高山陣屋
 翌朝はどんより曇りです。
 朝ご飯もそこそこに出発しました。
 高山陣屋は早すぎてまだ開場していませんでした。
 開場をまって見物しました。
が、門前の写真のみです。(ほんと写真どこいったんだろう・・・結構撮ったのになあ)

高山城
 飛騨国はもともと京極氏が守護を勤めていましたが、守護代である三木氏が台頭し、江馬氏、内ヶ島氏と覇権を争っていました。隣国である武田、上杉、一向宗の影響も見落とせません。
 三木氏は下呂市にあった桜洞城を本拠として飛騨国を支配し、三木良頼の時に姉小路氏(飛騨国司の家柄)を乗っ取って姉小路良頼を名乗りました。
 その子姉小路頼綱は、本拠地は松倉城に移して飛騨国の統一に乗り出し、1583年頃に飛騨統一に成功します。
 が、彼が後ろ盾と頼んだ柴田勝家や佐々成政が羽柴秀吉に敗れると、越前大野(福井県大野市)の領主であった金森長近が飛騨に侵入。これに敗れて姉小路氏は滅亡。 飛騨は金森長近に与えられました。(3万8千石)
 長近ははじめ松倉城、次いで高山城を整備して居城としました。

飛騨の町並み
 長近は天正16年(1588年)から16年かけて高山城を築城。ついで松倉城下の住民を高山城下に移し、南北の筋を中心とした城下町も整備しました。
酒蔵

飛騨の町並み
 これが今に残る飛騨の町並みの基礎となりました。
 金森氏は長近可重頼直重頼頼業頼旹と続きましたが、6代頼旹は5代将軍綱吉の側用人を務めましたが、綱吉に気に入られなかったようで免職・屋敷替えとなり、元禄5年(1692年)には出羽国上山に国替えとなりました。
 頼旹はさらに美濃郡上八幡に転封になり、次の藩主頼錦のときに有名な郡上一揆が勃発し、金森家は改易となりました。
 飛騨の方は天領となり、金森氏の下屋敷跡が高山陣屋として整備されました。

朝市

栗きんとん
 我々は陣屋を見学した後は朝市を冷やかして町並みを散策。
 高山城を目指します。

かぼちゃ

珍しいかぼちゃ
 高山の街を見下ろす城山に高山城はありました。
 金森長近が整備したお城は、金山氏6代の居城でした。
国替えの際、加賀前田家預かりとなりますが、天領となったために前田家によって破却されました。
 今では石垣と三の丸堀が残っています。
 このお城の特徴は、安土城に影響を受けたといわれる、天守・櫓・御殿が一体となった本丸屋形で、同じく金森長近が整備した越前大野城と類似しています。
(越前大野城に現在建っている天守は天守風建築物です。)
 今に残っていればさぞや観光名所となったことでしょう・・・

高山城
城山に築かれた連郭式の縄張りがよくわかります。

高山城本丸屋形
財団法人 金森公顕彰会発行
「金森氏と高山城」より

平瀬酒造店
 お城を下って再び高山の街に戻ります。
 上一之町にある飛騨高山まちの博物館は展示も充実していて一見の価値ありです。
 ここで「金森氏と高山城」他の資料も購入しました。
 ちょっと小腹が空いてきたので、飛騨牛バーガーと飛騨牛のお寿司をいただきました。
 お寿司は普通かな~
 高山の市街地を離れ、国道158号線から飛騨民族村飛騨の里の横を抜けて山道を登っていきます。
 道脇に松倉シンボル公園があり、ここに車を停めて歩き出します。
 

松倉城石垣
搦手三の丸北側の石垣
 標高850mあまりの松倉山上に築かれた松倉城は、日本で一番高いところにある山城です。
 飛騨を統一した姉小路頼綱が築いて居城としました。
 ただ、現在残っている石垣は姉小路氏のあとに飛騨に入った金森長近によるものだとされています。
 長近は先ほど訪問した高山城に移るまで、ここを居城としたようです。

松倉城から高山の街を見下ろす。

本丸天守台
 松倉城は険しい山上に築かれ、難攻不落といわれましたが、金森長近に攻められた際に内部から裏切り者が出たため、落城したといわれています。
 

三の丸石垣

本丸と本丸外郭石垣
 城跡は現在石垣が残っています。
 本丸といわれている場所は、低い石塁に囲まれているため、穴蔵付きの天守台なのではないかといわれていますが、文献等がないため判然としません。
 本丸の南・西側を本丸外郭が巡り、東に二の丸と大手、西に三の丸と搦め手が置かれました。
 

三の丸石垣
 こんな山の中にかなりの高さの石垣が築かれていて壮観です。
 

本丸石垣

三の丸石垣
 高山の街から来ると、ちょっと登り口がわかりにくいですが、飛騨民族村と松倉シンボル公園を目印にくるとわかりやすいと思います。
本丸石垣

松倉城簡略図

鶏ちゃん
 ようやく高山を後にして走り出しました。
 高山ラーメン食べたいね~といいつつお店を見つけることができず、結局閉店間際に下呂のまるはち食堂鶏ちゃんにありつきました。
 ニンニクの効いたたれでおいしくいただきました。おすすめです!

国道41号線

御代桜酒造
 国道41号線をひたすら南下。
 とっぷり日も暮れた頃、岐阜県の太田までやって来ました。
 ここは中山道太田宿のあったところで、そこはかとなく雰囲気が残っていました。
 御代桜酒造がここにあります。

太田宿解説板

久寿玉
ワンカップ
 この日は可児で宿泊しました。
 宿で高山のお酒をいただきました。

大津屋さんにて
 翌朝は朝から雨。
 可児から東海環状線と中央道を乗り継いで恵那へ。
 大津屋さんで栗粉餅と栗きんとんを堪能。
 恵那川上屋さんで、栗一筋という巨大なモンブランをいただきました。

恵那川上屋さんにて

お昼はSAでしょぼかった(笑)
 激しく雨が降る中を、再び中央道へ。
 名神養老SAでお昼ご飯とお土産をゲットしつつ帰宅しました。

お土産はあんかけスパ
2013中部地方縦断 完
2016.10.2作成
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