牧ノ原台地
 明けて明朝。
 空は怪しい雲行き
 ホテルの超豪華な朝ご飯をいただきまして、気も重く出発です。
 なんといってもヘッドライトが壊れてますからねえ。
暗くなる前に自宅に帰らないとイケマセン。
 ・・・が、それでも寄り道するのがrento流。
小学校の頃からまったく進歩していません(笑)
 茶畑の広がる牧ノ原台地を進みます。
どこか北海道を思わせる地形です。美瑛辺りの
でも北海道では茶は育たないですけど。
 で、美瑛と同じく
現在地を見失いやすい地形

でもあるわけです(笑)
案の定現在地ロスト
 そうこうしているうちにアルプスの方から黒い雲がやってきて、
雨を降らせ始めました。
 カッパを着込んで雨に対抗です。
静岡空港横を通過しつつ、目的地をめざします。

ここが今回の目的地
 かなり迷いましたが、ようやく到着。
 「開運」
という日本酒を造っている
土井酒造場
さんです。
 ちょっと古い本なんですが、
とある本で紹介されていたので、
どんなところで造っているのか見学というわけです。
 造りの時期ではないので、ひっそりと静まりかえっていました。

土井酒造場です。

おお高天神城とな
 直販してなさそうだったので、
開運を買えるお店を探しているうちに、
高天神城の看板を発見。
 ターゲット変更して寄っていくことにしました。
(笑)

高天神城遠景

高天神城鳥瞰図
 高天神城(掛川市上土方・下土方)といえば、
徳川VS武田による激しい争奪戦が行われたお城。
 まさに激戦地であった訳です。
 標高132メートル(比高100メートルほど)の小さな山ですが、
急斜面であることと、効果的な曲輪の配置のため、
登城口以外から取り付くことが困難で、
難攻不落でした。
 記録に見えるのは16世紀初頭のことで、
今川氏家臣の福島助春が城代であったようです。
その後は小笠原氏の城となります。
 今川義元死亡後、今川領は徳川・武田の侵入を受けますが、
小笠原氏は徳川に従い、高天神城は徳川の支城となります。
 1571年、武田信玄が高天神城を攻めますが、
この時は落城させる事ができず。
 1574年、今度は武田勝頼が高天神城を攻撃。
 織田家は一向一揆の対応中で援軍を出せず、
徳川家単独で後詰めは不可能でした。
 援軍のないことに絶望した小笠原氏は高天神を開城。
城は武田氏のものとなります。
 1575年の長篠合戦の経て、1580年に徳川家康は、
高天神城の周囲に6つの付城を築いて包囲。
補給を断つ作戦にでます。
 勝頼は後詰めしようとしてはたせず、城内の兵糧は底をつきます。
 1581年3月、城主岡部元信以下は最後の切り込みを敢行。
衆寡敵せず、高天神城は落城します。
 その後、遠江から武田の勢力が駆逐されたためか、
高天神城は廃城となりました。
 

搦め手口
 高天神城は1城別郭のお城でして、
 本丸を中心とする曲輪群と、
現在の高天神社のある西側の峰を中心とする曲輪群に分けることができます。
 搦め手口は、現在は高天神社の参道となっていて、
遊歩道としての整備もすすんでいます。

搦め手門跡

大手門跡
 バイクでぐるっと反対側にまわり、大手門から本丸を目指すことにしました。
 いまはひっそりとしていますが、かつてはここで激戦が行われたんですよ〜
たくさん死者も出たようです。

着到櫓跡
 大手門跡を過ぎてつづら折れを登っていくと、
大手門を見下ろす位置に、着到櫓跡がありました。
 ここにはたぶん見張り台があって、
攻め寄せる敵を監視していたのでしょう・・・
 近くには土塁が残っていました。

土塁の跡

こんな道です。
 一応登山道は整備されていて、登りやすくはなってます。
 が、雨の後だったので、落ち葉が濡れて滑りやすくなってました。
 結構注意が必要です。

階段が整備されています。

こっちが本丸
 つづら折れの山道を登ります。
 これはとっても攻めにくかったことでしょう。
 一気に駆け上ることが出来ないばかりか、
頭上からは常に攻撃を受けるわけですからね・・・

切り通しを登ると・・・

本丸
 ようやく本丸に到着です。
 思ったより狭いところでした。

本丸土塁跡

本丸からの眺め
 本丸からは麓をよく見通すことが出来ます。
 攻め寄せる敵をここから見下ろし、
城主岡部元信はなにを思ったのでしょうか・・・

本丸からの眺め

なにこれ?(笑)
 本丸の隅には、観光地によくある記念撮影用の看板が・・・
 使う人いるのかな?

 本丸の下をぐるりと回っていくと・・・

こっちですわん

石窟
 かの有名な(知らない?)
大河内源三郎政局
(おおこうちまさちか)
が幽閉されていた石窟がありました。
 勝頼に攻められて小笠原氏が降伏した際、
軍監(監視役)に来ていた大河内源三郎は捕らえられてしまいました。
 降伏を勧められましたが、
源三郎は頑として受け入れず、
石窟に幽閉されてしまいます。
 8年間、源三郎は石窟の中で耐え忍び、
1581年の徳川方再奪取の際に救出されたというお話。
 忠義一筋の三河者を第表するエピソードです。

 救出された時、源三郎は歩行困難になっていたそうです。
狭い石窟に8年ですからね・・・

 その後回復したんでしょうか?源三郎は長久手の戦いで討ち死にしています。

解説板

城跡図
 しかし東海地方にはいいお城たくさんありますね〜
 また来たいです。

遠江諸城配置図

搦め手口への道
 高天神城を後にした私。
 開運を売ってるお店を探して、国道150号線を袋井市まで行ってしまいました。
 仕方ないので土井酒造場に電話。
 そしたら掛川市大坂に取り扱っているお店があるんだとか。
 あわてて150号線を東に引き返します。
どうでもいいことですが、この辺りの国道150号線て、北海道ちっくです。(笑)
 大坂のとある酒屋さんで無事「開運」をゲット。
 自宅に発送します。
 お友達ケントさんから、番数さえ合えば車のヘッドライト球がバイクにも使えると教えてもらったので、
掛川市内に向かいます。
 国道1号線沿いにスズキのお店を発見。
 日曜でお休みだったのですが、たまたまいらっしゃった社員の方に球を売ってもらいました。
ありがとうございます。
 で、メカ音痴なりにヘッドライトを外して球を交換。
エンジンをかけてみますが、ライトは点灯せず。
 こうなると早く帰宅しないといけません。
掛川城訪問を泣く泣く諦め、掛川ICから高速に飛び乗ります。
 静岡県を抜けて岡崎を過ぎた辺りで、さっきまでの雨模様がウソのように晴れてきました。
 帰りを急ぎすぎてお昼ご飯がまだだったので、SAでソースカツ丼をいただきました。
 しかし休憩もそこそこに出発します。
 第2名神使ってフル高速で帰ろうとしますが、
吹田でまた通り雨
18:00前、ようやく帰宅しました。
 全走行距離1282キロ
結構走りましたね。1日平均400キロですからね。
私も愛車ジェベルもよく走ります・・・
甲駿訪問記 完
2010.2.26作成
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