日本オオカミの銅像
 さてGWも終盤にさしかかりました。
 お金はない
が(日本酒買いすぎ(笑))
ツーリングは行きたい!
 と言うわけで、日帰りツーリングに出かけました。
 7:30、自宅を出発。
 国道24号線を東に走り、奈良県に突入。
 五條市で県道39号線へ。国道168号線から国道370号線へ。さらに県道16号線から国道166号線に入ります。

ニホンオオカミが最後に捕まったのが、
ここ東吉野村なんだとか

もうすぐお終い
でもとってもきれいでした
 和歌山から松阪に向かうこのルートは、伊勢街道(和歌山街道)と呼ばれ、
江戸時代初期の紀州藩参勤交代のルートだったんですよ。
 東吉野村でニホンオオカミの銅像と、散り始めた桜を見ました。
 国道166号線高見峠を越えたんですが、
トンネルの中は冷蔵庫のように冷たくて、
夏用のジャケットで来たことを痛く後悔しました。
 高見峠を越えると三重県です。
 今回は国道166号線を途中で外れ、国道432号線に頭を突っ込みます・・・
が、国道432号線、「酷道」でした。
 舗装はされてますが、細いのなんの・・・
林道チックでしたね。
 途中いくつかの「○○城跡」の看板を見かけますが、
今回はスルーです(笑)
たぶん山城なので、見るのに時間がかかりそうなので・・・

ないしょ餅
 大台町に入ってから県道31号線に入りまして、大台町市街へと向かいます。
こっちのほうが国道より道が良かったですね〜(^^;
 日本有数の多雨地帯「大台ヶ原」の麓だけあって、
妙な雲がもくもくとわき上がっていて、
ぱらぱらと雨が降ったりしまして、ちょっとヒヤヒヤしました。
 で、大台町役場前に到着。
隣が道の駅だったので、ちょっと休憩します。
 道の駅の売店で豚生姜丼が300円だったので、ここでご飯にすることにしました。
 食べ終わってから店内を物色すると、おいしそうなおまんじゅうが・・・・
「ないしょ餅」って言うらしいですけど、
製法がないしょってことでしょうかね?(笑)
 とってもやわらかくっておいしかったです。
オススメ

茶畑が広がります。
 ご飯を済ませて国道42号線を北上。
 新田交差点を右折して、県道709号線に入ります。
 この辺りは伊勢茶の産地なんだそうで、
道沿いにもたくさんの茶畑を見ることができます。
生産量は全国3位らしいのですが、加工用原料(アイスクリームとか)のシェアは日本一らしいですよ・・・

元坂酒造
創業 文化二年
(1805年)
間宮林蔵が樺太探検してた頃です
 そんな茶畑の中に、目指す元坂酒造はありました。
こっちが事務所?

燕が巣作り中
 事務所の入口?の表札の上では燕が巣作りの真っ最中でした。
昔から燕が巣作りするお家は栄えるっていいますよね〜
 元坂酒造さんも商売繁盛間違いなし!(^^)

ラインナップ
 元坂酒造さんでは直接購入することができます。
 蔵元オススメは左端の無濾過生原酒だったのですが、生酒は保管が面倒。
と言うわけで、三重県産の酒米「伊勢錦」を使った純米吟醸酒を買ってきました。
楽しみです。

伊勢錦の純米吟醸

旧東海道
 勢和多気ICから津ICまでは無料実験実施中とかで無料になってました。
 タダで使えるものはがっつり使わせていただきますよ〜(^^
で、勢和多気ICから高速に乗ったのですが・・・
 酒蔵巡りのタネ本に見落としがありまして、
元酒酒造さんから2キロほどのところに河武醸造さんがあったのですが・・・
寄ってくるの漏らしました
orz
 帰ってから気づきました・・・
近いうちにまた行ってきます。(笑)
 それはさておき、無料区間の終点の津ICで高速を降りまして、
国道23号線バイパスを北上。
 国道306号をすこーし走って県道651,国道23号線を走ります。
 国道23号線は交通量が多いですが、道がいいので流れは悪くないです。
「そういえば昔神戸城見に来たっけな〜」
 神戸城のある鈴鹿市を通過し、四日市市を目指します。
 四日市といえば、小学校の社会科の授業で
「四日市ぜんそく」
な〜んて習ったもんですが、海岸部は化学工場が建ち並び、
煙突から煙を吐き出していました。
「こ〜んなところにうまい酒なんてあるのかな〜」
 富田浜ってところで国道23号線を離れて国道1号線へ。
さらに県道26号、66号を走ります。
 この県道66号線は旧東海道なんだそうで、
雰囲気が良く残っていました。

タカハシ酒造
(おお!?ツーリングらしい写真です)
 そんな旧東海道をちょっと脇に入ったところに、
タカハシ酒造さんはありました。
 創立は文久2年(1862年)なんだそうです。
 坂下門外の変や、将軍家茂と皇女和宮との婚儀があった年であります。

こちらも直販あり
(日曜・祝日休み)
(〜16:00まで)

天遊琳
特別純米酒
 気づいてしまえば当たり前なのですが、江戸時代から続く酒蔵は城下町や街道筋にある(市場があるから)で、酒蔵を訪ねると近くに結構いい雰囲気の街並みが残っていることが多いです。
 タカハシ酒造さんでは、天遊琳の特別純米を買いました。
 バイクで酒蔵巡りだと、試飲できないのがつらいです・・・
帰ってからの楽しみにしましょう。

通りがかりの酒蔵
安達本家酒造
 せっかくなので国道1号線にすぐに戻らず、しばらく旧東海道をたどってみました。
 昔からの建物は少なくなってはいますが、結構雰囲気は残ってます。
 道もまっすぐではなく、かつての集落の入口がクランク状になってたりします。
 やはり街道沿いには酒蔵がありますね〜
別の酒蔵を発見しました。
 道はやがて国道1号線に飲み込まれます。
 私は桑名市に入りました。

桑名城堀
 桑名市には桑名城があります。
 過去何回か訪れてはいるのですが、日もとっぷり暮れた時だったので、一度ゆっくり来たかったのです。

桑名城堀

桑名城絵図
 桑名城跡は、現在九華公園と呼ばれてます。
 なぜ「九華」かと言いますと・・・
九華は「くはな」で、旧仮名遣いだと「くわな」と読むってことなんだそうで。

現在の桑名城

桑名城天守台跡
 戦国時代からこの地にはお城がありましたが、近世桑名城を築いたのは、
かの有名な本多平八郎忠勝です。
 関ヶ原合戦後の1601年、忠勝は桑名で10万石を与えられ、
桑名城の築城を開始します。
 桑名城は揖斐川を背にした水城で、船着き場も整備されました。
 4重6階の天守、51基の櫓、46基の多聞
が並んだ立派なお城でした。
 なんせ東海道の要衝にあるので、徳川家の威光を示す必要があったのでしょう。
10万石には過ぎたお城になりました。
 1617年、二代忠政は姫路に転封になり、
松平(久松)定勝(家康の異父弟)が入ります。
 次の定行の代に伊予松山に移封。
替わって定行の弟である定綱が美濃大垣から入ります。
 三代目定重の時代、1701年に桑名城下は大火に見まわれ、
この時天守は焼失。
以後再建されませんでした。
 1710年、定重は家臣への処分が重すぎて幕府の不興を買い、越後高田へ転封。
 替わって備後福山より松平(奥平)忠雅が入り、七代続いて武蔵忍へ。
 後には越後高田へ移封された松平(久松)家が白河を経て桑名に戻り、
明治まで続きます。
 幕末の藩主定敬は、高須松平家(尾張徳川家の分家)からの養子で、
実の兄には徳川慶勝(尾張藩主)松平容保(会津藩主)がいます。
 京都所司代を務めた関係で、京都守護職を務めた兄容保と同様に新政府軍に睨まれ、
函館まで転戦します。
 藩主不在の桑名藩は、新政府軍に対して無血開城。
 降伏の証しとして、天守代用の辰巳櫓を焼かれています。
 新政府軍の敵となった桑名藩の扱いは明治に入ってからも冷たいもので、
桑名城の石垣は、四日市港建設資材として引きはがされてしまいました。
 このため現在の桑名城はかなりひどい状態です。

 写真の天守台も旧来からこうであったわけでなく、
元の天守の位置に残った石材を集めて作ったもののようです。

辰巳櫓跡
 本丸の辰巳(南東)にあった辰巳櫓跡です。
 石垣がはがされているので土塁にしかみえませんね・・・

解説板

辰巳櫓跡を二の丸から見る
 辰巳櫓の右側は内堀だったのですが、埋め立てられてグランドになっています。
本丸大手門跡

二の丸に残る石垣の残石
 二の丸にはかすかに石垣の痕跡が残ってます。
 余計に侘びしく感じるのは私だけでしょうか・・・

侘びしいですねえ・・・

三の丸石垣
(写真右側)
 城の外堀に面した三の丸石垣だけが、築城当時の様子を今に伝えています。
 が、揖斐川につながってるもので、ボートがたくさん繋留されていて、風情はないですねえ・・・

ズームしてみました。

旧東海道
 三の丸のすぐ外側には
東海道
が走っていました。
 有名な七里の渡し跡は、三の丸外側にあります。

東海道案内図

七里の渡し跡
 今は護岸工事でなんの風情もなくなっていますが、ここが七里の渡し跡です。
 熱田神宮前の宮宿まで海上七里を船で渡っていたのです。

七里の渡し跡遠景

幡龍櫓
 その渡しを城内から睨んでいたのが、この幡龍櫓です。
 東海道の旅人には大変印象的な櫓だったらしく、初代広重の東海道五十三次にも桑名宿の風景として、七里の渡しと幡龍櫓が描かれています。
 
 現在の幡龍櫓は外観復元でして、中は水門管理所になってます。
 たまたま管理所の位置が櫓の位置だったので、外観を復元したらしいです。
 国土交通省もたまには粋なことしますね。
 

幡龍櫓

東海道五十三次
「桑名宿」
七里の渡しと幡龍櫓
 さて、桑名の名物と言えば「蛤」でしょう。

 「その手は桑名の焼き蛤」

(「その手は「食わな」い」と「桑名」の語呂合わせ)
と言うくらい、桑名の蛤は有名でした。
 現在も市内のあちこちに蛤料理のお店や、
蛤のしぐれ煮なんかを販売しているお店がたくさんあります。
 お菓子でいうと「安永餅」なんかが有名ですね。
御在所SAなんかでも売ってますが、粒あんの入った細長い焼き餅です。
 江戸の頃からの名物で、茶店などで提供されていました。
同形態のお餅は、桑名、四日市、鈴鹿あたりで広く食べられていまして、
四日市では「永餅」という名前で売られています。
 この辺は岡山市の「大手まんぢゅう」と倉敷市の「藤戸まんじゅう」の関係とよく似てますな。

安永餅

友喜酒造
 さて、時刻も16:00をまわりました。
 帰路につくことにします。
 今回は「お金をかけない」(酒代・・・)のがテーマ。
 渋滞の国道1号線を走り、亀山へ。
亀山からは名阪国道を走ります。
 んで、伊賀一の宮ICで下車。
 ICのすぐ近くにある友喜酒造さんに寄ってきました。
 

るみ子の酒
山廃純米吟醸
 友喜酒造さんは年間200石の小さな蔵ですが、
全量純米の酒造りなどこだわりの酒造りをしている蔵です。
 「夏子の酒」で有名な尾瀬あきらさんと親交があるようで、
銘柄の一つ「るみ子の酒」では、尾瀬あきらさんがイラストを描いてます。
 おすすめ!と書いてあった山廃純米吟醸を飲んでみました。
おいしいお酒です。
おすすめ!
 

平和酒造
 もう一軒、上野の蔵を訪ねました。
 こちらは上野市街、イオンの近くにある蔵です。
 着いたときはもう18:00まわってまして、閉まってました。
 お酒はまた今度買いに来ることにしました。
 
今回は休憩なども入れて14時間走りまして、481キロ走りました。
 有料道路は一切走りませんでしたよ〜
(^^)v
 しかし河武醸造、近くまで行ったのに惜しいことしたなあ・・・

「みつくり」
というお酒を醸してます。

高見峠のループ橋
 はい、と言うわけで
翌週末

に忘れ物を取りに行ってきました(笑)
 今回も元気に高見峠を越えていきます。
 去年の夏にそば屋さん達も越えてったようですね〜(笑)
 途中の道の駅飯高で、でんがら餅伊勢茶もゲットしましたよ。

でんがら餅と伊勢茶

むむ、あの大きな建物は?
 さて、多気町に到着。
 県道150号線を走りまして、五桂湖に到着。
 池にはボートが浮かび、たくさんの家族連れでにぎわってました。
 もちろん私はスルー。
 五桂湖から町道?で北に向かいます。

これじゃないかな?

ついに発見。河武醸造
 よーく見てみると、集落の中に大きな屋根の建物が。
「あれじゃないかなー」
と当たりをつけて近くまで来てみると、どんぴしゃり!
 河武醸造さんに到着しました〜
 しかしこの日はお休みらしく、ひっそりと静まりかえっていました。
(造りの時期もとっくに終わってますしね)
 写真だけ撮って帰ろうとすると、事務所の中に奥様らしい方が!
 この日はお休みだったらしいのですが、
特別に販売していただけることになりました。
ラッキーです。
 いろいろあって悩んだのですが、ちょっと変わったのをと思い、
三重県産「弓形穂」という酒米を使った特別純米酒(無濾過原酒)を購入しました。
 ここで教えていただいたのですが、
今テレビで「高校生レストラン」というドラマをやってるそうなんですが、
そのモデルになった高校が近くにあるそうなんですよ。
(相加高校っていうそうです)
 なんでも高校生が運営しているレストランなんだそうで、
地元がドラマ化ってんで盛り上がってるそうです。
地元紙のドラマ化号外いただきました(笑))
 で、そこで使っている醤油を、ここ河武醸造さんで造ってるそうなんですよ!
 昔は酒も醤油も造ってますって蔵は多かったようですが、最近では珍しいですよね!
酒も醤油も同じ微生物相手の仕事だから大丈夫なんでしょうね。

いい雰囲気です。

鉾杉
弓形穂
特別純米 無濾過
 河武醸造さんの主要銘柄は
「鉾杉」
です。
 ここからほど近い伊勢神宮にある杉が鉾の形に似ていることからの命名だそうです。
(紀伊山地は杉が多いので、私には親しみやすい名前ですね。)
 創業は安政四年
老中阿部正弘が亡くなった年ですな。
 翌年には13代将軍家定島津斉彬が亡くなってます。
 こうしてみると、幕末創業の蔵って結構多いですよね?
 結構政情不安定だった頃なのになあ・・・なんでだろ

 ちなみに醤油は薄口、濃口、たまりがあります。
 こちらもおいしいですよ。
 
 この後すぐに帰るのもったいないので、ちょっと伊賀に寄って友喜酒造さんで酒買い足して来ました(笑)
 これにてお開きでございます。

こっちはたまり醤油
こんどこそホントに伊勢・伊賀酒蔵巡り 完
2011.5.7作成
2011.5.22追加
2011年ツーレポトップへ
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