竹原の街並み
 さて、私の友達が体調不良で伏せっているとか。
 「そういう時は体内から
   アルコールで消毒だ〜!!(笑)」

 てな訳で、友達にお酒を送ることにしました。
 どうせ送るならいいものを、ってのがれんと流。
 北に向かうか西に向かうか迷いましたが、
西に向かうことにしました。
 到着した先は、広島県竹原市。
 何度かご紹介したことのある竹鶴酒蔵でございます。
 が!!!
 「し、しまっとる・・・」
 しょうがないので近所で酒屋さんを探して購入いたしました。
自宅に送って一安心です。

〜つーれぽ完〜

瀬戸内の夕暮れ
 というのももったいないので(笑)
夕暮れの瀬戸内
を走ります。
 途中の展望所で、鹿児島ナンバーのオフ車と遭遇。
 荷物満載なので、多分ツアラーでしょう。
 ライダーはなんと女性!
 薩摩おごじょ
恐るべしデス。

瀬戸内の夕暮れ

瀬戸内の夕暮れ
 三原で造船所の帰宅ラッシュと遭遇するのが、この時間帯のお約束。(笑)
 これもまた造船所の多い瀬戸内ならではの風景です。

三原城二の丸石垣
(東舟入跡)
(手前の堀はかつては海でした)
 三原市街から尾道までの国道2号線は結構渋滞します。
 途中でのんびりと三原城見物です。(^^;

かつては海城でした。

お城には松がよく似合う・・・
 三原城は毛利家の東の防衛拠点として、また水軍の基地として、
小早川隆景が1580年頃から整備を開始しました。
 その後隆景は筑前一国を与えられて名島に居城を移しますが、
 養子の秀秋に家督を譲ったのち、三原城で隠居します。 
  隆景は1597年に病死し、関ヶ原の合戦後は芸備50万石を与えられた
福島正則の持城となり、養子の正之が入ります。
 福島時代に海に面して10基の櫓が増築されたようです。
 その後、正則は改易され、紀州和歌山から浅野長晟が芸備42万石を与えられると、三原城へは家老浅野忠吉が新宮から移り、以後明治維新まで続きます。
 この日は時間がなかったので、また出直すことにしました。

府中焼きのお店
 大好きなお城をあっさりとあきらめて先を急いだ理由とは・・・
 やはり食い物でございます。(笑)
 広島風お好み焼きと言えば、知らぬ者はいない(はずの)食べ物です。
 その中でも広島県府中市のお好み焼きは少し芸風が違います。
 それで現在「府中焼き」として売り出し中なのです。
 食い倒れを自負するれんとが見逃すわけはありません(^^;
 さっそくやって参りました〜
 今回おじゃましたのは国道486号線沿いにある
「かたおか」
というお店。
 近所の人らしいおじさん達が酒盛りに集い、店主と将棋を指している
フレンドリーな雰囲気のお店でした。
 若店主?らしい方に話しかけられました。
わざわざ府中焼きを食べに和歌山から来たことを告げると、
とってもうれしそうでした(^^)

府中焼き
 府中焼きと広島焼きはどこが違うのか?
 豚バラなどの代わりに牛ミンチを使うところです
(使わないお店もあり)
 市内にたくさんのお店がありまして、おいしさを競っていると言うわけです。
 なぜに牛ミンチなのか?
 推測ですが中国産地では牧畜が盛んなことが原因かな?
だとすると、津山のホルモンうどんと同じ理由って事になりますね。
 なに?うんちくはいいからお味の方はって?
 はい、おいしゅうございますよ〜
 近くにお越しの際はぜひどうぞ!(^^)
カープソースはさいこうじゃけえのぉ〜

ちなみに府中商工会議所が発行している
「府中お好み焼き地図」
というのを入手してからお店を巡ると効率的かも??

岡山駅の夜
 さて、この日は福山に泊まる予定でした・・・
が、無計画がたたり空室はありませんでした(笑)
さすが三連休初日・・・
 急遽岡山まで移動することにします。
これが意外と距離あるんですよね〜
 23:00前に宿に転がり込みました〜

岡山駅の朝
 翌朝もとっても早起き(笑)
 岡山の友達どんちゃんにあうべく、8:00には宿を出発します・・・
 どんちゃんちでコーヒーをごちそうになり、
翌週のツーリング計画の話なんかで
盛り上がりました。

和気の景色
 13:00前?にどんちゃんちを出発。
途中のコンビニでお昼を済ませて県道を走っていくと、和気の町につきました。
 和気と言えば和気清麻呂(平安時代の貴族)で有名なところ。
 清麻呂ゆかりの遺跡もあるようなので、寄って行くことにしました。
 和気を走っていると、大きな石碑が見えました。
 なんだなんだ〜と寄ってみると・・・

和気清麻呂公碑
 かつて和気氏の政庁が置かれていたとされる場所に、立派な石碑が建ってました。
 建てられたのは
皇紀2600年
(昭和15年)と刻んでありました。
 零戦が採用された年ですね。

和気清麻呂公碑

清麻呂公に関する解説板
 和気清麻呂について少々解説・・・
 和気清麻呂は平安時代の貴族でして、
「宇佐八幡宮神託事件」
で有名なお方です。

こちらは地味な石碑

米が実ってました。
 宇佐八幡宮神託事件とは、称徳天皇の時代の事件です。
 天皇のお気に入りの側近、弓削道鏡を天皇にすれば世の中は治まる、
との神託(神様のお告げ)が、宇佐八幡宮(大分県)から都にもたらされました。
 称徳天皇はこれを確認するために清麻呂を宇佐八幡宮に派遣します。
 清麻呂は都に立ち戻ると、
「天皇家以外の者が天皇になることはできない」
との神託があったと報告します。
 称徳天皇はなぜかこの報告に怒り、和気清麻呂を
別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)に改名させた上で、
大隅国(鹿児島県)に追放します。
(流された先(霧島市)に和気神社があるそうです。(友人syunさん情報))
 称徳天皇が怒った理由は分かりませんが、
実は道鏡を跡継ぎにしたかったのは天皇自身だったとの説が有力です。
 清麻呂は称徳天皇没後に都に呼び戻されて元の名に戻り、
平安遷都などに活躍したそうです。

和気神社
 和気氏一族の氏神である和気神社です。
 清麻呂と姉の広虫が祭られています。
 広虫日本で初めて孤児院を開いた人物として知られています。

和気清麻呂銅像

さざれ石
 神社には
「さざれ石」
が展示されていました。
 「君が代」に出てくるあれです。

拡大

狛猪
 和気神社には狛犬ならぬ
狛猪
がいます。
 宇佐八幡宮神託事件の時、襲われそうになった清麻呂を、100頭の猪が救ったという伝説によるものです。
 ちなみに戦前の10円札には清麻呂が描かれていて、裏には猪が刷られていました。 

狛猪

鳥居
 さて、では参拝です。
 鳥居をくぐって石段を登っていきます。

石段を上がります。

本殿
 本殿までやって来ました。
 手水を使って参拝です。
 ついでにおみくじも引いてきました。
 結構良かったですよ。(笑)

猪伝説の解説板

旧大國家住宅
 さて和気神社にあった小さい博物館にも立ち寄ったんですが、その時に近くにある古民家が公開されているからぜひ見ていくようにと勧められました。
 その名を
「旧大國家住宅」
(重文)
といいます。
 たまたま今日、明日だけの一般公開だからとのこと。
 これは見逃す訳にはまいりません。さっそく行ってみる事にします。
 かつての街道沿いに建てられたこの住宅は、大國家(大森家)が建てたものです。
 大國家は金剛川と吉井川の水運などで栄えた家で、農業や酒造りも行っていた豊かな家柄でした。
 池田家の代官などがたびたび宿舎として利用したほどの立派な屋敷なのです。
 屋敷内の写真も撮りましたが、個人で楽しむだけにしてくださいって言われたので、外観だけご紹介します。
 内部を見ることができてとってもラッキーでした。

この道が旧街道です。

金剛酒蔵の建物
 さて、日も傾いてきましたので帰ることにします。
 来週は久しぶりの大型ツーリング。
 腕が鳴ります(^^)v
れんとの買い物 完
2009.10.31作成
2009.11.1追記
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