くいしん坊@津山にて
 さてさて、仕事してないように見える私ですが、
ホントに仕事してますよ(笑)
 仕事でストレスたまったので、ぶちぎれていきなり高速へ。
 走りながら行き先を考えまして、中国道にのりました。
 いつもの通り宝塚辺りで渋滞してまして、
路肩走ってたバイクが捕まってたりしてましたが、
私は無傷でクリア。
 無事に津山ICに到着しました。
 お店を探しながら国道を走っていると、それらしいお店発見!
 あわててバイクを停めて押して戻ります。
 お店の名前は「くいしん坊」
 今をときめく「ホルモンうどん」のお店です。
 ホルモンうどんと言えば、先日横手市で開かれたB級グルメ大会
初出場3位を取ったそうで。(お友達ヒデオさん情報)
 知らずに出かけた私って・・・(笑)
 で、お店の前にはお客さんが並んで待ってました。
 私もちょこんと並んで待ってました。

ホルモンうどん
 ようやく店内へ。
 ちょっと考えましたが、ホルモンうどんの大盛りを頼みます(870円?)
 で、ようやくやって来ました。
写真を撮ろうとデジカメを・・・
「メディアが入ってません」
へ?
たらたらたら・・・・
気を取り直してケータイで撮影。
「いただきまーす!」
 もぐもぐもぐ・・・

 「ウマー!」
 
 味を解説するとですね、醤油味の焼き肉のタレで、
ホルモンとうどんを炒めた感じです。
 ちょっと濃いですが、とってもおいしい。
 オススメです。

ブルーベリーアイス
(ブルーベリーは地元産らしいよ)
 もう目的を果たしてしまいました(笑)
 帰ろうか迷いましたが、もったいないので寄り道を。
まずはお店の前の電器量販店でSDカードを購入。(笑)
 国道53号線を南下して、ガソリンスタンドの角を右折。
 ダム湖の脇を抜けて(結構楽しい道でした)
道の駅円城に到着。
 ここは8月までブルーベリー狩り出来るらしいのです。
 ブルベリーアイスを食べて小休止です。

備中高松城跡
 円城からさらに国道429号線を南に下ると総社市です。
 足守陣屋の近くを通って備中高松城跡へ向かいます。
(ネタに困ったらとりあえずお城です(笑))
 ここは羽柴秀吉による水攻めで一躍有名になったお城です。
 このお城がいつ頃築かれたは定かではないですが、
廻りの低湿地を天然の堀として(低湿地帯は大軍を動かしづらい)、
土塁だけで築かれていました。
 それを逆手に取ったのが水攻めでした。
 本丸最高所で海抜7メートルの城の周りに
高さ8メートル以上の堤防を築き、
川の水を引き込んで城を水没させてしまったのです。

二の丸からみる
 現在の高松城趾は公園化されていますが、ごらんの通りの低さでして、
「お城はそびえ建つモノ」
というイメージにはほど遠いお城だったのです。
 同じようなタイプのお城には、同じく水攻めにあった太田城(和歌山市)や忍城(埼玉県行田市)があります。
 本丸跡には城兵を救うために自らは腹を切った城主、
清水宗治の首塚がありました。

清水宗治の首塚

堀には蓮が
 かつての堀跡にはが生えていますが、これは発掘調査の際に出てきた400年前の種が発芽して増えたものだそうです。
 蓮の生命力には驚かされますよね〜

備中高松城本丸跡

舟橋でつながっていたそうです。
 高松城の周辺は宅地化が進むものの、まだまだ田園風景が広がり、
かつての湿地帯を偲ばせてくれます。

水攻めの堤防跡
 高松城から1キロほど離れたところには、水攻めの堤防がわずかに残っています。

この鉄塔の高さの堤防でした。
(約8メートル)
 堤防近くには公園があり、発掘調査で出土した土止めの杭などが復元展示されていました。
堤防跡

土俵の跡が残っています
 盛り土には土の入った俵が用いられました。
 当時の地表にはその形が残っていたそうです。

土止めの杭跡

 堤防の高さは8メートル、幅は基底部で24メートル、総延長距離は3キロ以上に及んだそうです。
 攻めにくい低湿地を逆に沈めてしまうとは・・・
 ちなみにこのアイデアは
黒田官兵衛によるもの
だとか。
 さすがは天才軍師ですね・・・

基底部の幅は24メートルあったそうです。

岡山の地ビール「独歩」
 ちなみに有名な本能寺の変は、この高松城攻めの真っ最中に起きました。
 急いで毛利方と和睦し、中国大返しで明智光秀を破った羽柴秀吉は、
天下人への道を歩みます。
 さてさてこの日は岡山泊まり。
 岡山駅前の地下街に繰り出し、岡山土産を物色。
 10年前愛飲していた地ビールがまだあったので、うれしくって飲んでみました。
 小麦を使ったヴァイツェンタイプです。

66666.6キロ
 翌朝は7:30に出発。
 国道250号から県道96号に入って、いつもの国道2号線や岡山ブルーラインとは違う道を試します。
 県道96号線は意外と景色もよくって楽しんで走れました。
 あ、道中愛車の走行距離が
66666.6キロ
を超えました。
 いつも元気な相棒に感謝です。
(^^)v

岡山の風景

坂越港交差点
(角にあるのが旧坂越浦会所です)
 赤穂IC付近で国道250号線に戻ります。
 着いた先は赤穂市街。
 一度痛い目にあった(多くは語りませんが・・・)
塩味まんじゅうをおみやげに購入。
 すぐに赤穂市街を離れます。
 坂越橋を渡ったところで国道を再び離れて坂越港に向かいます。
 ここ坂越港は、瀬戸内海航路の港町として江戸時代は栄えていました。
有名な赤穂の塩は、ここから船積みされて出荷されていたのです。
 瀬戸内の港は(福山市)や室津(相生市)が有名ですが、
ここ坂越もいい雰囲気だしてました。 
 坂越港交差点角に、旧坂越浦会所(入場無料)があったので入ってみました。

落しの間
 旧坂越浦会所は、天保3年(1831年)に坂越村の会所として建てられました。
 建物の二階は赤穂藩主(森家)の別荘として利用されていたことが記録に残っています。
 

藩主の間

箱庭
 1階には箱庭などもあり、とてもいい雰囲気でした。
この時には坂越浦の写真展が開催されていて、人気投票なんかもやってました。
私も投票してきましたよ〜

 あと、店番?の奥様に麦茶を出していただきました。
ありがとうございました。
この日は暑かったのでおいしかったです。

坂越の街並み
 お礼を言って会所を後にして、街をぶらつきます。
 結構いい感じの街並みでしょ?

由緒ありげな建物

奥藤酒造の看板
 坂越の繁栄を偲ばせる酒蔵も残っていました。
 飲んだことない銘柄だったので、買って帰りたかったのですが、あいにく日曜日で・・・
残念です。
 看板の写真を撮ってきました。
 創業慶長6年
(豊臣時代ですよ!)
てのがすごいです。
 坂越って、ほんとに昔から栄えていたんですね!
 ちなみにこの奥藤家の屋敷は西国大名の本陣に当てられていたそうです。
 すごいお金持ちだったんだ・・・

奥藤酒造の建物

光明山妙道寺
 街道沿いには立派なお寺さんも。
 浄土真宗本願寺派(一向宗)のお寺です。
 山門は1753年、奥の本堂は1734年の再建と伝わります。
 大きな建物で、ここにも坂越の繁栄を知ることができます。

坂越街並み館
 奥藤家が明治になって建てた奥藤銀行の建物が、街並み館として利用されていました。
 大きな金庫が銀行であったことを物語ってます。
 

金庫

江戸時代の坂越地図
 街並み館には江戸時代の坂越の地図などが展示されていました。
 街並みは今と変わらないようです。

散策マップ

この坂が地名の由来です。
 赤穂市内には千種川が流れていて、そこから坂越までの間には小さな峠がありました。
 この坂を越えたことから「坂越」(さこし)の地名がついたのです。

お堂
 散策の途中でお堂を見つけました。
 縁起物の彫り物が見事です。
 なんでも江戸時代の作品なんだとか。

縁起物の二股大根

妙道寺を裏から見る
 遊歩道を歩いていると、先ほどのお寺と酒蔵の裏手に出ました。
 どちらも大きくて立派です。

奥藤酒造を裏から見る

坂越城跡
 大避神社近くには、
坂越城跡がありました。
 平地につきだした丘の上に作られたようで、せいぜい砦がいいところの規模です。
 江戸時代は番所に使われたそうです。

江戸時代は赤穂藩の番所でした

沖には生島が
 沖には生島が浮かんでいました。この島が天然の防波堤となり、坂越の港は栄えたのです。
 島の山頂には古墳があるそうで、坂越の歴史の古さが分かります。

坂越城跡からの眺め

大避神社
 大避神社です。
 この神社は1182年の記録(平安時代)にすでに現れている古い神社です。
 本殿は1769年に建てられたもので、航海の無事を祈った舟絵馬が多数奉納されているそうです。
 この神社のお祭り(坂越の船祭り)は国の選択無形文化財です。

坂越の街並み
 生島には舟祭りに使う舟の格納庫、舟倉が残っています。
 坂越には和船の新造・修復を一貫して出来る日本唯一の船大工さんがいるそうですよ〜

舟倉

龍野城隅櫓
 さて坂越を離れて龍野へ移動しました。
 ここは脇坂家5万1千石の居城でした。
 龍野城の歴史は古く、写真後方に見える鶏籠山山上に赤松村秀が1499年に城を築いたのが始まりです。
 その後、羽柴秀吉の播州攻略の際に落城し、
蜂須賀、福島、木下、小出と秀吉子飼いが城主を務めます。
 関ヶ原合戦後は播磨一国が池田輝政に与えられ、龍野城はその持ち城になります。
 池田家が岡山に移った後は譜代大名と天領を交互に繰り返し、
天領時代に城は破却されてしまいました。
 最後に龍野に入ったのは脇坂家で、
龍野城は山下部分のみ陣屋として再建され、
以後脇坂家の一家支配で明治維新まで続きます。
 脇坂家は第二次大戦後まで龍野に住んだため、
未だに「龍野の殿様」として慕われているんだとか。

埋門
 江戸時代の絵図を見る限り、龍野城には多聞櫓と門しか描かれておらず、隅櫓はなかったようです。
再建本丸御殿

埋門を上から見る
 明治維新後に本丸には学校が建てられたので、
城の正面部分はかなり改変を受けているそうです。

和菓子屋さん
 龍野は江戸時代から、地元の麦・大豆と赤穂の塩を使った醤油造りが盛んだったそうです。
 なかでも
「薄口醤油」
は今でも龍野の特産品なんだそうで。
 知らなかったなあ・・・
(^^;
 この年になっても知らない事は山ほどありますね!
 で、城下町にあった和菓子屋さんで、
醤油まんじゅう
いただきました。
 皮に醤油が練り込まれていて、ほのかに醤油が香ります。
 中はこしあんでした。
 龍野に来たらぜひどうぞ〜

醤油まんじゅう

龍野の街並み
 龍野市街は藩政時代から続く細い路地や建物が多く、
城下町の空気を今に伝えます。
 あ、あと関西では知らない人はいないであろう
「ヒガシマル醤油」の本社は、
たつの市にあるそうです。これまた知らんかった・・・
 龍野の薄口醤油の伝統を今に伝えています。
醤油博物館もあるそうです(後で知った)
龍野には、また寄ってみようと思います。 

大手まんじゅう
 今回のおみやげ

 岡山市民に知らぬ者はいない
「大手まんぢゅう」
をご紹介。
 きめ細かいこしあんがとってもgood!の酒まんじゅうです。
 岡山市民はお遣いにこれを使うそうです。
 お隣の倉敷市には、よく似た
藤戸まんじゅう
があるそうです。
 右の写真を見て、
「大手まんぢゅう」
と言えば岡山市民、
「藤戸まんじゅう」
と言えば倉敷市民です(笑)

大手まんぢゅうウマー

むらすずめ
 こちらは倉敷のおみやげ「むらすずめ」です。
 クレープ状に焼いた皮で、あんこを巻いたものです。
これまたとってもおいしいですよ〜オススメ。
れんと、食欲の秋 完
2009.10.3作成
2009ツーレポトップへ
Home