ホテルから見る桜島
 三日目、ようやく雨が上がりました。
 しかしまだ桜島は霞んでいました。
 朝ご飯食べて出発します。
 鹿児島市内から県道22号線を走って伊作峠を越えます。
 県道22号線沿い、中原というところに、伊作城というお城があります。
 伊作城は中世山城なんですが、結構有名なお城です。
 なんでかと申しますと、ここは日新公として知られる島津忠良公生誕の地でして、その子供達(貴久、忠将、尚久)と、貴久の子供達(いわゆる島津四兄弟、義久、義弘、歳久、家久(中書))が生まれた場所だからです。

県道22号線に看板があります。

この道の奥です。

現地にある解説板
 道を登っていくと、右側に駐車場があり、車はここに停められます。
 駐車場の前を左に曲がると、右側にまた解説板があり、ここを登ると本丸跡に出ます。

伊作城縄張り図

本丸(亀丸城)前の看板
 ちょっとした登り坂(雨で登りにくかったですが)を登ると、亀丸城(本丸)と蔵之城への分岐にきます。
 ここを左に折れると亀丸城です。

本丸入口前にある土塁

本丸への登り口
 本丸は思ったより広くてびっくりしました。
 ここで貴久や義弘が生まれたと思うと感慨深いものがありますねえ〜

本丸入口

本丸

本丸にある井戸跡
 本丸跡には島津忠良公や島津四兄弟の誕生石が置かれていました。
 面白いのは日新公の娘さんたちの誕生石も置かれていたことです。
 珍しいですよね?

解説板

日新公の娘さんたちの誕生石もあります。

四兄弟誕生石
 伊作城の創立時期は不明です。
 南北朝時代に伊作島津家(島津家の分家。島津家3代島津久経の次男久長より始まる)の本拠地として築かれたと考えられています。
ここを拠点にして伊作島津家は勢力を拡大。
10代忠良(日新公)の時、息子貴久が島津宗家を継承し、伊作家の家系が島津宗家として幕末まで続きました
 江戸時代の伊作城は外城の一つとなりますが、鹿児島城下士(鹿児島城下勤番の武士。外城勤めの郷士より身分が高かった)が交代で番所務めするなど別格の扱いを受けていました。)

亀丸城趾の碑
 伊作城もご多分に漏れず、群郭式(南九州型)のお城で、独立性の高い曲輪が連なるお城です。
 曲輪名が「○○丸」、ではなく「○○城」なのも特徴かな?

昭和10年に建てられた碑です。
碑自体が歴史ですね。

本丸跡の土塁
 城はシラス台地を刻んだ土の城で、深い堀と切り立った切崖、土塁が特徴です。
深い堀

蔵之城への入口
 亀之城(本丸)の隣にある蔵之城にも行ってみました。
 木橋を通っていくのですが、苔が生えている上に昨日の雨で、滑ること滑ること(笑)
 もうちょっとでひっくり返るところでした。

蔵之城入口

解説板
 蔵之城は名前のとおり蔵があったんでしょうかねえ?
蔵之城のようす

矢竹の茂み
 蔵之城の隅には矢竹の茂みがありました。城跡らしいですね。
蔵之城は切り立った崖で囲まれてました

伊作城縄張り図
伊作川を外堀に利用したお城です。

鹿児島交通南薩線の跡
確か永吉川だったかな?
 伊作城を後にして国道270号線を北上します。
 石で出来た橋脚を発見。鹿児島交通南薩線の跡ですな。
 南薩線は枕崎駅から伊集院駅を結ぶ鉄道(支線2つあり)で、昭和59年に廃線になりました。
 まだ残ってたんだな〜

河口

まぐろラーメン
 国道3号線に入っても北上を続けていちき串木野市へ。
 名物のまぐろラーメンをみそのでいただきます。
 前はマグロラーメンの方がおいしいと思ってたけど、今は鰹ラーメンの方がおいしいと思いますね。
 お店の横に駅が出来てました。
しばらく来ないと、町の風景も変わるもんですね。

神村学園前駅が出来てました。

川商ハウス
 お昼も食べたので、国道3号線で鹿児島市内へ戻ります。
 CMで有名は川商ハウスの看板見つけました。(鹿児島県民なら知らない人いないんじゃないかな?)

桜島
 桜島フェリーで桜島へ。
 おやつにやぶ金でうどんを食べるのはお約束。
 垂水のマミーズカフェで焼き芋ソフトを食べまして、道の駅でお土産&晩ご飯を買い込んで移動を開始します。

焼き芋ソフト

やぶ金うどん

コスモス畑
 国道220号線〜県道72号線〜国道504号線〜県道64号線〜広域農道で志布志港へ。
 途中、恒例のコスモス畑鑑賞は外せませんな〜(笑)

うむきれいだ

あっぷ

さんふらわあ
 さんふらわあに乗船します。
 関西のバイク団体さんが乗船してました。すごい台数だったな〜
 これにて2013年の旅は終了です。

晩ご飯
つけあげ(さつまあげ)

お土産
九州限定だって。
季節限定品のあんのう芋の方がおいしかったのは秘密です(笑)

晩ご飯
がね
かごしまぶらり旅 完
2014.1.5作成
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