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![]() 八代宮参道 |
八代港を経て到着した先は 八代城(笑) またもお城でございます〜 かつての本丸は八代宮という神社の境内になってまして、 かつての本丸南側に橋がかかってました。 |
![]() かつての八代城 |
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![]() 八代宮 |
が、上の絵図面をみてもらってもおわかりの通り、 これは近代になって架けられた橋で、 江戸時代には本丸には東側と北側にしか橋は架かっていませんでした。 〜八代城の歴史〜 現在の八代城を築いたのは加藤忠広(清正の子)でした。 すぐ近くに麦島城というお城があったのですが、 これが地震で倒壊。 すでに時は一国一城令の時代でしたが、 対島津の押さえの城として築城が認められ、 元和8年(1622年)に城は完成しました。 現在の姿になったのは細川時代のこと。 改易された加藤家に替わり、 豊前小倉から細川忠利が肥後一国を与えられて熊本城に入ります。 八代城には、忠利の父である忠興(ガラシャの旦那)が、 隠居城として住むようになります。 忠興亡き後、細川家筆頭家老である松井興長が、 3万石を与えられて八代城に入り、 以後松井家の世襲で明治維新まで続いています。 |
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![]() 本丸大手門 表枡形門 |
築城当時の八代城は、 4層5階の大天守と、2層2階の小天守を持つ立派な城でした。 現在は本丸のみが残されています。 |
![]() 解説板 |
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![]() 本丸大手門の枡形 |
これが八代城の本丸大手、表枡形門です。 写真に写っている人の大きさから、石垣の高さが分かります? 枡形は面積も大きく、名古屋城の枡形にも匹敵する大きさです。 |
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![]() 表枡形門を上から見る |
表枡形門は、櫓門と高麗門を持つ典型的な枡形門でした。 石垣上には櫓があり、厳重な防御力が与えられていました。 |
![]() 表枡形門を上から見る |
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![]() 本丸の石垣上に登ってみる |
かつて多聞櫓が建ち並んでいた石垣上に登ってみました。 城外側からだとかなりの高低差があって、 乗り越えるのは不可能でしょう・・・ |
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![]() 裏枡形門 |
本丸の搦め手、裏枡形門にやって来ました。 こちらは細いL字形の枡形で、かつては廊下橋がかかっていたそうです。 |
![]() 裏枡形門 |
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![]() 唐人櫓台から天守台をみる |
本丸の北西隅には大天守台がありました。 かなり大きいもので、東西10間、南北11間と5層櫓がゆうに建つ大きさでした。 |
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![]() 小天守台 |
八代城の天守には、2層2階の小天守が付属していました。 (連結型といいます。) 名古屋城と同じ形式ですね。 天守への入り方も、いったん小天守に入ってから 大天守に向かう、名古屋城と同じ形式になっています。 |
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![]() 小天守穴蔵 |
こちらが小天守台の穴蔵です。 かつては木の階段があって、1階に上るようになっていました。 今は失われているため、別の所から登れるようになってます。 |
![]() 上から見る |
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![]() 小天守台から天守台をみる |
で、小天守台から天守に向かいます。 天守台も穴蔵を持つ構造になっていました。 それもかなりの広さを持っています。 さすがに加藤家といったところでしょうか? |
![]() 結構広い・・・ |
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![]() 天守台の上に建つ |
天守台からは結構いい眺めでした。 残念ながら天守と小天守は1672年に落雷で焼失し、その後は再建されませんでした・・・ |
![]() 天守台からの眺め |
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![]() 天守台から裏枡形門をみる |
天守はしっかりと裏枡形門を睨んでます。 | ![]() 天守台から小天守台をみる |
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![]() 裏枡形門を抜けて・・・ |
天守台から降りてきて、 裏枡形門を抜けます。 |
![]() かつての廊下橋跡を渡る |
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![]() 北の丸石垣 |
本丸の北側には北の丸の石垣と、堀跡がかろうじて残っていました。 | ![]() かつての堀跡 |
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![]() 本丸堀 |
城オタも大満足(笑) 島津押さえの城、八代城を後にします。 |
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![]() 八代城地図 |
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![]() 石橋 |
八代からは国道3号線を北上。 443号線から218号線とつないで峠越えを目指します。 途中で立派な石橋を発見。 やはり肥後は立派な石工に恵まれていたんですねえ・・・ (通潤橋も立派ですよね) 県境を越えると宮崎県五ヶ瀬村。 そば焼酎雲海の故郷です。 天孫降臨伝説の高千穂町を過ぎ、 一路延岡を目指します。 それはなぜかというと・・・ |
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![]() 直ちゃん |
この日は私の誕生日。 ほぼ同日程でツーリングに出ていた お友達どんちゃんが、 延岡でお祝いしてくれるって言うんですよ〜 (;。;) いい友達だなあ・・・ どんちゃんは友人の丸さん(大分在住)と到着。 三人同じ宿にチェックインした後、ご飯を食べに出かけます。 |
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![]() チキンモモ焼き定食 |
お店はもちろん元祖チキン南蛮のお店 「直ちゃん」 です。 どんちゃんは初めて来たとかで、 チキン南蛮定食を注文。 私と丸さんは初めてじゃないので モモ焼定食を注文。 運ばれてきた料理を、ひとしきり写真に撮った後、 むしゃむしゃと食べ始めます。 「ウマー」 南蛮もいいけど、このもも肉も絶品です。 あんまりウマイウマイ言うもんだから、 どんちゃんが単品で追加注文してました。 どんちゃん食べ過ぎ(笑) 誕生日だからってんで、どんちゃんがおごってくれました。 「ゴチになりま〜す(^^)」 |
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![]() 丸さんのバイク |
翌朝出発しようとしたら、 丸さんのバイクのバッテリが上がってました・・・ 近所のガソリンスタンドにヘルプを求め、 何とか始動に成功しました。 その後、ジョイフルで朝飯をだらだらと食べてたら・・・ |
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![]() 臼杵港にて |
途中で写真を撮る暇もないほど予定が押しちゃいました。(笑) 国道388号から途中ショートカットして佐伯市へ。 佐伯からも県道を走って津久見へ。 津久見からは国道217号で臼杵港へ到着しました。 出港直前の滑り込みセーフです。(^^; |
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![]() 乗船中 |
ここで大分県ライダーの丸さんとはお別れ。 どんちゃんと私だけがフェリーに乗船です。 丸さんは船が出てからも手を振って別れを惜しんでくれました・・・ ありがとう 丸さん! |
![]() 丸さんがあんなに小さく・・・ |
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![]() オレンジフェリー船内 |
私は慣れてるまったりとした時間も、どんちゃんには至って退屈なご様子(笑) 3時間弱の航海中、ずっと 「暇だ〜」 と言い続けてました。 ちょっと新日本海に乗るのは無理かもしれません・・・ |
![]() 展望船室 |
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![]() 八幡浜が近づいてきた! |
八幡浜港が近づき、 ようやくどんちゃんの機嫌も治りました(笑) 下船の準備をして待ちます。 接岸・下船後はいつものコース。 大洲から松山道を走ります。 石鎚山SAで給油と休憩。 どんちゃんと最後の挨拶を交わして再び走り出します。 川之江JCTでクラクションを鳴らして挨拶した後、 どんちゃんは瀬戸大橋へ、私は徳島へ向かいます。 |
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![]() 徳島ラーメン |
どんちゃんから無事帰着のメールが来た頃、 私も徳島市内でラーメン食べてました。 もうラーメンが恋しい季節なのか・・・ ツーリングシーズンもそろそろ終わりだなあ・・・ 徳島からはフェリーに乗船。 フェリー&離島&酒&飯&城 私のツーリング要素をすべて詰め込んだツーリングはおしまいです(笑) |
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Its rento style 完 | |||
2010.1.11作成 | |||
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