大分の宿
 翌日の大分は快晴でした。
 しかし予報は雨
 早めに動くことにします。
 目指すは日出城
 先月気づかずに通過してしまったお城です。
 土曜の朝にもかかわらず、結構交通量がありました。

大分駅前

日出案内図
 国道10号線を突っ走り、別府市を通過。
 交通量が少なくなってきた頃、日出町に到着しました。
 まずは案内板に従って日出城の前までやって来ました。
 案内図がとってもわかりやくて助かります。
 小さい街ながら、観光には力を入れているようです。

日出城図

大手門から本丸堀を見る
 さて、肝心の日出城はといいますと、本丸には日出小学校が・・・orz
 事件続きの昨今では、へたに敷地内に入れば通報されかねません・・・
 仕方ないので小学校の回りをぐるりと回ることにしました。

本丸堀
(西側)

武家屋敷の雰囲気が残る城前
 本丸前には屋敷門だったらしい門を持つおうちが多く、城下町の風情を残しています。
 いいものですね〜我がふるさとにも見習って欲しいものです・・・

屋敷門と石垣

藩校「致道館」
 お城の西側には図書館があり、それを回り込むと藩校「致道館」がありました。
 この時はお城が最優先だったので、写真だけで通過です。(笑)

本丸下
 結構急な坂をぐるりと回り込んで海側にやってきました。
 二の丸、本丸の石垣がそびえています。
 三万石のお城にしては立派なものです。幕府に睨まれなかったのかしらん・・・
 

本丸西側の堀

本丸海側の高石垣
 ここで日出城の歴史を少々・・・(とかいいつつ長くなる私(笑))
 日出城を築いたのは木下延俊です。
彼は豊臣秀吉の妻であった「ねね(高台院)」のお兄さん木下家定の三男でした。
 ちなみに次男は利房(備中足守藩二万五千石)で、五男は金吾中納言と呼ばれた小早川秀秋(備前岡山五十二万石)です。
 延俊は関ヶ原合戦時には姫路城代二万五千石でした。
 細川忠興の妹婿であったため東軍につき、義兄細川忠興が豊前小倉三九万九千石を与えられたのに伴い、日出の地に三万石を与えられました。
 その後、細川家は肥後熊本五四万石に転封になりますが、木下家は日出に残り、明治維新まで続いています。
 

別府湾
 日出城は木下延俊が、義兄細川忠興の援助を受けて1602年に完成させました。(わずか1年で完成したそうです)
 三万石にもかかわらず三重の天守、5基の二重櫓、1基の平櫓を持つ堅固なお城でした。
 明治に入って建物は取り壊されてしまいましたが、石垣は現存しています。
 あと裏門櫓は解体保存されており、鬼門櫓は取り壊し時に民間に払い下げられて、かろうじて現存しています。

城下海岸の案内板
 お城の下の海中には真水がわき出しており、これが良質のかれいを生み出しました。
 「城下かれい」と呼ばれ、江戸時代は生きたまま江戸に運ばれて将軍に献上されていたほどです。
 現在でも「城下かれい」と言えばブランドもので、結構なお値段いたします〜
 また、この海岸は航空母艦「海鷹」が沈没した場所として知られています。
 この「海鷹」は、大阪商船所属の「あるぜんちな丸」として活躍していましたが、
ミッドウェー海戦で4隻の空母を失った日本海軍が買い上げ、空母に改造されて「海鷹」となりました。
 主に航空機輸送や船団護衛に当たっていましたが、昭和20年に佐田岬沖で機雷に触れて浸水したため、この地で座礁させられていました。
 しかし空襲の標的になってしまい、直撃弾により発電機をやられて排水出来なくなってしまったので放棄されてしまいました。
 戦後解体されたので、船体は残っていませんが、旧乗組員が建てた碑が残っています。

本丸石垣
 さて、海側から本丸に登る事にします。
 海岸からだと本丸は見上げるほどの高さです。
 海から攻めるのは不可能だったことでしょう。
 いわゆる「後堅固」のお城です。

本丸への石段

天守台
 いくつかの帯曲輪を登って行きます。
 このルートは裏口でして、ひょっとしたら落城時の脱出ルートだったのかもしれません。

本丸への石段

本丸への石段
(望海楼跡)
 最後は望海楼という二重櫓の下にあった門をくぐって本丸に入っていたようです。
 この石段を登ったところには、日出小学校のグランドが広がっていました。
 グランドに人はいなかったので、隅っこをこそこそと歩いて天守台を目指します。(笑)

天守台への石段
 グランドの片隅に崩れかけて草ぼうぼうになった天守台が残っていました。
 

天守台

天守台からの眺め
 日出城の天守は付櫓を持つ複合式の天守で、三重の層塔型でした。
 一階部分がかなり大きく、外観はかなり特色のあるものだったようです。
 天守台からは別府湾が一望出来、府内(大分)や別府を見ることができます。

本丸石垣
 小学校内を横切ることは遠慮しまして、来た道を引き返して本丸下を歩きます。
天守台下を歩く

鐘楼
(かつての裏門櫓台)
 本丸の東側にやって来ました。
 ここにはかつて本丸裏門があり、一重の裏門櫓が守りを固めていました。
 櫓跡には鐘楼が建てられていました。
 右の写真は本丸東側の堀で、日出城が海に突き出した台地の上に建っているのがよく分かります。

本丸東側の堀

さざんかの花
 日出小学校の隣は日出中学校で、ここはかつて二の丸でした。
 校内には大きなさざんかの木が茂っていました。
 ちょうどさざんかの花が咲いていました。
 見るのは初めてです。結構きれいな花なんですね〜

解説板

かつての屋敷門でしょうか・・・
 中学校を出たところからは三の丸跡です。
 ここには滝廉太郎のお父さんの生家跡があります。
 滝家は日出藩の家老の家柄だったのです。
 頭の中に「へぇ」ボタンが鳴り響きます。(古い?)
 あと、日出には「鏝絵(こてえ)」というものが残っています。
 これは漆喰にコテを使って絵を描いたもので、明治の左官屋さんの技術と遊び心の結晶です。
 町内にいくつかあるようですよ。
 写真のは因幡の白ウサギがテーマなのかな?

こてアート

勘定所?跡
 再び大手門前に戻って来ました。
 大手門前には観光案内所がありました。来たときは早すぎて(笑)開いてなかったのですが、今は開いているようです。
 せっかく日出に来たし、城下かれいのお店とか教えてもらおうと寄ってみました。
 ガイドの方は女性の方でしたが、日出をはじめとする国東半島の歴史や遺跡にとても詳しい方で、話がとっても弾みました。
 結局3時間も話し込んでいたでしょうか?
この日のうちに自宅に帰らないといけなかったので、昼頃においとましました。
 土日開設だったかな?日出の歴史を知りたい方は是非寄って見てください。

城下かれいのお店
 案内所で教えてもらったお店にやって来ました。
 今地図で見てみたら、このお店前のクランクは三の丸の城門の虎口の名残でした。
 この時は気がつかなかったなあ・・・

お刺身にしてみました
 お店に入ると座敷に通されました。
 刺身や煮付けがあって迷ったんですが、刺身にしてみました。
 しかしかれいは白身。
淡泊すぎて味がよく分からなかった・・・
いや、おいしかったんですよ(笑)
 しかし次回は煮付けをチャレンジします。
 あ、お吸い物は絶品でした。

吸い物絶妙

鬼門櫓
 お腹もふくれたし、日出城で唯一残った建物、「鬼門櫓」を見に行きます。
 鬼門櫓とは、日出城の二の丸東北隅にあった二重櫓です。
 明治の取り壊しの際に民間に払い下げられ、移築先で現存しています。
 移築先はちょっとわかりにくいです。前もって案内所で場所を教えてもらっておくことをオススメします。

この道を上ります。
 丘の中腹に鬼門櫓を発見しました。
 話には聞いていましたが、漆喰はすべてはがれ落ち、屋根には草が生えていて、
かなり痛々しい姿です。
 「なんかかわいそう・・・」
 鬼門櫓の鬼門櫓たるところを撮影するため、さらに丘を登ります・・・

鬼門櫓北東側
 そうこれです。
 これが鬼門櫓の特徴なんです。分かりますか?
 櫓の東北隅(鬼門)を鬼門よけの為に切り欠いているんです。角が斜めになってるでしょ?
 鬼門よけは日本全国のお城で確認出来ますが、鹿児島城の本丸石垣も東北隅が欠けてます。一度見てみてください。
(遠いか・・・)

ほら、角が欠けてるでしょ?

それにしても傷みすぎ・・・
 それにしても痛みすぎです。
 今の町長さんは歴史遺産に理解がある方のようで、鬼門櫓の城内への移築・修復が決まったようです。
 全国のお城ファンのため、不景気にも負けずにがんばって欲しいものです。
(^▽^)

二階堂酒造
 日出は大分麦焼酎「二階堂」の街でもあるんですよ。
 私は知らなかったんですが(笑)
 写真だけとってきました。

致道館内
 帰りがけに致道館にもう一度寄ってきました。
 中ではガイド役?のおばあちゃんお二人がいまして、暖かく迎えていただきました。
 かなり天井低いですね〜
鴨居で頭打ちそうです。
 なんか昔の書道教室やそろばん教室を思い出させる室内でした。
 右の像は帆足萬里先生です。
 致道館で教えたことはなかったらしい(お弟子さんが教えた)のですが、藩の教育に力を入れ、優れた門弟を輩出したそうです。

帆足萬里先生像

おれんじ九州売店
 いやいや、すっかり日出で時間を過ごしてしまいました。
 別府発八幡浜行き(14:00)に乗り遅れました。
 あわてて高速を使って臼杵に移動します。
 途中で雨が降り出しました。
天気予報当たりです・・・

 15:40発の10分前に滑り込みセーフ!! 九州を後にしました。
 今日乗船したのは九四オレンジフェリーの
「おれんじ九州」
です。
 2007年に就航したばかりの新しい船です。
 城下かれい淡泊すぎて物足りなかったので、おやつにカレーをば・・・
 また太るなあ・・・orz

カレーを喰う

記念撮影用の浮き輪
 新しい船なので、ちょっと船内レポートなぞ・・・
船内案内図

2等船室
 私が乗ったのは2等船室です。
 新しい船だけあって、バリアフリー設備も整ってました。

2等船室

おもしろステッカー
 さあ八幡浜に到着です。
 外は雨のようです。防水装備を完璧に整えて下船を待ちます。
 前のトラックにおもしろステッカー見つけたので撮りました。
 なぜにさんま10匹なのか・・・・(笑)
 八幡浜から阿波池田までは、かなり激しい雨に降られました・・・が、浸水はなしです。
 夜間&雨の悪条件下、ノンストップで走りきり、3時間半で徳島港に到着しました。
 2008年最後の長距離走はこれにて終了でございます。
 あ、右の写真は第2話で紹介した「佐伯むすめ」です。
 「え?じゃああのお菓子は?」
 うーん、名前忘れました(笑)
あれもおいしかったですよ。
また佐伯行って確認してきます。
 ではこれにてお開き!
 

これが佐伯むすめ
晩秋の九州 完
2009.1.25作成
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