解説板
 鳴海のお城を後にして、大高城方面へと向かいます。
 大高城を封じ込めるため、織田信長が築いた砦
「鷲津砦跡」
に到着します。
 鳴海城から中島砦を経由して南へ向かうと、半島状に突き出た尾根があります。
その突端に鷲津砦は築かれました。
 大高城の北東約700mの位置にあり、大高城から鳴海へ北上する街道を眼下に見下ろす砦です。
 築城は永禄2年(1559年)で、規模は東西25m、南北27mほどの小さいものでした。
(寛文村々覚書による)
 永禄3年(1560年)の桶狭間緒戦で飯尾定宗らが立て籠もりましたが、
朝比奈泰能に攻められて全滅しています。

鷲津砦横の急坂
 JR大高駅の真裏、中之郷公会堂の裏にそびえる丘が鷲津砦です。
 公会堂横の道を入ると、右に大きくカーブしながらの急坂となっていて、
登り切った辺り右側が児童公園になっています。
 ここが砦のあった場所です。

一見さびれた児童公園ですが、
 さびれた児童公園ですが、公園内に段差があり、
「曲輪の跡か?!」
とか妄想してしまいます。
 公園を奥に歩いていくと、
「史跡 鷲津砦跡」
の石碑がありました。
 今は木々が生い茂り、視界が効きませんが、かつては大高城は目と鼻の先に見えていたはずです。

公園の奥に石碑が建てられてます。

大高城周辺図

解説板
 次に向かったのは
丸根砦跡
 鷲津砦と違って分かりにくい場所ですが、大高駅裏の県道50号線を南に走ると、
西丸根という交差点があります。
 この交差点を南に走って一つ目の角を左に折れると、目の前に急坂があります。
これを登った先、右側に入る砂利道を入っていくと、古墳のような小山があります。
これが丸根砦になります。

階段が整備されています。
 地図で見ると道に囲まれた丸い形の区画の場所です。
 階段が整備されていたので、蚊に追われながら登っていくと、頂上に石碑があります。
 ここが丸根砦跡です。

登り切った先に石碑が

丸根砦からの眺め
大高城方面を見る
 丸根砦は大高城包囲網の一角として、織田信長が1559年に築きました。
 大高城の東、約800mの地点にあり、鷲津砦とは尾根続きになります。
 この砦は沓掛城から桶狭間を通って大高へと至る大高道を見下ろす位置にあり、
大高城への支援路を塞ぐ場所にあります。
 現況は東西36m、南北28mで、周囲に幅3.6mの堀があります。
(道の部分?)
 桶狭間前哨戦では佐久間盛重らが立て籠もりましたが、大高城から出撃した松平元康(後の徳川家康)らに攻められて落城。守備兵は全滅しています。
 砦跡には真新しい慰霊碑がありました。
「丸根砦戦殉難烈士之碑」
とありました。

丸根砦から鷲津砦方面を見る
 丸根砦も木々が生い茂ってはいたものの視界は良く、ここに砦が作られた理由がよく分かりました。
丸根砦東方、大高緑地方面を見る

丸根砦から県道50号への急坂
 鷲津と同じく丸根も急坂を登った山の上にあり、ここを攻め上がったであろう松平勢の苦労が偲ばれました。

萬乗酒造
 さて、東海道線の高架下をくぐり、いよいよ大高城を目指します。
 駅の北側から高架下をくぐり、大高駅西交差点を越えて道なりに走っていきます。
 三本木交差点を左折。細い道を走っていくと、煉瓦造りの煙突のある蔵元を発見。
 萬乗酒造さんでした。
ここでは
「醸し人九平治」
という日本酒を醸しています。
 名前は知っていましたが、まさか大高城の麓の蔵元だったとは・・・
 大高は東海道にも近く、尾張藩家老志水家(1万石)の陣屋があったので、造り酒屋があったのでしょうか・・・
 また今度飲んでみよう(^^
 ちなみに志水家は、尾張藩初代義直公の生母お亀の方の実家です。

立派な煙突です。

本丸側から土橋と空堀を見る。
(木々が茂っているのが空堀部分)
 城に入る場所が分からず、少しうろうろしました。
 萬乗酒造から南へ坂を登り、小さい道を左折。
路地の突き当たりにバイクを停めて、路地裏のような道を歩くと、馬出状の場所にでました。
 ここがどうも二の丸跡らしく、本丸との間には土橋と空堀が現存していました。
 土橋を渡ったところが本丸です。
ようやく大高城に到着です。

大高城本丸
大高城本丸
 大高城本丸は二段に分かれていて、西側が一段高くなっていました。
 一段高くなった部分には、小さな祠がありました。

城の鎮守?

大高城跡石碑
  大高城跡も木々が茂っていて視界が効きません。
 落葉の時期に来るのが一番いいのかもしれません。
 大高城とそれを包囲していた砦は意外と近く、大高城守備兵はかなりの緊張感を持って立て籠もっていたのでしょう。
 大高城へ兵糧を運び込んだ松平元康は大変だったでしょうねえ・・・

大高城から丸根砦を見る

大高城から鷲津砦を見る

大高城周辺図
 お城を巡って歩いていたら、もう一つの登城ルートを発見!
 バイクを取りに行って萬乗酒造の前を通り、いくつめかの角を右折すると児童公園があって、そこからも大高城に登ることができました。

帯曲輪から見る鷲津砦

ツーリング中であることを証明する
貴重なショット(笑)
 コチラは本丸下の帯曲輪らしい区画でした。
 いくつか遊具が置かれていて児童公園になっており、地図と解説板はここに設置されていました。
 解説板によれば、大高城は東西600m、南北32mで、四方に二重の堀を巡らせていたそうです。
 永正年間(1504〜1521年)の頃に花井備中守が、天文・弘治年間(1532〜1558年)には水野忠氏父子が居城としていたようです。
 桶狭間の時は松平元康が守備していましたが、義元の死と織田・徳川同盟の成立によって廃城となったようです。
 ただし江戸時代を通じて城の麓に志水家の陣屋が置かれていたそうで、お城の廻りはそこはかとなく城下町っぽい雰囲気でした。
 
 さて、この日は夜から友人と集まる予定がありまして、お昼ご飯もそこそこに帰宅の途についたのでした(笑)

淡雪
 今回の獲物(笑)
 岡崎銘菓「淡雪」のご紹介(笑)

 江戸時代に宿場町として栄えた岡崎。
岡崎では「あわ雪豆腐」が名物でした。
 そのあわ雪豆腐を模して作られたのが、こちらの「淡雪」
 お豆腐ではなく、寒天に砂糖を加えて煮詰め、メレンゲを合わせたものです。
寒天の代わりにゼラチンを使うとマシュマロなんだそうですよ。
 私はメレンゲとマシュマロは余り好きではありませんで、
せっかくの淡雪も微妙でした(^^;
 あくまで個人の感想で、おいしくないわけではないですよ〜
一度は食べてみましょう(笑)
尾州・参州ツーリング 完
2012.6.23作成
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