諏訪原城案内板
 島田宿を堪能したので、昭和3年架橋の大井川橋を遠江側へと渡ります。
 県道381号線を走りまして、牧之原台地の上へと急坂を登っていきます。
 県道234号線との交差点を左折すると、左側に駐車場が。
ここが諏訪原城跡になります。

周辺には茶畑が広がります。
諏訪原城あれこれ
 諏訪原城は、牧之原台地の舌上台地の先端に築かれています。
城の後方は断崖絶壁で大軍を寄せ付けない、いわゆる「後ろ堅固」の城です。
城の戦闘正面は台地のつながる西方になります。
城の南には東海道が通っており、交通の要衝です。
 この場所に1573年(天正元年)に武田方が遠江攻略の拠点として城を築きました。
先に紹介した小山城とともに大井川西岸の防衛線として、高天神城への補給路として機能しました。
 1575年(天正三年)に長篠の合戦で武田方は敗北。
その勢いをかり、攻勢に移った徳川方が諏訪原城に攻め寄せます。
 一月余りの攻防の末、八月に落城したと言われています。
徳川方は牧野城、または牧野原城と改名。城を改修しました。
 1582年に武田氏は滅亡。1590年には諏訪原城は廃城となりました。
 時代は下って明治維新。徳川宗家は駿府70万石の大名とされ、牧之原へは旧幕臣が移住。茶畑を開きました。
 現在は国史跡に指定され、発掘調査がすすめられています。
 

大手曲輪看板
 駐車場にバイクを停めてお城に向かって歩き出します。駐車場のすぐ北側は大手曲輪でした。
 国史跡に指定されたからか、林を切り拓いて史跡跡がよくわかるようになってました。

大手曲輪北側の堀跡

二の丸正面の丸馬出
 大手曲輪を過ぎ、二の丸を右手に見ながら歩きます。二の丸前の堀には三号堀と分類されていました。
 二の丸虎口前は
武田流の丸馬出

で守られていました。

二の丸前の堀
(長さ70m、幅14.5m)

丸馬出への入口
 丸馬出は幅50mほどの小さいものです。
かつては喰違い虎口だったのでしょうか?
 丸馬出から二の丸へは土橋を渡ります。
草刈している人たちがいまして、軽トラックが停まっていました。

丸馬出から二の丸への土橋

二の丸前の堀
 諏訪原城の堀は幅も広く、15m以上の幅があります。
 また深さも10mほどあり、容易にはよじ登ることができません。

二の丸内

本丸への土橋
 本丸前の堀は
「三段鍵堀」

と呼ばれるもので、堀底が三段になっていて、敵が容易に攻め寄せられない工夫がされています。
 これも武田流の特徴なんだそうです。

本丸前の堀

本丸内を歩く
 本丸内に石がたくさん落ちている場所がありました。裏込め石でしょうか?
 諏訪原城は土塁の城なのですが、一部石垣があったんでしょうかねえ?

石がたくさんありました。

本丸東端に盛土
 本丸の東端に盛土があり、天守台の看板がありました。
 物見台の櫓があったのかもしれません。
 本丸東側には一段下がった帯曲輪らしき場所があり、そこには搦手口がありました。

搦手口

諏訪原城からJRと大井川鉄道を見る。
向こうに見えるのは大井川
その向こうには東海加工紙の工場が見えます。

堀底へと降りていく道
 本丸下に金谷駅方面を見通せる場所がありました。
 JR金谷駅と大井川鉄道の金谷駅が見えます。遠くには大井川、その向こうの島田市街も見えました。
 本丸から堀底へ降りていくと、カンカン井戸と呼ばれる井戸がありました。

カンカン井戸
丸石を組み合わせて作られています。

名前の由来となった諏訪神社
 堀底から再び登ってきた場所に三の丸があります。
 三の丸虎口にも丸馬出があり、ここに城の名前の由来となった
諏訪神社

があります。
 おそらく武田氏による築城の際、鎮守として勧請されてきたものでしょう。
 この馬出を出ると民家の庭先を歩くような感じでして、県道へと出てきます。
 これがかつての東海道です。

東海道(近世)

東海道(近世)
諏訪原城の標識が見えます。
 街道を押さえる場所に築かれたことがよくわかりますね〜
 城近くの東海道には、石畳も残っていますよ。

城近くには石畳が残っています。

諏訪原城全図

お城の位置関係

古い客車
 さて、大井川鉄道という名前を聞いたことがある!という方もいらっしゃると思いますが、ここ金谷は大井川鉄道の始発駅なんでございます。
 さっきお城から麓をながめた時、近鉄カラーの電車が見えたので、大井川鉄道の存在を思い出したんでございます。
 お城から再び金谷市街へと降りてきまして、車庫のある新金谷駅にやって来ました。

近鉄カラーの電車

SLもいました

おお!
 車庫の奥から懐かしい電車が動き出しました。
このカラーは!

ホームで停車
 ゴトゴトと駅のホームまでやってきて停車しました。
これはたまりません!(*≧∀≦*)
さっそく入場券を買って駅構内へと向かいます。

入場券
なんと硬券なんですよ(^^
憎いな〜
 駅のホームに停まっていたのは、旧南海電鉄の
21001系電車
です。
 昭和33年から39年にかけて製造されたこの車両は、南海高野線を平成9年まで走っていました。

久しぶりのご対面

これは泣ける(´;ω;`)
南海電鉄の旧社章
 南海高野線といえば、難波〜極楽橋間を結ぶ路線でして、特に橋本〜極楽橋間は50パーミルを超える急勾配となります。
 高野線を全線通して走る車両は、平坦部の高速走行性と山岳部の登坂力を兼ね備えなくてはならず、この21001系はその能力から
「ズームカー」
の愛称で呼ばれました。
(名前の由来は広角から望遠までを兼ね備えたズームレンズから)
 車両の懐かしさもさることながら、旧南海色(緑の濃淡)が懐かしさいっぱいです。

塗装にかなりのひび割れが

郵便車
 大井川鉄道は、SLをはじめとして旧車が多いので、鉄道ファンがよく来ているようです。
新金谷駅から諏訪原城を見る

静岡茶のドーナツ
 新金谷駅に鉄道カフェ?がありました。
 お値段少々高めでしたが、楽しんでまいりましたよ。

カフェラテ

新金谷駅改札口
 いよいよ空が曇ってきました。
 雨が降り出す前に帰宅することにします。
 普通に東名通って帰るのは面白くないので、新東名を通って帰ることにしました。
 ま、ただの遠回りなんですけどね(^^;

今回のおみやげ
遠州・駿州城巡り 完
2013.5.6作成
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