飯野城大手跡
 さて、吉松を出発したsyunさんと私は、国道268号線を走って宮崎県えびの市へ。
道はやがて国道221号線と合流します。
 川内川を渡って飯野中学校入り口交差点を北へ曲がると、再び川内川を渡ります。
 渡ってすぐ、堤防上の道を左折して右下へ下って道なりに走ると飯野城の看板があります。
 その角を左折した行くと、飯野城に到着します。
 このえびの市辺りは、かつて真幸院(加久藤・飯野・吉田・吉松・馬関田辺り)と呼ばれていました。
 「院」とは租稲(年貢米)を収める垣に囲まれた倉庫の事です。
 真幸院というのはもともと「真幸にある倉庫」という意味でしたが、
転じて真幸院に税を納める地域全体を指す地域名になりました。
 鹿児島近辺に多い「〜院」という地名はこれに由来します。
 飯野城は、真幸院司であった日下部氏が鎌倉幕府が成立した頃に築城したようです。
 日下部氏は南北朝時代に北条氏側に付いたために没落。
代わって真幸院一帯を支配したのは北原氏(肝付氏庶流)でした。
 北原氏は飯野城の西4kmにある加久藤城に本拠を置き、長らく真幸院一帯に勢力を持っていましたが、永禄年間に跡目争いのもつれで家中が乱れ、伊東・島津・相良の介入を許して没落します。
 永禄7年(1564年)11月、真幸院に島津義弘が入って飯野城に居城を置きます。
 元亀3年(1572年)、日向の伊東氏は人吉の相良氏と語らって真幸院に侵入。
島津勢300伊東勢3000は、
飯野城南西にある木崎原で激突。
 ここに有名な「木崎原の合戦」の幕は切って落とされます。
 島津勢は寡兵ながら得意の釣り野伏で伊東勢を翻弄。
伊東勢は名だたる武将を討ち取られて壊滅。伊東氏衰退の原因となりました。
 ここに島津家による真幸院領有が確定しました。
 

城中にある案内板
 豊臣秀吉の九州征伐後、島津義弘は前回紹介した松尾城に移りまして、
飯野城は義弘の長男久保が城主となりました。
 久保は文禄の役に朝鮮で病死。
飯野城は島津本家の城となりますが、元和の一国一城令で廃城となりました。
  

搦め手門跡
 飯野城はいわゆる南九州型のお城でして、南に川内川が流れる丘陵の先端部を深い空堀で区画して築かれたお城です。
解説板

本丸虎口
 時折雨がぱらつく中のお城見物となりました。
 本丸虎口は折れ曲がり虎口となっていました。
 

本丸の様子

枡形と物見曲輪跡
 本丸の南面には枡形と呼ばれる曲輪があり、その南側に一段高く物見曲輪がありました。
物見曲輪から木崎原方面を見る

城跡にあった縄張り図
 物見曲輪からは木崎原方面を見渡す事ができました。
 義弘は現:小林市を支配していた伊東勢との最前線に居城をおいていたのです。
すごいですね・・・
 ちょっと雨が強くなってきたので、syunさんと車に引き上げました。

飯野城縄張り図

飯野城周辺図

豚肉とサツマイモの丼
 飯野城を後にした二人。
 今度はえびのIC近くの南九州コカコーラの工場見学に出かけます。
(九州で販売されている「いろはす」の取水地はここなんだそうですよ)
 が、見学の時間には合わなかったので、ミュージアム見学してきました。
コカコーラやスプライトのヨーヨーに郷愁を感じる世代ならオススメです(笑)
 瓶のコカコーラ自動販売機(昔のボーリング場とかにあったやつ)に再会しました。
久しぶりに瓶のコーラを買って自動販売機の栓抜きでふつーに栓を抜いたら、
「年がばれますね」
とsyunさんがぼそりとつぶやきました。
 そーいや今の若い人には使い方分からないでしょうね(爆)

 えびのICから高速に乗りまして、霧島SAでお昼ご飯。
 豚肉とサツマイモを使ったどんぶりを食べてみました。
 が、お肉が固くって(肩ロースだったけ?)いまいちでした。
「これバラ肉使った方がおいしいよね〜」
とsyunさんと豚肉談義に花が咲きました。

幻想的な霧の御池
 高原ICで高速を降りまして、国道223号線を南下します。
 見通しの悪いカーブで細い道に入りまして、戦闘機のような急上昇の道を走ることしばし。
 霧島東神社に到着です。
この神社は霧島六社権現の1社です。
霧に霞んだ御池が幻想的でした。
 この霧島東神社は新燃岳の噴火で立ち入り禁止区域になっていたのですが、
最近解除されました。
 
 祭神はイザナギ命、イザナミ命、天照大神他ですが、
もともとは霧島山そのものをご神体として祭っていたようです。
 ご神体は霧島山頂にある天の逆鉾でして、
かつてはここ霧島東神社から霧島山頂への登山道がありました。
 霧島山頂もこの神社の境内ってのがすごいですね(笑)

霧島東神社

道の駅きりしまから桜島方面のパノラマ
 国道まで戻って西に向かいます。
 道の駅からのパノラマを楽しんだり、丸尾の滝見物したり、丸尾で温泉の湯気で蒸したヨモギ餅をいただいたり。
 syunさん曰く、ここのよもぎ餅が一番ヨモギの配分が上手でおいしいんだそうです。
(ヨモギは入れすぎると苦くなる)
 はふはふいただきました〜
(^^)
 この日の夜は、ホテル近くの沖縄居酒屋で楽しい話を聞きながら、沖縄料理をいただきました。
 syunさん、いつもお世話になりましてありがとうございます。

丸尾の滝

丸尾のよもぎ餅

自衛隊の艦船が停泊中の志布志湾
 翌朝起き出すと外は曇り。
天気予報は雨でした。
 前回の鹿児島ツーリングの時、宮崎市内で使える商品券3000円分もらっていたので、この日は宮崎から帰ることにしました。

みやざき元気券

霧島酒造志比田工場
 宮崎には都城経由で帰ることにしました。
 県道63号線、109号線を経由して都城市街へ。
 都城では霧島酒造に寄ります。
 霧島酒造と言えば、
「霧島」
「黒霧島」
「赤霧島」
で有名ですね。
 この日(土曜日)と次の日は、霧島酒造の新酒会のイベントが開催されるのです。

ゆずはちみつシャーベット

看板

マミカフェも出張営業中
 垂水にあるマミーズカフェも出張営業するとのことで、新酒会の情報を教えていただいていたので、やって来ました。
 もちろんバイクなので、お酒は飲まず、出店の食べ物中心で参加ですよ(笑)

梨のジュース

チョコバナナクレープ
 都城市内を中心に、九州各地から名店が出店に参加していました。
 大分県中津市の鳥天は結構行列が出来ていました。
 去年も行列だったとのことで食べて見たかったのですが、行列に負けました(笑)

新穂花の鶏販

霧島酒造のキャラクター
 時折激しい雨が降るあいにくのお天気で、私もびしょ濡れに(笑)
 おかげで人出は少なめで、結構快適でした。
 
 地元のお総菜
「ガネ」
をゲットしました。
 話はsyunさんから聞いていたのですが、食べて見るのは初めてです。
 要はかき揚げなんですが、小麦粉だけでなく、米粉を使ってもっちり仕上げたり、衣に砂糖を加えてあま〜く仕上げたり、それこそ各家庭で味の違う
「お袋の味」
なのです。
 中の種もいろいろあり、サツマイモだけだったり、他の野菜も入っていたり、それこそ各家庭で味が違います。
 とってもおいしかったですよ〜

コーヒーブレイク

ガネ

雨の宮崎港
 15:00に都城を出発。
 17:00には宮崎に到着して、商品券でお土産を物色しまして、宮崎港までやって来ました。
 乗船は18:30でした。
 さすがに11月ともなると外は真っ暗で、遠くに宮崎市街の街明かりが見えました。

宵の宮崎港

紀淡海峡通過
友ヶ島を望む
 翌朝の大阪湾も天気はいまいちでした。
併走するコンテナ船とRORO船

関西空港
 甲板上も寒かったです。
コンテナ船に追いつきました。

日曜朝の大阪南港かもめ埠頭
 雨に備えてカッパを着て下船しました。
 幸い雨には降られず、無事に帰宅できました。
2011年のツーリングシーズンも無事終了〜
 今回も友人のsyunさんはじめ、いろんな方にお世話になりました。
本当にありがとうございました。
かごんま大好き! 完
2011.12.18作成
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