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![]() 信号待ち |
さて、亀居城をあとにしまして、広島市内までやってきました。 広島城は以前も来たことがあったのですが、 なにぶん写真を撮っていなかったもので、 写真を撮るために再訪となりました〜 |
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![]() 裏御門跡 |
現在の広島城は、本丸と二の丸を残すばかり。 平地に作られた平城の悲しいところです。 さて、今回もなぜか裏口(裏御門跡)から本丸に入ります。 |
![]() 二重櫓台 |
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![]() 二重櫓台 |
広島城は、中国9カ国120万石の太守であった毛利輝元が、吉田郡山城にかわる平時の本城として太田川の三角州に築きました。 1589年に築城が開始されました。 縄張りは、京都にあった聚楽第を参考にしたと言われています。 |
![]() 福島正則による石垣の破却跡 |
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![]() 東小天守台と天守 |
1599年に完成をみますが、 1600年の関ヶ原の合戦で責を問われ、毛利家は防長二カ国36万石に減転封の憂き目をみます。 あとに入ったのは尾張清洲城主であった 福島正則。 正則は安芸の旧主である毛利家を仮想敵として広島城の拡張工事に着手。 広島城は西・北に大きく拡大され、その規模は西側の外曲輪には 二重櫓が12基 も並ぶという大規模なものでした。 |
![]() 天守台の石垣 |
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![]() わずかに残る三の丸の石垣 |
正則は他にも亀居城、三原城、鞆城など領内要所の築城・整備にも力を注ぎました。 戦乱の世であれば当然の事ではあったのですが、 時は徳川による平和へと向かう時勢。 過剰な軍備は幕府から危険視される結果を招きます。 1619年、洪水による広島城の被害を無届けで修復したとして、 正則は改易され、信州川中島4万5千石に転封となります。 広島城には、紀州和歌山より浅野長晟が42万石で入り、 以後明治維新まで浅野家の居城となっています。 |
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![]() 南小天守台と天守 |
時は幕末1864年。 第一次長州征伐の際、広島城は幕府軍本営として利用され、総督である尾張藩主徳川慶勝も訪れています。 写真好きでもあった慶勝が撮影した広島城の写真が残っています。 明治維新後の1894年。 日清戦争の指揮のため、広島城に置かれた大本営に 明治天皇 が滞在。 臨時の帝国議会も広島で開かれています。 首都機能が東京以外に移った唯一の事例なんですよ。 |
![]() 広島城大天守 |
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![]() 江戸時代の広島城下模型 |
広島城の大天守は戦前までは残っていた(国宝)のですが、 昭和20年8月6日の原爆投下による爆風で吹き飛ばされて 崩壊してしまいました。 現在の天守は昭和33年に鉄筋コンクリートで外観復元されたもので、 内部は広島城に関する資料などが展示されています。 |
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![]() 天守からの眺め |
広島城の天守は5層5階の巨大なもの(天守台は東西12間、南北9間)で、 東と南に2基の小天守(三層三階)を持つ、 西国一の天守でした。 120万石の太守である毛利家にふさわしいものだったのです。 |
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![]() 本丸中御門跡 |
説明の間に本丸を廻り終わってしまいました(笑) 本丸大手である中御門跡を抜けて二の丸に向かいます。 |
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![]() 二の丸表御門と平櫓 |
広島城の二の丸は小さく、馬出の機能しか持っていませんでした。 二の丸の建物も原爆で焼失していますが、コチラは木造で再建され、江戸時代の姿を取り戻しています。 |
![]() 二の丸平櫓と多聞櫓、太鼓櫓 |
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![]() 二の丸多聞櫓内部 |
広島城に別れを告げて、 次の目的地の呉に向かいます。 途中、2008年まで広島東洋カープの本拠地だった 広島市民球場 の前を通りました。 この日はオープン戦を開催していたようで、ちょっとみたかったです(笑) |
![]() 広島市民球場 |
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![]() お昼はもちろん |
お好み焼きでしょ?(笑) これを食べたいから広島城で時間調整していたという噂もありますが、 それは多分事実です。(爆) |
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北海道のお友達「ガンス」さんが呉の魅力について熱く語っていたので、 私も見物にやってまいりました。 大和ミュージアム前には自衛隊の 潜水艦の実物が・・・ その巨大さにびっくりです。 潜水艦ってこんなにでっかいんだ・・・ |
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![]() 戦艦大和 (このアングルが好き) |
で、かなりの人出でにぎわう大和ミュージアムへ。 私の小学生の頃にはガンプラなんてものはなくて、 模型と言えば旧帝国海軍の艦船や戦闘機だった もんなんですがね〜 大和ミュージアムには巨大な「大和」の模型が・・・ ちょっと男の子の頃に戻ってかぶりつきでみてました。 もうおっさんなんですがね・・・ |
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![]() 零式艦上戦闘機 |
ミュージアム内には「ゼロ戦」の展示もありましたよ。 あと、レコードで記録された特攻隊員の肉声遺言とか・・・ やっぱり戦争(けんか)は勝たないと駄目ですね・・・ 負けるけんかはしちゃいけません。 あと軍港呉の歴史とか、呉海軍工廠の歴史の展示もあり、 歴史好きやミリオタにはたまらないと思います。 私ですか? うん、楽しかったですよ(笑) 呉では死んだじいちゃんが戦時中勤務していたらしいです。 ほら吹きじいちゃんだった(大和の艦長だったとか孫に言う)ので、 ホントかどうかは分からんですが、機銃の整備をやってたそうですが・・・ |
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![]() クイーンコーラル |
呉を出て海沿いの国道を走っていると見慣れた船影が! なんと 「クイーンコーラル」 (マリックスライン)じゃないですか! 整備なんですかね? 珍しいところで会いましたね。 |
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![]() 福山駅前 |
この日は福山まで走って、そこで宿を取りました。 | ||
![]() 福山城 (左はJR福山駅) |
福山には福山城がありましてね、 また寄ってきました。(笑) 福島正則改易の際、福山近辺の所領は浅野長晟には与えられず、 水野勝成 (徳川家康の従兄弟です。この人の一生ってものすごく面白いのです。 そのまま小説になります。一度調べてみてね) が備後神辺城主(10万石)として国入りします。 当時の日本地図で言うとですね、西日本は外様大名の領土ばかり。 福山に一番近い譜代大名と言えば、姫路城の本多忠政(15万石) 敵中に楔のように置かれたのが水野勝成だった訳です。 「鬼日向」と呼ばれた勝成にふさわしい場所と思いませんか?(笑) で、外様大名どもにがつーんと幕府の権威を示すのだ〜 とばかりに神辺城を捨てて福山城築城に取りかかります。 1619年から築城を開始。廃城となった神辺城の建物を多数移築。 また幕府からは伏見城(京都)の建物を下賜されました。 地盤が弱いために工事は難航しましたが、城は1622年に完成しました。 10万石には過ぎた5重6階の天守。 三重櫓7基を含む20以上を数えた櫓群。 総延長291間の長さを誇った多聞櫓群 「見よ!外様大名ども!これが幕府の威光なるぞ!」 オーラ満載の福山城だった訳です。 |
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![]() 本丸御殿(湯殿) |
そこに居るのが伝説の鬼武者 「水野勝成」 ・・・十分効いたんじゃないでしょうか?(笑) 水野氏が代々続きますが、1698年に跡継ぎがいなくなりまして、その後天領、松平忠雅、阿部家が入り、阿部家で明治維新を迎えてます。 |
![]() 筋鉄御門(本丸大手門) (現存) |
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![]() 伏見櫓 (現存) |
阿部家は老中を輩出したこともあり、お国入りも稀であったようです。 7代藩主阿部正弘は、幕末に老中を務めて有名ですよね。 島津斉彬や徳川斉昭と同時代の人です。 さて、左の写真は伏見櫓。 伏見城から移築されたと伝わっています。 ちゃんと証拠もありまして、櫓の梁に 「松の丸(伏見城にあった)東やくら」 との墨書が発見されているそうです。 |
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![]() 福山城天守 |
一見豪華を誇った福山城ですが、 実は城の北側にある二の丸と三の丸が未完成でして、 北側の防御力が非常に弱い。 実際幕末にも城の北側から あっさりと長州兵の侵入を許してます。 この辺は松前城とよく似てますね。 それを補うためか、福山城天守の北側壁には鉄板が貼られていたそうです。 天守は戦前まで現存していましたが、空襲で焼失。 現在のものは鉄筋コンクリート造りで内部は博物館ですが、 実は外観があまり忠実に再現されておらず、「復興天守」扱いだったりします。 |
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![]() 御台所御門跡 |
実は福山城ほど大事にされていないお城も珍しいのです。 所有者がたびたび変わる中で、石垣などに改変が加えられたりしていて、本丸東側の石垣はほとんど旧態を残して居ないそうです。 本丸西側にあった御台所御門も埋められてしまってごらんの通り・・・ |
![]() 石垣で埋められてます。 |
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![]() 鐘櫓 |
御台所御門には鐘櫓が現存していますが、 これはもともと櫓だった訳ではなくて、 城内で291間の長さ(全国3位)を誇った多聞櫓が、 この部分だけ残されたものなんだそうです。 一応昭和54年に修復されていますが、 どこまでが本来の姿だったか正確には分からなくなっていて、 江戸時代の姿なのかどうかは分からないそうです ・・・(ーー; 他にも本丸には月見櫓や鏡櫓などが復興されていますが、 いずれも忠実な復元ではなく、微妙なところです・・・ |
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![]() 高架下の櫓台 |
福山駅の高架下に石垣発見! 後で調べたら三の丸西御門枡形櫓の櫓台だそうです。 窮屈そう・・・ |
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![]() 鞆の浦 |
せっかく福山まで来たし、 鞆に寄って保命酒買ってきました。 そういえば鞆にも鞆城っていうお城あったみたいですね。 また見に行きましょうかね・・・ |
![]() 鞆の海 |
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![]() 福山城縄張り 出典:wiki |
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れんとの春駆け 完 | |||
2010.1.16作成 | |||
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