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![]() 豊岡の朝 |
翌朝、豊岡一帯は深い霧に覆われていました。 晴天の日本海側にはよくある現象なので、気にせず出発します。 国道482号、426号を継いで出石にやってきました。 まだ7:30なので、街中は静まりかえってます・・・ |
![]() 出石の街並み |
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![]() 出石の象徴 辰鼓楼 |
誰もいない出石の街を静かに走り、辰鼓楼の前までやってきました。 辰鼓楼は、出石城の三の丸大手門脇櫓台上(長い・・・)に、明治4年に建てられました。 さらに明治14年に時計が寄贈されて時計台になったそうです。 今では出石のシンボルとして、多くの観光客が訪れてます。 が、この時は誰もいませんでした。早起きは3文の得とはよく言ったものです。(笑) |
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![]() 出石城趾 |
かつて三の丸だった場所には広い駐車場があり、その奥に出石城跡がありました。 霧で中腹までしか見えていませんが、城奥の山上にはかつて有子山城がありました。 有子山城は山名氏によって築かれた山城でした。 山名氏は織田VS毛利の戦いの際に毛利側に付いたことから、羽柴秀吉に攻められて滅亡しています。 その後は城代が置かれていましたが、前野康長が11万石で入りました。 その後、前野康長は秀次失脚に巻き込まれて自害、小出吉政が6万石で入ります。 吉政の子、吉英は、関ヶ原の合戦後に有子山城を廃止し、 その山麓に出石城を築城しました。 お城は、堀で囲まれた平地の三の丸と、内堀内に下郭、二の丸、本丸、稲荷丸が階段状に築かれました。 その後、小出家は跡継ぎが絶えてしまい、松平家一代の後、 信州上田から仙石家が入って明治維新まで続きます。 この仙石家、明治維新直前に時代錯誤のお家騒動(仙石騒動)を起こし、 石高を3万石に減らされちゃってます。なにやってんだかね・・・ (一ω一; |
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![]() 登城橋と登城門 (大手門) |
内堀にかかる登城橋と登城門、本丸隅櫓2基が復元されており、お城らしい雰囲気を出しています。 | ![]() 本丸隅櫓 |
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![]() 本丸脇から出石市街 |
大手筋の石段を登り、本丸までやってきました。 出石の街並みを一望できます。 右の写真は、出石城の解説板です。 山上の城(有子山城)と、山麓の城(出石城)がよく分かります。 ちなみに有子山城は廃止後も石垣が残されており、破壊されなかったところをみると、有事には立てこもるつもりだったようですねえ。 |
![]() 出石城の解説板 |
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![]() 参詣道 |
出石城東側の石段通路は、稲荷丸にある稲荷神社の参詣道になっていて、鳥居が続いてます。 なんか信貴山を思い出しました。 |
![]() 稲荷丸ある神社 |
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![]() 出石の町屋 |
時刻はまだ8:00。 おそば屋さんなんかやってないなあ~ってことで出発しようとすると、辰鼓楼前のお店から店員さんが飛び出してきて、 「8:30まで待ってもらえたら、おそばを用意できます!」 「!」 ってことで待つことにしました(^^; 退屈だろうってことで、出石観光マップを渡されたので、街並み散策と相成りました。 5万石の城下町はこぢんまりとしていていい感じです。 但馬の小京都と言われるのも道理ですねえ~ |
![]() 出石の商家 |
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![]() 土壁の蔵 |
![]() 土蔵の作りがよく分かります |
![]() いい風情です |
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![]() 実は酒蔵の土蔵でした。 |
散策の途中、白壁の落ちた土蔵を見つけました。 ほっこりとした土の質感が、なんとも言えずいい感じです。 表に回ってみると、造り酒屋さんでした。 (「楽々鶴(ささつる)」出石酒造) 買いたかったけど、日本酒ってバイクで運ぶと味が落ちそうで・・・ |
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![]() 柳行李のお店 |
柳行李をつくってるお店も発見! でも開いてませんでした・・・ 街中にたくさんあるそば屋さんの一つでは、自動石臼機?が、黙々とそばを引いていました。 |
![]() 自動石臼 |
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![]() ご存じ出石そば |
8:30になったのでお店に戻ると、店内に通されました。 とりあえず皿そばを注文します。 待つことしばし。 おそばがやってきました~ あっさりつゆに、山芋や卵を入れていただきます。 うんうん、おいしいですね~ ふと店内を見渡すと、「15皿以上で記念品」と書いてました。 ・・・で、右の写真になります。(^^; 記念品は栓抜きでした。 今時ですが、このレトロ感がいいのかもしれません。 ちなみに15皿も食べるとお値段が2000円になるので、注意が必要です (笑) 実は、すでに宿で朝ご飯食べた後だった事は秘密にしておいてください。(爆) この出石そば、信州上田から引っ越してきた仙石家の殿様が、そば職人も連れてきたことから広まったもの。 いいお殿様だったんですね~ |
![]() 皿の枚数が増えてますが気のせいです |
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![]() 灯籠とポスト |
かつて川舟の船着き場があったところには、灯籠が残されていました。 夜には灯が入るそうです。 傍らにある丸ポストがいい味だしてます。 二度の朝飯の後、出石の街を出発します。 国道426,482,312とつないで京丹後市へ。 (ちなみに京丹後市の峰山は、かつて丹後縮緬で有名だったところで、プロ野球の野村克也氏の出身地です。) 京丹後市から宮津市へ (宮津には宮津城があったんですが、現在は消滅しています。一部建物は移築) 宮津から天橋立を華麗にスルーして舞鶴市にやってきました。 |
![]() 丹後の海 |
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![]() このマークは・・・ |
中舞鶴に気になるところがあったので寄ってみました。 海上保安官の育成学校である海上保安学校です。 |
![]() 海上保安学校 |
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![]() 巡視船 |
巡視船が一隻、接岸していました。 その後、東舞鶴で新日本海フェリーのターミナル見物。 いつもお世話になってますが、昼間来るのは初めてだったもので・・・ |
![]() 新日本海フェリー 舞鶴ターミナル |
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![]() 護衛艦「すずなみ」 汎用護衛艦「たかなみ」5番艦 |
で、フェリーターミナルに行く途中、海上自衛隊基地に一般人が入っているのを見て、 「見学できるのか?」 と思って引き返したら当たりでした~ 受付で住所氏名を記入して許可証をもらって早速見学です。 |
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![]() ファランクスの解説板 |
![]() ファランクスと艦橋 |
![]() このアングルが好き (艦橋萌え) |
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![]() 哨戒へりの格納庫 |
艦の後部には哨戒ヘリの格納庫がありました。 洋上での整備とか大変そうだなあ・・・ 左の写真に写ってるガラス張りの部屋は発着艦指揮所です。 |
![]() ヘリ運搬用のレール |
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![]() 注意書き |
「すずなみ」艦上で、「総員離艦安全守則」なるものを発見。 一番最後の「水中爆発及びサメに注意せよ」というのだけは、分かっていても難しいような・・・ (一ω一;) |
![]() すずなみと僚艦「あまぎり」 |
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![]() 「あまぎり」 汎用護衛艦「あさぎり」4番艦 |
「すずなみ」の奥には「あまぎり」がいました。 こちらは公開されていないのに、一般人が何人も勘違いして止められていたのがおかしかったです(^^; |
![]() 「あまぎり」艦橋 |
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舞鶴基地には゛捕鯨艦゛「あたご」もいました。 (ほんとはイージス艦じゃよ) なんでも豊後水道の領海内で、「くじら」を見たんだとか。 ほんとかなあ・・・・ |
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![]() 小浜城本丸石垣 |
舞鶴から国道27号線で東へ向かいます。 間もなく県境を越えて福井県へ。 旧国名ででいうと若狭の国ですが、実は訪問は初めてだったりします。 小浜市にやって来ました。 ここには酒井家11万3千5百石の居城だった小浜城がありました。 市街地を城を求めてさまよいますが、姿形も見あたりません。 小浜駅まで行って観光案内図を確認して、やっと場所が判明。 市街地から川を渡った中州に、小浜城跡はありました。 小浜城は、二本の川に挟まれた中州に造られた水城だったのです。 |
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![]() 酒井忠勝 |
小浜城は、関ヶ原の合戦後に若狭一国8万5千石を与えられた京極高次(ちなみに奥さんは淀君の妹です)が築城を開始し、その子忠高の時代も工事は続きました。 やがて京極家は出雲松江23万5千石に転封となり、その後に入った酒井忠勝の時、三重三階天守を含めて城は完成を見ました。 酒井忠勝は、老中・大老を務めた幕府の重鎮であったため、北前船の港町であり、京の裏口を固める要衝であった小浜を与えられたのです。 その後藩主は変わることなく、酒井家のまま明治維新を迎えています。 |
![]() 小浜城解説板 |
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![]() 小浜神社 |
現在本丸には酒井忠勝を祭った小浜神社の境内になっています。 城の遺構としては、本丸の石垣を残すのみです。 |
![]() 小浜城天守台と多聞櫓台 |
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![]() 天守台の石垣 |
天守台が残っていたので登ってみることにしました。 本丸南西隅にあたります。 多聞櫓台に登った後、さらに天守台への石垣を登る2段構えになっています。 |
![]() 天守台石段 |
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![]() 天守台からの眺め |
天守台には、稽古着を着た外国人が8名ばかり、なんかの稽古をしていました(空手?) ちょっと異様な光景にひるみますが、せっかく来たんだしってことで気がつかない振りをして見物を続けます(笑) 天守台のすぐ下まで民家がせまっていました。 天守を復元しよう!って運動が起こっているようですが、この距離だとちょっと難しいのかな? |
![]() 天守台から西櫓台をを見る |
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![]() 小天守台と石段 |
怪しい(笑)外国人がいるので、早々に天守台を降りてきました。 天守北側には小天守がありました。 さらに多聞櫓で西側虎口にあった西櫓とつながっていたのです。 |
![]() 本丸西側虎口 (右側が西櫓台) |
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![]() 本丸西側から天守台を見る |
西櫓下の虎口から本丸の外に出てみました。 民家の庭先に天守台がそびえているのはちょっとシュールです。 本丸北西側にあった乾櫓台の先にも民家が・・・ |
![]() 本丸乾櫓台 |
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![]() 小浜神社にあった 酒井家の家紋 |
小浜神社の境内には、酒井家の家紋が入った石碑?がありました。 | ![]() 小浜城は2本の川に挟まれた水城でした。 |
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![]() 国道477号線 (いわゆる「酷道」部分) |
小浜からは国道162号線で南下します。 かなりの快走路で、さくさく峠を越えるとそこは美山。 道の駅にはたくさんのライダー達がたむろしてました。 へたれな私は隅っこで小さくなってました(笑) 京都市内も近づいたところで、国道477号線に入り、亀岡を目指します。 国道477号線って、意外と酷道なんですよね・・・ もたもた走ってる車をびゅんびゅん追い越して、先を急ぎます。 亀岡からは府道で峠越え。 高槻から高速に乗って、まっしぐらに帰宅しましたとさ。 おしまい。 |
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れんと 山陰紀行 完 | |||
2008.10.27作成 | |||
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