夏みかんの砂糖漬け
 前回写真を載せ忘れました。
 これが夏みかんの砂糖漬けです。
シンプルなおいしさが魅力の一品・・・

オススメです!

 意外と知られてないんですが、砂糖って塩に負けないほど防腐効果があるんですよ!
ジャムなんてのは、そもそも果物を長期貯蔵するためのものですからね〜


 お城を堪能したので萩市を出発。
 今回も幕末志士関係スポットはスルーしてしまいました(笑)
いつになったら立ち寄るんでしょうかね?
 国道191号線を海沿いに北上。
 才が峠ってところで県道14号線へ。
県道10号線〜国道315号線を経て、再び県道14号線を走ります。
 県道からちらっと小川郵便局を発見。
この近くにある酒造場にお邪魔します。

この集落の中にあります
 こちらが澄川酒造場さんです。
 「東洋美人」というお酒を醸してます。
 創業は1921年(大正10年)です。
 入口でうろうろしていると、ヒゲの男性を発見。
 おそるおそる直販しているか聞いてみると、やってるとのことだったので、買って帰ることにしました。

入口

澄川酒造

東洋美人611
 途中から若い方(杜氏さん?)が対応してくれました。
 何がいいですか?と聞かれましたが、私もよく分からない(笑)ので、
「何かオススメのものはありますか?」
 と逆質問。
「これなんかどうでしょ?」
 ってことで勧められたのが、こちら。
「東洋美人611」
でございます。
 澄川酒造場は大字中小川611番地にあるのですが、蔵の脇にある田んぼで採れた山田錦で仕込んだお酒なんだそうです。
 数字の611は住所に由来しているってことです。
 「これから出荷するとこなので、お客さんは日本で一番早く飲まれることになりますね」
とのこと。
 さっそく飲んでみました。
 さわやかな吟醸香。すっきりしてるけど味はある。
大変おいしいお酒でした。
 澄川酒造場さん、どうもありがとうございました。

この田んぼで採れた山田錦でつくられました

ラベル

石州瓦の美しい農家
 澄川酒造場を出発し、ひたすら県道14号線を走ります。
 石州瓦(オレンジ色の瓦。石州(島根県西半分)あたりでよく見かけます)のきれいな農家や、田植えの終わった田んぼで餌を探す鳥たちに癒されながらの道中となりました。
 やがて県境を越えて、山口県から島根県に入ります。

田植えの終わった田んぼに鳥たちが

高津柿本神社
 途中で柿本神社を発見。
 歌聖柿本人麻呂を祀った神社でございます。
戦前は県社だったそうです。
 初めは人麻呂が没したといわれる益田川河口にあったそうですが、
津波などで流されたりしまして何度か移転を繰り返し、
1681年に津和野藩主亀井茲親により、現在地に移されました。
 この場所にはもともと高津城というお城があったそうで、
地図を見てみると「なるほど」と思わせる地形ですね。

 県道14号線はやがて国道9号線に合流。
益田市街へと入っていきます。

まさに「なるほど」の立地(笑)

桑原酒造
 益田市の中吉田町交差点(国道9号線と国道191号線が交差する要所)にほど近いところに、桑原酒造さんがあります。
 「扶桑鶴」
というお酒を醸しています。
 扶桑というのは日本の古称で、戦艦の名前にもなってますね。
 めでたい鶴のように日本を代表する銘酒として羽ばたくってことらしいです。
 創業は1903年(明治36年)です。
 直販もやってまして、私も買って参りましたが、まだ飲んでません(笑)
 飲みましたらまた感想を追記したいと思います〜
 

石州瓦の神社
浜田市三隅町の湊八幡宮
 お昼も過ぎたし、どこかでお昼を〜とか思ったんですが、
取りあえずマクド以外にお店を発見できず。
 日本の地方都市の多分に漏れず、益田市のさびれっぷりもなかなかのもんです。
 仕方ないので国道9号線を北上開始。
 市外から外れたところにラーメン屋を発見したので入ってみました。
 味噌ラーメンと半チャーハンセットで1000円という立派なお値段のわりには、
満足感はいまいち・・・
 島根県ではおいしいご飯に当たりませんなあ・・・
(除く出雲そば)

 国道9号線を走りまして、岡見というところで県道171号線へと左折します。
 左手に巨大な発電所の建物が見えまして、
今話題の原発か
とびっくりしますが、後で調べたら火力発電所(中国電力三隅発電所)だということで、一安心です。
 旧街道の趣を残す、細い県道を走って三隅川を渡ります。
 渡ったら道が右にカーブしまして、カーブの出口で今度は左に鋭角ターンで県道から離れます。
 これまた旧街道の雰囲気を残す細い道を走ると、目指す日本海酒造に到着です。

日本海酒造
 こちらが日本海酒造さんです。
 創業は明治21年(1888年)です。
 元々は那賀酒造という名前だったそうですが、大海原のように広く愛される酒造りってことで昭和25年に現社名に改名したそうです。
 現在の杜氏さんは但馬杜氏です。
 「環日本海」というお酒を醸してます。

 こちらでは「白ブタ」という濁り酒(濾過・火入れ等してない生酒。微炭酸)を買いました。
 この日の夜飲みましたが、甘くておいしいお酒でした〜

純米吟醸「まどろみ」
スッキリしてますが、旨みしっかり。
とっても( ゚v^ ) オイチイ

街道の雰囲気がよく残ってます
 日本海酒造さんのある集落は、日本海の港町だったようで、古い建物がたくさん残ったいい街でした。
古い商家?

浜田城絵図
 浜田市三隅町から再び国道9号線を北上。
浜田市までやって来ました。
 浜田市には浜田城があるのです。

浜田城の歴史
 1619年、古田重治が石見の国で5万4千石を与えられ、
翌1620年に浜田城の築城を開始しました。
 城が完成したのは1623年のことでした。
 古田家は次の重恒の代で無嗣断絶。
 外様大藩であった長州藩と隣接する浜田城には、以後譜代・親藩が入ります。
本多中務大輔家(本多忠勝の嫡流)も一時浜田に入ってます。
 幕末時には松平(越智)家が浜田城主でした。(6万1千石)
越智松平家は、6代将軍家宣の弟である松平清武から続く家柄です。 
 最後の藩主は松平武聰(まつだいらたけあきら)で、水戸徳川家からの養子でした。
 15代将軍慶喜の実弟であったため、慶応2年の長州征伐では幕府側について闘いますが、大村益次郎率いる長州兵に敗れ、領内への侵入を許します。
 城下まで迫られた浜田藩は大混乱。
 結局、浜田藩単独では戦えん!ってことになり、お城に火を放ち、戦わずして退却しました。
 浜田城の建物は、この時にすべて失われてしまいました・・・
 浜田は長州軍に占領されたため、松平武聰は浜田藩の飛び地領があった美作国鶴田(現:岡山市北区建部町鶴田)に逃れ、明治維新は鶴田藩として迎えました。
 

浜田城現状
 浜田城は浜田川に囲まれた亀山(標高68m)に築かれました。
 西と南は浜田川が外堀となり、北は海、地続きの東側を内堀と外堀で遮断した縄張りでした。
 浜田は北前船の港町であったため、海側からの眺望も意識した造りになっていました。
 

浜田城復元CG

駐車場の外れにある、旧浜田県庁門
 現在、お城への入口はわかりにくく、国道9号線城山交差点を西に約50m走ったところにある右斜めに入っていく坂道を登っていかなくてはいけません。
 この坂道を登っていくと護国神社があり、神社の駐車場にバイクを停めて本丸を目指します。

右折れの石段

一二三段の石垣
 登り始めるとすぐに門がありますが、これは旧浜田県庁門で、城門ではありません。 
 昭和42年に現在地に移設された門で、もともとは津和野藩庁の門だったそうです。

三の丸石垣

解説板
 城内にはきれいな解説板が建てられていて、お城見物しやすくなっています。
 右の写真は破壊された石垣の跡です。
 もともと出丸の石垣があったのですが、明治期に石段を建設する際に破壊されたものです。
 石垣の裏に込められた裏込め石が露出しています。

破壊された石垣の跡

三の丸へ
 浜田城では、この三の丸から本丸までに土塀を巡らせており、
三の丸以下では石垣のみでした。
 城下から見える部分だけに白漆喰の土塀を建てていたことから、
浜田城は実戦の城というより、権威の象徴であったことが分かります。

二の門跡
 二の丸の入口には櫓門が築かれており、二の門と呼ばれていました。
 二の門はいわゆる枡形門で、この形式の門は、浜田城ではここにしかありませんでした。
 ただし枡形門は通常二つの門で構成されるのですが、浜田城では櫓門一つしかなく、戦いのなくなった時代の造りであると言えます。

解説板

本丸一の門跡
 二の丸を抜けると本丸一の門跡があります。
 一の門には六間長屋と呼ばれた多聞櫓が接続していました。

六間長屋石垣

本丸
 本丸には多聞櫓の他に、5坪ほどの玉蔵(弾薬庫)と、三重櫓(天守)が築かれていました。
 本丸の広さは821坪半と記録に残っているそうです。

解説板

解説板
 本丸の北西隅に三重櫓(天守)が建てられていました。
 天守台はなく、本丸に礎石を置いて直に建てられていました。
 高さは約15mだったそうです。
 長州征伐の時に焼失しました。

本丸から日本海を見る

城から湊が見下ろせます
 お城のすぐ下に、外の浦湊があります。
 北前航路の整備とともに、ここ浜田は風待ち港として大いに栄えたそうです。
 松平(松井)家が藩主の時代、朝鮮との密貿易が幕府にばれちゃった事件があり、松平(松井)家は陸奥棚倉に左遷されたそうですよ。

解説板

国道186号線
 浜田からは国道186号線を走り、広島を目指します。
 この日はとても暑かったのですが、県境の芸北高原スキー場の辺りはとっても涼しくてありがたかったですね〜
 ちょっと北海道を思い出す風景でした。

国道186号線の風景

さびたレール
 国道186号は交通量も少なくて景色も良く、快走できました。
 加計からは国道191号線を走ります。
 途中から国道に沿って廃線跡があることに気がつきました。
 飯室というところでバイクを停めてみました。
 2003年に廃線になったJR可部線の安芸飯室駅跡でした。
 

線路は途中でなくなっていました

旧安芸飯室駅前にて
 調べてみたら加計〜可部間で唯一対向施設のある駅だったようです。
 いつも思うのですが、廃線跡というのは何か寂しい感じがしますねえ・・・
 
 気を取り直して走り出しますが、広島北IC付近から大渋滞!
 すり抜けもままならず、じっと我慢の走行を強いられます。
結局国道54号線まで渋滞でした・・・
 可部からは県道70〜37〜46とつないで国道2号線に入りました。
 途中、流れが極端に悪くていらいらしていたら、40キロ制限を30キロで、しかも蛇行運転している乗用車を発見。
 ヤ○キーかと思ったら一般人だったのですが、明らかに様子がおかしいのでさっさと抜いて関わらないようにしました(笑)
後続車の人たちは気の毒だったなあ・・・

 GWのように西條市街のホテルに泊まろうと思ったのですが、同系列の東広島駅前の方が1000円安かったので、そちらに泊まることにしました(笑)

利守酒造付近の川
 翌朝、天気予報をみると夜から雨の予報。
 2泊3日の予定を変更して今日中に帰ることにしました。
 東広島から国道2号線を走り、適当なところで国道486号線に入る予定でしたが、思ったより2号線の流れが良くて、走り続けてしまいました(笑)
 三原・尾道・福山と山陽道の主要都市を通過し、岡山市へ。
 早島で国道を離れて県道187号線を通って県道162号線へ。
庭瀬を通過し、篠ヶ瀬川近くの某有名古本屋さんに立ち寄り、岡山駅の裏から赤磐市を目指しました。
 赤磐市では県道27号線を北上しました。
その先には・・・
 

利守酒造
 利守酒造があります。
 利守酒造は慶応4年(1868年)創業の蔵で、
「赤磐雄町」
「酒一筋」
といったお酒を醸しています。
 地元産の「雄町米」にこだわった酒造りで有名な蔵です。
 一本買ってきたので、また飲んだらレポートしますね。

レンゲ畑
 利守酒造からは県道53号線を走ります。
 ところどころにある蓮華畑が美しい田園風景が広がっていました。
いいところだなあ・・・

片上鉄道の廃線跡と国道374号線と吉井川
前方に見えるトンネルが廃線跡です。
ちなみに左に見える山裾は天神山
備前の豪族浦上宗景の居城があった山です。
 吉井川を渡ると国道374号線を南下です。
 この国道も廃線跡が併走していました。
調べてみると、同和鉱業片上鉄道の廃線跡のようです。
 サイクリングロードなんかが整備されていて、自転車が楽しそうに走っていました。
 この廃線跡なんかも一度たどってみたいですね(次企画予告?)
天神山にも一度登りたいなあ・・・と思いつつ、ツーリング終了でございます。

 雨のせいで1日早い帰宅となりましたが、
おかげで職場の試験をすっぽかさずに済みました(笑)
完全に忘れてましたよ〜(爆)
続・2011年GWの旅 完
2011.7.2作成
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