜) 岡山城は宇喜多直家(秀家の父)が本拠地としたのが始まりで、 息子の秀家は豊臣家の重鎮(五大老の一人)として備前、美作、備中、播磨で57万4千石の大名になり、 岡山城を大改築し、金箔瓦を用いた5重6階の天守をはじめとした 大城郭へと生まれ変わらせました。 しかし秀家は関ヶ原で敗れて改易。 その後に小早川秀秋が備前、美作52万石で岡山城に入りました。 秀秋も岡山城を大改築し、城下町を整備しましたが、2年後に急死。 跡継ぎがいなかったためにこれまた改易。 その後に池田忠継(姫路城を築いた池田輝政の次男)が28万石(のち38万石)で入りますが、17歳で死去。 次いで忠継の弟忠雄が31万5千石で入りますが31歳で死去。 嫡男の光仲が跡を継ぎますが、鳥取藩主だった従兄弟の光政(輝政の長男、利隆の長男)と領地替えがあり、以後は光政の子孫が岡山藩主となります。 短い期間にかなり藩主が入れ替わってますが、その間にも岡山城の整備は続けられて忠雄の頃にはほぼ完成していたと言われています。 |
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![]() 廊下門 |
本丸の搦め手には廊下門があります。 この門の2階は廊下になっており、奥から表に移動する殿様の通路になっていたことから、この名前がつきました。 廊下門をくぐると本丸中の段で、右手には月見櫓があります。 月見櫓は外向きには厳重な防備が施されていますが、内側には最上階に望楼が設けられ、居住性の高い造りになっているのが特徴です。 |
![]() 月見櫓内側 |
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![]() 宇喜多時代の石垣 |
岡山城は何回も拡張工事が行われているので、昔の石垣が埋め込まれていたりします。 左の写真は宇喜多時代の本丸石垣で、拡張工事のときに地中に埋め込まれました。 どれぐらい埋まっていたかというのが右の写真です。 |
![]() これだけ埋まってたわけです。 |
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![]() もちろん台所もあります |
本丸には殿様達が生活していたわけで、当然台所なんかもあった訳です。 最近案内板が整備され、かつての本丸御殿の間取りが詳しく分かるようになっています。 |
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![]() 天守台の石垣 (不等辺五角形) |
岡山城の見所もやっぱり 「石垣」 です。 工事の時期によっていろんな積み方の石垣を見ることができます。 左は天守台の石垣で、宇喜多時代のものです。 自然石を用いた「野良積み」と呼ばれるもので、形も不等辺五角形となってます。 右の写真は本丸が拡張された事が分かる部分なんですが、右側の小早川時代の方が新しいにもかかわらず、突貫工事を行ったせいか石垣が荒い、な〜んてこともあります。 |
![]() 継ぎ足されてる石垣 (左が宇喜多期、右が小早川期) |
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![]() 本丸上の段を見る |
右の写真も拡張工事の痕跡が残る石垣です。 左の石垣は池田期のもので、きちんと積まれているのがよく分かります。 |
![]() 埋め込まれている石垣 (右が宇喜多期、左が池田期) |
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![]() 岡山市のマンホールは桃太郎 |
最近マンホールの写真撮るのが趣味になってきてますが(笑) 岡山市のマンホールのふたは「桃太郎」でした。 |
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![]() 鉄門跡 |
本丸中の段への入口「鉄門(くろがねもん)」跡と、本丸上の段への入口「不明門(あかずもん)」です。 鉄門は門の表面に鉄板が張られていたのでこの名前がつきました。 不明門といえば、普段の殿様は廊下門から出入りしており、この門は閉じられたままだったことからこの名前がついています。 不明門は昭和に入ってから鉄筋コンクリートで復元されたものです。 |
![]() 不明門 |
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![]() 本丸堀 |
二の丸、三の丸の堀はすべて埋め立てられており、本丸の堀だけが残されています。 本丸の背後には旭川が流れていて、お城の守りを固めています。 旭川を渡ったところが有名な後楽園になります。 |
![]() 旭川 |
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![]() 祖廟跡の石垣 |
本丸を堪能したので、二の丸見物に出かけます。 二の丸には病院や市民会館、山陽放送などが立ち並び、お城の痕跡をあまり残していません。 かつて池田家の先祖を祀った祖廟があったところも、病院の駐車場になっています。 |
![]() 祖廟跡から月見櫓、天守を望む |
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![]() 石山門跡 |
ここ石山門も空襲で焼けてしまった建物の一つです。現在は石垣だけが残っています。 奥に見えているのが山陽放送の社屋になります。 石山門から西に歩くと、かつての西の丸の石垣を見ることが出来ます。 江戸時代は石垣下にはお堀がありましたが、現在は埋め立てられて道や民家になってます。 |
![]() 西の丸石垣 (石垣下はかつての堀) |
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![]() 窮屈そうな西手櫓 |
ビルの陰に窮屈そうに建っているのが、西の丸にある西手櫓。 江戸時代から現存する建物の一つなんですが、かなり扱い悪いですよね(^^; |
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![]() 岡山電鐵 |
電車道に出てきました。 かつてはこのあたりもお堀でした。 |
![]() 路面電車大好き |
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![]() 西の丸石垣 |
岡山シンフォニーホールの交差点を東に折れると、再び西の丸の石垣が顔を見せています。 この石垣は池田期のもので、見事な切り込みハギと呼ばれる積み方になってます。 この西の丸跡地はは、つい最近まで小学校でした。 校庭には今時珍しい二宮金次郎の像が・・・ |
![]() 二宮金次郎 |
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![]() 西手櫓 |
で、校庭の片隅に西手櫓が。 なんともシュールな光景です。 |
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![]() 岡山ブルーラインの景色 (久々井湾) |
9:00に岡山城を後にして帰宅の途につきます。 でもどうせ走るなら気持ちの良い道をってことで、岡山ブルーラインを走ります。 ここは昔有料だったので走ったことがなく、今回が初挑戦でした。 気持ちのいい青空が広がって、絶好のツーリング日和です。ライダーもちらほら見かけます。 ブルーラインの後半は海が見えてきました。 青い海と空、緑の山々・・・日本はとっても美しい国ですよね。 |
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![]() 閑谷学校 |
で、まっすぐ帰ればいいんですが、つい寄り道してしまうのが悪い癖(笑) ブルーラインを途中で降りて、閑谷学校にやって来ました。 閑谷学校は岡山藩主池田光政が開設を命じた学校です。 江戸時代初期から学校を作った藩は珍しいのですが、閑谷学校は武士以外の生徒も受け入れたと言う点でも大変珍しい学校なのです。 |
![]() 門 |
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![]() 立派な石塀 |
主に教えられたのは儒学ですが(孔子廟がある)、実学も教えられたようです。 光政は閑谷学校に領地を与え、池田家が転封・改易になっても運営できるように配慮しました。 その甲斐あって、閑谷学校の伝統は現在まで続いています。 |
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![]() 講堂 |
備前焼の瓦が美しい講堂です。 ここでは月に何度かの授業のみが行われました。 横にある小さな建物は藩主の休息所で、時折藩主が視察に訪れたときに使用されたものです。 |
![]() 見事な木組みです |
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![]() 流し台 |
講堂奥には休憩室がありました。 流しやいろりがあり、勉強に疲れた生徒達がお茶でも飲んでいたのでしょう。 ただ、閑谷学校では火の取扱には細心の注意が払われており、 いろりには 「炭火しか使っちゃ駄目!」 という注意書きが彫られています。 |
![]() いろり |
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![]() 書庫 |
左は書庫の建物です。 大事な書物を火から守るため、土蔵造りとなっています。 右の写真は火除け山。 この山の奥に生徒達の寮があり、万が一寮が火事になっても、山の手前にある書庫や講堂が類焼しないように火除け山が置かれていました。 |
![]() 火除け山 |
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![]() 黄葉亭 |
講堂から離れたところには黄葉亭があります。 ここは学校を訪れたお客さまを接待するのに使われたようです。 |
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![]() 備前バーガーとな? |
閑谷学校の駐車場前にはお店があって、 「備前バーガー」 なる看板がでていました。 非常に気になるところです。 |
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![]() でもまずは「醤油ぶっかけソフト」 |
でもまずお友達どんちゃんオススメの 「醤油ぶっかけソフト」をいただくことにします。 黒蜜の代わりに醤油蜜がかかっていると思えば、普通においしくいただけました。 これオススメです。 |
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![]() で、備前バーガーです。 |
で、こちらが「備前バーガー」 備前牛のパテを使い、地元特産のびわを使った甘いドミグラスソースが決め手なんだとか。 もぐもぐもぐ・・・ 「うん、うまい!!」 おいしいですよ〜って食べ進むと、口の中に柑橘系の味が・・・ 「!」 説明書き見ると、地元特産「金柑」が入っているようです。 うーん、金柑は入れない方がいいような・・・ でも地元の特産なら入れるべきですね! 面白い味になるしね(^^) と言うわけで長かったツーリングもこれにておしまい。 どっとはらい! |
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中国地方歴史紀行 完 | |||
2008.5.25作成 | |||
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