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あの煙突は!? |
お城を見に行くと、どうにも話が長くなりますね(笑)
興味のない方には拷問でしょう・・・
そういう方は読み飛ばしてくださってOKです。
さて、笠間を後にしまして、国道50号に戻って西へ向かいます。
県道45号線で南へ。内淀という小さい信号交差点を右折。
村田小学校の前を通って村田集落に入ります。
村田集落は周りより少し高い微高地にありました。
集落の中に目指す煙突を発見!
目的地である来福酒造さんに到着しました。 |

立派な石蔵 |
この辺りは旧国制でいうと下総国になります。
付近の農家でもちらほら見かけた石造りの蔵が、でーんと存在感をアピールしていました。
この辺は蔵を石造りにする文化なんでしょうかね?
蔵に続く板塀も立派なものでした。
板塀もこの辺りでよく見かけました。 |

板塀 |

看板 |
日曜日だったからか、事務所はシャッターが降りていまして、人気(ひとけ)はありませんでした。
来福酒造とは・・・
会社のHPによれば、創業は享保元年(1716年)で、
八代将軍吉宗の頃でしょうか。
「来福」は創業当時からの銘柄なんだそうで、
「福や来む 笑う上戸の 松の門」
というほのぼのとした俳句から取られたそうです。
要予約で酒造り体験もできるそうですよ。
詳細はHPでご確認ください。 |

集落の周りは見渡す限りの田んぼ |
集落の周りは見渡す限りの田んぼでした。
この風景はなかなかお目にかかれませんね。
関東平野ならではです。 |

村田集落遠景 |

筑波山 |
そういえば筑波山を初めて見ました。
結構立派な山ですね。
調べてみたらケーブルで山頂まで登れるようです。
また登ってみたいですね。 |

三国橋 |
集落の中の道を走って県道54号線へ。
国道294号線をまたいで西へ走ります。
県道15,23,20,23,124とつないでひたすら西に向かいます。
途中、結城というかなり心惹かれる市を通過します(笑)
鎌倉以来の結城氏が本拠地を置いたところです。
また次回の楽しみにすることにします。
国道125号線に入りまして、古河市内へ突入します。
ここには古河城がありまして、日光街道の宿場町でもありました。
かつては3重4階の御三階櫓(実質の天守)がある、10万石クラスの城でしたが、
渡良瀬川の改修によって、城跡がほぼ消滅しています。
ここも寄っていきたかったんですが、時間が押してまして・・・(笑)
またいつか来ます。
さて、国道354号線に入って三国橋で渡良瀬川を越えます。
三国橋の由来は、下総・下野・上野の三国にまたがった橋だからです。
渡瀬川は巨大な河川敷を持つ川でした。
森高千里が歌った渡良瀬橋は、もっと上流の足利市にあるそうですよ。
社会の授業で習った足尾銅山鉱毒事件で有名な田中正造が住んだ旧谷中村は、今は渡良瀬遊水池になってます。
国道354号線を走り続けます。
渡良瀬川近くには、どこか釧路湿原を思わせるような雰囲気がありました。
かつての湿原が、開拓されて現在の姿になったんでしょうねえ・・・
やがて道は館林市街へ。
ここには榊原康政の居城であった館林城がありましたが、今回はスルー。
県道83号線を走ります。
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分福酒造 |
目的地の分福酒造に到着。
プレハブの工場っぽい建物で
ちょっと幻滅。
今調べましたら、元は館林市内(館林市仲町)の蔵で、昭和50年ここに蔵を移転したようです。(本社は残っているそうです)
納得。
また城見物ついでに本社に行かないと・・・
分福酒造あれこれ
会社HPによると、創業は文政8年(1825年)で、11代将軍家斉の頃です。
場所は現在本社のある館林市仲町です。
屋号は丸木屋で、銘柄が「分福」です。
館林に伝わる「ぶんぶく茶釜」の伝説から取られたそうですよ。
たぬきが茶釜に化ける有名な民話ですが、館林だとは知らなかったなあ・・・ |

分福酒造遠景 |
蔵の周りは一面の田んぼ。
何度も言いますが、広大な関東平野ならではの風景です・・・
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辺りは一面の田んぼ |

利根川 |
田んぼの中の道を抜けて国道122号線へ。
間もなく利根川を越えて埼玉県へ。
道の駅で地元のお菓子を買ってみました。
あっさりした甘さでおいしかったですよ。
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五家寶
(ごかぼう) |

騎西の絵図 |
ひたすら国道122号線を南下。
加須市騎西に到着しました。
ここには江戸時代初期まで騎西城と呼ばれるお城がありました。
騎西城は、広大な堀を持つ水城でした。
築城時期は不明ですが、何度も攻撃を受けていまして、城主もめまぐるしく変わっています。
戦国時代は小田顕家・助三郎父子や成田泰喬が居城としました。
上杉謙信とかかわりの深い城で、謙信が1563年にこの城を攻略したり、1574年に騎西城下を焼き払った記録が残っているそうです。
北条勢力下にあったこの城は、徳川家康の関東移封後に松平康重が2万石で入り、関ヶ原の合戦後には大久保忠常(大久保忠隣の長男)が2万石で入ります。
忠常は父に先立って亡くなり、跡を子の忠職が継いでいます。
1614年の大久保長安事件で、小田原藩主だった祖父忠隣が改易されますが、
忠職は蟄居(謹慎処分)で済んでいます。
1632年、忠職は美濃加納に転封となり、騎西城は廃城となりまして、
騎西の地は川越藩領となりました。 |

釜屋酒造
愛車が写ってます
ツーリングらしい一コマ(笑) |
城跡には模擬天守が建っていますが、そちらはスルー。
騎西にある釜屋酒造にやって来ました。
釜屋酒造は創業寛延元年(1749年)創業で、9代将軍家重の世でございます。
近江商人であった小森久左衛門(初代釜屋新八)が、
中山道の宿場町である騎西の地に目を付けます。
武蔵野の酒米と利根川の伏流水。
大商圏である江戸にも近い地の利を得て、この地に創業したようです。
主要銘柄は「力士」です。
蔵の近くにあったコンビニで「釜屋新八」買ってきました。
まだ飲んでませんが・・・
一緒の売り場にあった「大七」も買って帰りたかったのは内緒です(笑) |
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さて。
この後、東京在住の友人しいなっちさんと飲む約束がありまして、
東京は府中に行かないといけません。
ルート選定に大いに悩みます(笑)
取りあえず国道122号線を南下。
蓮田市でバイパスを外れて旧道へ。
以前ご紹介した神亀酒造に立ち寄り、お酒を追加購入。
県道322号線で国道16号に出ます。
さいたま市を経由して川越市に向かいます。
途中、入間川手前、国道17号線分岐辺り(だったと思う)で、覆面取り締まりに遭遇。
肝を冷やします。
一台捕まってました。なんとも気の毒・・・
川越市で渋滞・・・
地図でルートを再確認。
県道6号で行くと、距離は近いようです。
が、距離と時間が等しくならないのが南関東の恐ろしさ・・・
まあ考えてもしょうがないので、あっさり県道6号線を行きます。(笑) |
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最初最初はまあまあ快適。
関越自動車道の高架をくぐり、埼玉でよく見るアップダウンの道を走ります。
が、新所沢駅の手前からえらい渋滞・・・
渋滞の先頭まで来てみると・・・
「オーマイガッ」
西武新宿線の踏切が、道を通せんぼしてるではありませんか!
「信じられん・・・」
結構都会なのに、高架工事が進んでないんだね・・・
県道50号線は結構快適。
ライオンズの旗が翻る通りを走り抜け、国道463号線に合流。
所沢駅前を避けるべく、か弱い抵抗を試みます・・・
国道463号線から県道4号線へ。
小さく所沢駅を迂回します。
西武池袋線の下をくぐり、西武新宿線をまたぎ、ほっと一安心です。 |
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久米川町の三叉路を右折。県道16号線に入ります。
「おお府中街道って言うのか」
道なりにいけば府中に着くはず。
「うむ」
「・・・・」
「うむむ???」
東村山ってここなんだな〜(ドリフ世代なので)とかのんきな事考えている間に、
あっさり渋滞に捕まります。
「おいおい、今度はなんだよお〜」
渋滞の先頭まで来てみると・・・
「またおまえか!(怒)」
再び西武新宿線の踏切が通せんぼでした・・・
「いーかげんにしなさいっ」
ツッコミでかわします・・・
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西武多摩湖線は高架でした。
「よしよし、やればできるんじゃないか〜」
ダイエー前からは道が片側2車線と思いきや、
「またか!」
今度は西武拝島線の踏切が・・・
「西武は関西モンに冷たいのう・・・」
拝島線を過ぎてブリジストン東京工場前は快適な片側2車線。
「いいよいいよ〜」
といきなり行き止まり。
「なになになに?」
青梅街道とぶつかったところは印象的なクランクになっていました。
「へ〜」
クランク越えて再び府中街道。並木道になりました。
「お、涼しい〜」
9月とはいえ、やはり日差しは厳しいのです・・・
「お、女子大だ!(ハート)」
津田梅子創始の津田塾大学がありました。
女性の教育に生涯を捧げた津田梅子。
旧幕臣の娘に生まれた梅子は、日本初の女子留学生としてアメリカに渡ります。
帰国後、再留学や家庭教師を経て津田英語塾(現在の津田塾大学)を設立。
現在に至ってます。(早)
「6歳でアメリカだもんな〜」
私には真似できませんね・・・ |
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またも渋滞と思ったら、今度は西武国分寺線の踏切でした。
「もう西武嫌い」
南海ホークスを徹底的にいじめた(南海が弱かっただけという説も)あげくのこの所行・・・
「許せん!」
勝手に熱くなるおっさん1人・・・
西国分駅通過〜
「この辺がhiroさんの縄張りなのね」
1人で納得しながら走ります。 |
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西国分寺の辺りからJR武蔵野線と併走。
この辺りはとっても走りやすかったです。
左手に府中刑務所の高い塀が見えてきました。
「こんなところにねえ〜」
市民球場を過ぎたところで酒蔵発見!
野口酒造店って書いてありました。
友人しいなっちさんの話では、現在は造っていないとのこと。
同じ府中市の宮西にも野口酒造(中屋久兵衛って書いてある。分家?)てありますが、
こちらも現在は造っておらず、原酒をよそで購入して販売しているようです。
府中市にある大國神社(けっこう大きい)の御神酒として始まった蔵のようです。
そんなこんなで無事府中に到着〜!
お友達のしいなっちさんと、
4時間くらい飲んでました(笑)
相変わらずしいなっちさんはぼそっといいこと言うんだよなあ・・・
お酒の造りの話で盛り上がりました。
しいなっちさん、子供の話をしだすと止まらないんです。(笑)
「かわいーんだよ、かわいーんだよ!」
って連呼していました。
ちょっとうらやましいですな・・・ |
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さて、翌朝もすっきりお目覚め。
ホテルのサービス朝食をしこたま平らげて出発。
国道20号を西へ。県道18号へ左折。多摩川を渡河します。
ひたすら県道18号線を南下し、県道3号線に合流。
町田で県道51号線に抜けたかったのですが・・・
気がつくと県道141号線を走っていました(笑)
しょうがないので町田市辻まで走り、国道246号線に入ります。
国道246号線では、白バイ3台、パトカー2台が出て、ねずみ取りやってました。
さすが桜の代紋、大がかりです(笑)
私はたまたまペース落としていて難を逃れました・・・
下今泉で246号線を降り、近くにある泉橋酒造を訪問します。 |

今日はお休みでした・・・ |
泉橋酒造は安政4年(1857年)創業です。
時は13代将軍家定の世でして、安政元年にはペリーさんも浦賀にやって来てます。
名前の由来は相模川支流の泉川にあった橋場(船着き場)に酒蔵があったからだそうです。
全量純米酒の蔵で、酒米を自家栽培するなど力の入った酒蔵さんのようです。 |

泉橋酒造遠景 |
酒蔵の周りは田んぼになっていて、酒造好適米(酒造りに適した品種)が栽培されていました。
亀の尾は山形県の酒造好適米で、一時栽培されていませんでしたが、久須美酒造と鯉川酒造が復活させました。
これが「夏子の酒」という漫画のモデルになりました。 |

こちらは亀の尾 |

これが五百万石 |
五百万石は新潟県の酒造好適米です。
新潟県の米生産量が五百万石を突破したのを記念して命名されました。
雄町は現在の岡山市中区雄町で栽培されて有名になった酒造好適米で、栽培場所の地名がぞのまま品種名になりました。
栽培が難しいため、改良品種である山田錦に押されていましたが、最近復活復活傾向です。
岡山県赤磐市の雄町が、最高品質のものとされています。 |

これが雄町です。 |

龍馬とお龍のかかし |
田んぼではかかしのコンテストが開催中のようでした。
左の龍馬のかかしが最優秀作品だったようですよ。 |

川西屋酒造店 |
海老名からは国道246号線をひたすら走ります。
静岡県との県境の街、山北町にやって来ました。
ここには川西屋酒造店があるのです。
川西屋酒造店は創業明治30年(1897年)です。
時は明治天皇の御代でして、1894年には日清戦争がありました。
主要銘柄は「報徳娘」「丹沢山」です。
「報徳娘」は、小田原藩の財政改革に力をふるった二宮尊徳の報徳仕法から。
「丹沢山」は神奈川県の山の名前です。 |

街道らしい風景ですね
(あ、バイクが写ってます。珍しい・・・) |
国道246号脇の県道76号線沿いに酒蔵はありました。
昔はこちらが国道だったんでしょうねえ〜
街道の雰囲気を残すいい道でした。
山北町を過ぎると、国道246号線はものすごい渓谷の中を走ります。
それもそのはず、この辺りは伊豆半島が本州にめりこんでいる地帯なのです。
簡単にいいますと、伊豆半島はその昔は伊豆大島のような島だったのです。
フィリピン海プレートに乗っている伊豆半島は、本州の下に潜り込んでいるプレート移動によって運ばれ、やがて本州とぶつかりました。
その影響で噴火が始まり、富士山が出来たという訳で。
すごい景色だったんですが、走っていて楽しかったので写真を取り損ないました・・・
ぜひご自分でどうぞ(笑) |

国道246号線御殿場付近 |
国道246号線をしつこく走り、沼津で国道1号線に。
高速代金を安く上げるため、下道をがんばります。
富士市あたりでまたもねずみ取りに遭遇。
今回もたまたまのんびり景色を見ていて難を逃れました(笑) |

しらすご飯ときつねうどん
申し訳程度の桜エビが泣かせます(笑) |
ケツが痛くなったのでお昼ご飯に。
富士市の道の駅でしらすご飯ときつねうどん食べました。
きつねうどん、関東風の黒いつゆでしたね〜
ちょっと感動しました。
由比の景色はいつみてもいいですねえ〜
東海道の雰囲気が良く残っています。
静岡市の1号バイパスは大渋滞。
この渋滞の原因は、路側帯の壁につっこんだビクスクが原因でした。
急に路肩が狭くなるところだったので、たぶん路肩を走っていたんでしょうね・・・
浜松ICで我慢しきれずに高速に乗ってしまいました。
ETCないから高く付くんですよ・・・
でも豊川あたりで1号線混むしねえ〜 |

夕日は地元で見ました。 |
浜名湖SAでは入りきれない車列が本線まではみ出てきてました。
危ないんだよなあ〜休日千円も良し悪しですね。
新城、赤塚PAも同じ状態でした。(^^;
豊田JCTで伊勢湾岸道へ。
ガソリンがやばくなってきたので、刈谷で給油。
これでお家まで帰れるので一安心です。
ETCない私は、名阪国道をチョイス。
ETC適用ない名阪国道は、休日はわりと空いていていい感じでした。
ちょうど日没前に地元に到着。
1640キロ走ったツーリングも、これにておしまいでございます。
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関東駆け足ツーリング 完 |
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2010.10.4作成 |
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