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![]() 紀伊水道にて |
さて、私事ではありますがお祝い事がありまして、お休みをいただくことになりました。 時期についてすったもんだありましたが、半年以内にとらないと権利が消滅しちゃうとのことで、ようやくお休みをゲット。 この中途半端な1月に旅行に出かけることになりました。 1週間休みを取ったのですが、前半は風邪を引いてダウン。 ようやく後半に復活しまして出発です。 |
![]() な、なんと積雪 |
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![]() 大丈夫かな〜 |
が、1月なもんで冬真っ最中。 雪道経験がないもので、行くところが限られてしまうのです。 とりあえずって感じで四国に渡ります。 が、予想外の積雪! ノーマルタイヤでおっかなびっくり峠を越えて谷川米穀店に向かいます。 平日だったこともあってお店は空いてまして、おいしいおうどんをいただきました。 |
![]() 釜玉うどん! |
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![]() 肉うどん! |
でもまあせっかく来たからとうどん屋さんをはしご。 綾川町のやまだうどんで、肉うどんと田舎うどん?(だったかな?)をいただきました〜 ちなみにやまだうどんさんの近くに綾菊酒造があります。 |
![]() 確か田舎うどんだったかな? こちらもグッド! |
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![]() こんぴらさんは宿題に |
おなかいっぱいになったところで金比羅さんでもって話になったのですが、あまりの寒さと雨もぱらぱら来たこともあって断念。 金比羅さんは次回の宿題となりました。 |
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![]() 西条陣屋大手門 今は西条高校正門です。 |
下道で西条まで移動し、西条陣屋跡にやって来ました。 西条藩は一柳直盛が6万8千石を与えられて寛永13年(1636年)に立藩しました。 一柳氏は伊予の河野家の末裔で、直盛は伊予への転封を熱望したそうです。 が、直盛は西条に赴く途中で大坂で病死し、伊予に来ることができなかったそうです。 |
![]() 解説板 |
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![]() 西条陣屋堀 広々としています。 |
直盛の孫である直興は不行跡をとがめられて改易。 一柳家は分家の流れが播磨小野(兵庫県小野市)と伊予小松(愛媛県西条市)に一万石づつで明治維新まで続きました。 西条には紀伊徳川家の祖、徳川頼宣の次男である松平頼純が三万石で入り、明治維新まで続いています。 ただし西条藩主は江戸定府で、領地である西条に来ることはありませんでした。 西条藩からは紀州藩主を二代(宗直、治貞)出しており、紀州徳川家と密接な関係がありました。 |
![]() 石鎚山系は雪景色 |
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![]() 道後温泉 |
あまりの寒さに長居できず、そうそうに松山市に移動。 宿に入って道後温泉に向かいます。 いやいや、冷えた体に最高でした〜 |
![]() ちょっと奮発 |
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![]() 湯築城現況図 二重の堀に囲まれた様子がわかります。 |
翌朝も寒い朝でした。 が、寒さにめげずに湯築城を見物に出かけます。 |
![]() お堀にはうっすらと氷が張ってました。 |
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![]() 湯築城本丸跡 |
湯築城は伊予の豪族河野氏によって14世紀頃築かれたそうです。 河野氏は越智氏の流れをくむとされ、平安時代から伊予に勢力を持っていました。 河野の姓は北条市(現松山市)河野に由来しています。 元寇の際に当主(26代)であった河野通有の活躍などが有名です。 |
![]() 湯築城から松山城を見る |
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![]() 氷張ってるし・・・ |
しかし伊予の地は他国からの干渉を受けやすい土地で、内紛も多く河野家は戦国大名への脱皮をすることができませんでした。 大名としての最後の当主、通直は毛利氏の攻撃を受け、最後は竹原でなくなりました。 この時の通直の降伏で、湯築城は廃城となっています。 |
![]() 雲形のナンバープレート 坂の上の雲あやかりかな? |
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![]() 霧の森 |
湯築城を後にして松山城へと向かいます。 途中、霧の森大福のお店に寄り道。 なかなかお取り寄せできない霧の森大福をゲットしました〜 |
![]() 霧の森大福 |
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![]() 松山城絵図 |
もう何度来たかわからないですが(笑)、松山城にやって来ました。 松山城を築いたのは加藤嘉明です。賤ヶ岳七本槍の一人で、数々の合戦で功名をはせ、朝鮮出兵の際は水軍を率いて活躍しました。 嘉明さんにはいろんな逸話が残されていますが、「真の勇士とは責任感が強く律儀な人間である」逆に豪傑肌の人間は「勝っているときは調子がいいが、危機には平気で仲間を見捨てる」と発言したとの逸話なんか大好きですね。なんかあったんでしょうね。 |
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![]() 巽櫓 |
嘉明の朝鮮での経験が生かされているのか、松山城は登り石垣を持つお城です。 登り石垣は倭城(朝鮮出兵の際、日本勢が現地で築いたお城)でよく見られますが、国内では彦根城や洲本城などでしか見ることができない珍しいものです。 平時の麓と有事の山上を一つにまとめた縄張りです。 |
![]() 隠門続櫓 |
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![]() 太鼓櫓 |
松山城を登っていくと、眼前に太鼓櫓がそびえています。 大手通を攻め上ってきた敵は、頭上の太鼓櫓からの火線にさらされます。 さらに恐ろしいのは、大手通は太鼓櫓の真下で180度折れ曲がっていること。 戸無門に向かう兵は、背後の太鼓櫓から攻撃を受ける形になってしまうのです。 |
![]() 攻め寄せる敵を頭上から攻撃 |
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![]() 筒井門 正面に筒井門東続櫓が突き出していますが・・・ |
戸無門を抜けると馬出状の郭に出ます。 寄せ手としては目の前に見えている筒井門に攻撃を加えるところですが、東続櫓からの側面攻撃を受けます。 さらに東続櫓で巧妙に隠された死角にある隠門から出撃してきた城兵からも攻撃を受けるという訳です。 |
![]() その陰には隠門があります。 |
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![]() 巽櫓 |
筒井門を突破してきた寄せ手の正面には巽櫓が現れます。 巽櫓の左手に太鼓門。右側面を巽櫓に晒しつつ、城門を攻撃するしかありません。 |
![]() 太鼓門 |
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![]() 本丸南側の位置関係 右手が南です。 |
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![]() 本丸から北西を見る |
太鼓門を抜けるとようやく本丸です。 二つの尾根を埋め立ててつないだ本丸の奥には、天守群がそびえています。 |
![]() 正面には天守群が |
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天守群にとりつくと、正面に天守と筋鉄門続塀があり、左手には小天守がそびえて十字砲火を浴びせる仕掛けになっています。 天守に向かうには右手にある一の門にかかるしかありません・・・ |
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![]() 天守群の位置関係 |
一の門を抜けると二の門が左手にあり、三の門南櫓、二の門東櫓に囲まれた狭い空間に閉じ込められます。 ここで十字砲火を浴びると守りようがなかったでしょう。 二の門を突破すると左手には天守がそびえています。 |
![]() 目の前にそびえる天守 直線的な破風が特徴的です。 |
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![]() 筋鉄門 |
天守からの攻撃に耐えながら三の門をくぐると狭い通路があり、右手には天守、正面には鉄で防御力を高めた門扉を持つ、その名も「筋鉄門」があります。 ここを突破してもまだ天守広場。 ここでは文字通り四方からの十字砲火を浴びるのです。 |
![]() 石垣は切り込みハギと呼ばれる精巧なもの。 よじ登るのも難しそうです。 |
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![]() 天守群の位置関係 |
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![]() 内庭 |
天守広場には玄関があります。 身分の高い人のみが使用したであろう玄関には三つ葉葵が輝く懸魚がありました。 松山城は加藤家、蒲生家のあと、松平家(久松系)が15万石で入り、西国と瀬戸内の水運に監視の目を光らせていました。 |
![]() 三つ葉葵 |
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![]() 天守から本丸を見る |
天守からは松山平野を一望できます。 | ![]() 天守から麓の二の丸を見る |
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![]() 松前方面を見る |
が、畳もないような板の間ですので、足先からじんじんと冷えてきます(笑) しかし寒さに耐えて甲冑体験にチャレンジしてみました。 |
![]() 甲冑の無料体験ありました。 |
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![]() 艮門続東櫓 |
ひんやりとした天守から出て、観光客はあまり来ないところにも行きます。 本丸北東(艮)にある門を固めた艮門続東櫓。 |
![]() 乾門 |
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![]() 乾櫓 |
本丸北東への出口乾門と、乾門への敵を頭上から攻撃した乾櫓などを見学しました。 この辺は観光客が少ないのでゆっくりと見ることができます。 |
![]() 乾門東続櫓の向こうに長塀が続き、 その上には南隅櫓と小天守が |
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![]() 紫竹門から乾門東続櫓、乾櫓を見る |
しっかりお城も堪能しましたし、松山市を出発します。 市内のお菓子屋さんでみかん大福買ってみました。おいしいですね。 |
![]() 中身はみかんまるまる一個 |
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![]() みかん大福 |
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![]() 瀬戸内を走る |
松山市から国道196号線を北上。 瀬戸内の海を左に見ながら走ります。 今治からはしまなみ街道を通って大三島へ。大山祇神社にお参りしました。 |
![]() 来島大橋かな? |
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![]() 今治のB級グルメ 「焼き豚玉子飯」 |
そうこうしているうちに日も暮れてしまいました。 あまりの寒さに撤収を決定。結局1泊しただけで帰宅することになりました。 せっかく今治に来たからと、今治のB級グルメ「焼豚玉子飯」を食べてきました。 たしか白楽天さんでいただいたと思います。 濃厚な味付けで、体育会系のおにーさん方ならドストライクだと思います。 これにてぐだぐだ旅行もおしまいです。 |
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ぐたぐた旅行 完 | |||
2016.7.18作成 | |||
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