四万十はお茶所なんだそうで
 高知市内のホテルでお目覚め。
 高知大丸前のショップで買っていた地元のもので朝ご飯
 四万十川流域は茶所なんだそうで、いろんな商品が開発されていました。
 紅茶大福なんか意外とおいしくて、売れるんじゃないでしょうか。
 ショウガゼリィは味がそのまんまショウガ湯で笑いましたけど。
 お豆腐もずっしりとしていて、五個荘豆腐を思い出しました。

朝から大福(小さいけど)

デザートはしょうがゼリィ
(味は生姜湯です)

ずっしり重い木綿豆腐
 朝ご飯を食べながらサッカーワールドカップを観戦。出発時間を遅らせてまで応援したのに、試合結果は散々
 フラストレーションためながらフロントに行くと、チェックアウトのお客さんで大混雑してました。
 みんな見てたのね(^^;

今日も土電は走ります。

四万十の風景
 県道34号線から国道56号線を走って高知市街を脱出。
 須崎西から高速道路の無料供給区間が始まるのでそこから高速に乗りまして、遅れた時間を取り返そうとがんばります。
 四万十町窪川というところで国道381号線へ。
 四万十川のほとりを走ります。

国道381号線の光景
ここでもあじさいが。

田園風景が広がります。
 国道をひたすら走ります。
 車窓にはずっと四万十川。

四万十川

打井川駅
道路の上にあります。
 JR四国の予土線にある打井川駅までやってきました。
 ここから少し国道を外れまして、県道55号線を走ると・・・

北斗神拳の継承者さんです。
右にいるハート様は気にしないでください
 廃校を利用した海洋堂四万十ホビー館に到着します。
 結構高い入館料だったのですが、せっかく来たので見ていくことにします。
 入り口には等身大のケンシロウがお出迎えです。
 背が高いですね〜
足の長さも全然かなわないわけで・・・

小学生の頃あこがれました

ヤークトパンツァー

何もかもみな懐かしい・・・
 海洋堂は大阪守口市にあった模型屋さんから始まった会社で、創業者がこのあたりのご出身のようで、その関係でこんなへんぴな場所に展示館ができたようです。
 ガレージキットとか、食玩で有名な会社ですね。

サーベルタイガーさん
怒った相方さんに似てるか?(^^;

曹操
人形劇三国志の大ファンです。
 このフィギュアはちょっとほしいかも。
 昔N○Kで、人形劇三国志をやってまして、すごく楽しみにしていました。
 孔明さんの渋い声にしびれましたね。
 曹操のやり手ぶりにも感動しました。
懐かしいですね。

諸葛亮

ドラゴン
 いろんな模型が展示されていました。
 ウルトラマンシリーズのフィギュアも展示されていました。
 私はセブンが大好きでしたね。

私はウルトラセブンが好きでした。

隅っこッ!走るよッ!
ハムタロー
 世間的には動物シリーズや恐竜シリーズのガチャガチャなんかも有名ですね。
プロトケラトプス

世界名作劇場ほかから
バロンさん
(ペリーヌ物語)
パトラッシュさん
(フランダースの犬)
 館内暗くて手ぶれしまくってます・・・
 フランダースの犬はリアルタイムで見てまして、ラストシーンは小さいながら泣いたのを覚えてます。
 今ではネタ扱いだけどね。

パトラッシュ・・・
僕もうとっても疲れたんだ・・・

沈下橋
 四万十川に沿って下っていきます。
 沈下橋を見つけては国道を離れて渡ってみます。

渡ってみました。
(撮影:相方さん)

予土線と四万十川を横目に見ながら走ります。
 お腹すいてきました。
 食べるところを探しながら走ります。

鉄橋

沈下橋と鉄橋
 道の駅とおわで一休み。
 地図を見てるとむか〜し泊まったライダーズイン四万十にも近い場所ですね。
 新しくできた道の駅らしく、設備もきれいでした。
 道の駅でお昼ご飯を食べたり、しまんと紅茶を買ったりしていました。
 しまんと紅茶おいしいですね!
ファンになりそうです。
 

沈下橋
 お腹もいっぱい。お土産も買いまして、再び走り出します。
 江川崎というところで分岐点。
 宇和島に寄ってみようかなとも思いましたが、国道441号線へ。
 中村を目指して走ります。
 途中、よさげな沈下橋を見つけて再び渡ってみます。

天満宮

獏の彫刻?
 渡った先にいい雰囲気のお社がありまして、写真撮ってみました。
 これも何かのご縁と思い、しっかりお参りもしてきましたよ。

鳥居越しの沈下橋
 お社のすぐ後ろに予土線が通っていたようで、爆音たてて車両が通過したときはびっくりしました。
沈下橋

再び沈下橋を渡る
 国道381号線が通行止めで、迂回路に沈下橋を通りました。
 なかなかの眺めでしたよ〜

沈下橋のある風景

四万十川の流れ
 441号線が急に狭くなってきました。
 四国の3桁国道はこうでなくっちゃ〜と元気に走ります。
 ようやく中村市街に到着しました。
 中村でどこに行くのかって?
もちろんお城ですよ(笑)

ここにもあじさい


狭くなってきたぞ〜

うひょー

がんばって走ります。

中村城に残る石垣
 時は応仁の乱の頃。
 京都は戦場になり、荒れ果てます。
京都で暮らしていた公家達の中には戦乱を避け、地方に移住するものも現れました。
 一条教房もその一人で、一条家の荘であった土佐国幡多荘(今の高知県幡多郡など)に移住しました。
 一条教房従一位関白を務めたこともあるエライ方でした。
 その後、教房の子孫は土佐国に定住し戦国大名化。中村城はその頃に整備されたようです。
 時代は下って戦国時代、一条兼定の時に、新興してきた長宗我部氏との戦いに敗れ、中村は長宗我部家の領地となります。
 関ヶ原合戦後、土佐に入国した山内一豊は弟の康豊を中村城主とし、康豊と次の政豊の時代に中村城を整備します。
左の写真の石垣はその頃の遺構です。
 しかし元和の一国一城令で城は破却されました。

資料館にあった城の地図
 城は四万十川と後川に挟まれた小高い山の上に築かれています。
 城跡(二の丸)には模擬天守が建てられてまして、内部が資料館になってます。
一条氏や幡多郡関係の資料が展示されていました。

太平洋
 午前中は青空でしたが、夕方になるとどんより曇ってきました。
 この日も高知市内に泊まることにしまして、国道56号線を走って高知市まで戻ります。
この日もひろめ市場で晩ご飯を食べました。

岡豊城を見る
 翌朝の高知市内は今にも降り出しそうでした。
 国道32号線を走って帰路につきます。
 左手に岡豊城が見えてきました。
 長宗我部氏の本拠地です。
 

国道32号線を北上

有名な439(よさく)国道を走ります。
 帰りを急いでいるはずですが、大豊町で国道439号線へと入ります。
 雨降りそうなのにどこに行くのって?それは・・・

本山土居解説板

陣屋に残る石垣
 本山土居は、ここ本山を治めるために築かれた陣屋で、吉野川を見下ろす小高い丘の上に築かれています。  
陣屋現状
 長宗我部時代は本山采女がいたそうですが、山内時代は有名な野中兼山などが本山領を治めています。
 野中兼山の時代、本山に堰や用水が整備されたそうです。
 1718年以降は山内家の参勤交代時の宿泊所にもなりました。
 明治時代に建物はすべて取り壊され、今は石垣が残っています。

本山城の麓から本山陣屋を見る。
谷をはさんだ丘の上に築かれたことが分かります。
陣屋の向こうは深い谷になっていて、吉野川が流れています。

野中兼山が整備した用水路
 本山陣屋を後にして、急な坂を登っていくと、十二神社に着きます。
 十二神社の前には、野中兼山が整備した用水が流れていました。
 この神社も歴史が古く、1209年まで記録をたどれるそうで、野中兼山によって現在地に移されたそうです。

十二神社

滑りやすい木橋を渡ります。
 神社の横を通って本山城を目指します。 
 雨が降っていたらしく、足下が滑りやすくて参りました。

解説板

曲輪の跡でしょうか?
 本山城への道も急坂が続きまして、メタボな体には堪えます。
 

下にも曲輪のようなものが

本丸跡?
 ようやく頂上に到着。
 山城見物は大変ですよ〜
足下はもちろん登山靴です。
 本山城は、このあたりの豪族、本山氏が築いて居城としていました。
 本山氏の先祖はよく分かっていません。
 戦国時代には土佐の七雄の一つに数えられ、本山宗茂の時代に最盛期を迎え、本拠地を本山城から朝倉城(高知市)に移しました。
 宗茂と次の宗辰の時代、土佐吉良氏を滅亡させ、中村の一条氏とも争うなど、土佐の覇権を争います。

一段上がったところに石碑が

解説板

城内最高所にある
本山城碑
 が、宗茂の死とともに本山氏は衰退をたどり、宗茂の孫、貞茂は長宗我部氏の家臣となりました。
 貞茂は後に親茂と名を改め、豊臣秀吉の九州征伐にも参戦。

石碑の南側には尾根筋を断ち切る深い堀切が
本山城時代から残る遺構だそうです。

本丸?現状
 運命の戸次川合戦で、長宗我部信親と運命を共にしたそうです。
石垣があるようにみえますが、
本山城跡には営林所が置かれていた関係で、
かなり人の手が入っているそうです。

ミョウガでくるんだお団子
 本山城から降りてきたところで、雨もぱらつき始めました。
 本山にあったお店でみょうが団子を買ってみました。
 結構おいしかったです。

すごい!
どうやってつくったんでしょ?
国道439号線にて

本山陣屋(本山土居)は台地の上に建てられていました。
陣屋東側に町が広がっています。

国道32号線の風景
 本山城を後にして、国道32号線まで戻ってきました。
 再び北上を開始します。

阿波踊り自動販売機

大歩危・小歩危付近は深い谷が続きます。
 大歩危までやってきました。このあたりは谷が深くておっかないですね〜

天まで続きそうな道です。

大歩危
 道の駅大歩危で休憩しながら山を下り、ようやく三好市街へ。
 途中、徳島ラーメンを食べながら国道192号線を走り、徳島市を目指します。
 徳島市内に入ったときに和歌山行きのフェリーが出てしまいました・・・
 次のフェリーまでの時間調整に向かった先は・・・

徳島ラーメン

城山の海蝕痕
5,6000年前まで、
このあたりは海でした。
 徳島城でございます(笑)
 徳島城の歴史は古く、室町時代には山頂に渭水城、山麓に寺島城が築かれていたようです。

徳島城北側の石垣と堀

弁天池
中央には弁財天が祀られていたのでしょう
 天正13年(1585年)、四国征伐に功のあった蜂須賀正勝(小六)が阿波(現:徳島県)を与えられますが、これを固辞。
 阿波は正勝の子、家政に与えられます。
 家政は当初一宮城に入りますが、まもなくこの地に徳島城を築いて居城としました。
 

二の丸への階段

石段きつい・・・
 以後、徳島城は蜂須賀家の居城として明治維新まで続きました。
 石高は当初18万6千石、後淡路一国を加増されて25万石6千石でした。

東二の丸に到着
ここに三層三階の天守がありました。

東二の丸から海を見る
 徳島城の天守は元和年間に取り壊されたと伝えられ、本丸の弓櫓の場所にあったのではないかと言われています。
 その後、東二の丸に御三階櫓が建てられ、実質天守となりました。

本丸東側の石垣
かなり痛んでますね・・・

本丸
 本丸には御座敷ほか、弓櫓馬具櫓武具櫓火縄櫓がありました。
 御座敷では儀式が行われたのでしょうか?
 御座敷下には埋門があり、いざというときは場外に脱出できるようになっていました。

御座敷裏の埋門跡

弓櫓跡
かなり大きい櫓であったようです。
 東側から登ったので、西側から降りることにしました。
本丸西門

巨石がありました。
 弓櫓跡が元の天守だったとすると、当初の徳島城は西が正面のお城だったのかもしれません。
 それを裏付けるかのような巨石が、本丸西門の石垣に埋め込まれていました。

弓櫓台
その大きさから当初の天守跡と考えられています。

本丸西門の石垣
 お城はその正面の石垣に巨石を積んで権威を示すことが多いのです。
西門周りには巨石が多いのです。

本丸から西二の丸を見る
 徳島城西側の通路は執拗に折れと横矢がかりが意識されています。
 入国当時は阿波国の豪族達も心服していたとは思えず、睨みを効かせるためにも西側を正面にしていたように思えます。

西二の丸から本丸を見る

西二の丸、帳櫓跡
 西二の丸入り口には帳櫓跡があり、ここに殺到するであろう敵を頭上から攻撃できるようになっていました。
西二の丸跡

西二の丸門跡
 クランク状になった西二の丸門跡を抜けていきます。

門正面石垣には巨石があります。

西二の丸門跡
 西三の丸跡までやってきました。
帳櫓台

北側への石段
 西三の丸は二段に分かれていまして、二の丸門前が馬出状に一段高くなっています。
 現在の西三の丸は、配水池があり、半分ほど遺構が消失しています。

配水池越しに西側の風景を見る
 西三の丸の入り口も枡形虎口となっていまして、守りを固めています。
 

西三の丸虎口

三の丸からは急な下りに
 そろそろ山を下りることにしました。
 石段は急で膝が抜けそうでした。
 ここを攻め上がっていくのは骨が折れることでしょう・・・

膝が抜けそうなほど急は石段でした。

徳島城南側には徳島駅が
 徳島城南側にはかつて寺島川が流れていまして、天然の堀となっていました。
 今は埋め立てられまして、徳島駅となっています。
 駅と城の間にある細いドブに想像力を膨らませるしかないようです・・・・

徳島駅と徳島城の間にあるドブ
舌状に石が飛び出しているのが分かるかな?
かつてここに塀の支柱を乗せていました。

気動車が入ってきました。
 城山の南東側には御殿が建てられていまして、ここが江戸時代中に藩主の住居と藩政の中心となっていました。
徳島城大手門

大手門を正面から見る
 大手門を正面からみて左側に太鼓櫓、右側に月見櫓が建てられていました。
 太鼓櫓は三重三階で、天守のようです。

太鼓櫓台

案内板
 大手門の前には馬出状の空間(三木曲輪)がありまして、その外側には鷲の門がありました。
蜂須賀家家紋

鷲の門
 鷲の門は徳島城で現存する唯一の建物でしたが空襲で焼失。
 現在のものは復元されたもので、位置も若干違うようです。

御殿外の堀

四万十産青さのり100%
とってもおいしかったです。
 さて、ようやく船の時間がやってきまして、四国に別れを告げました。
 しかし帰ってきてもお土産というお楽しみは続きます。
 その一部をご紹介。

肉体疲労時の栄養補給に
「ゼヨ」
味は普通のドリンク剤のようです・・・

南海フェリーのキャラクター
「きらら」と「まい」のドリンク
徳島名産「すだち味」です。
 青さのりはご飯のお供にぴったりですね〜
ご飯が進んで困ります。
 栗ようかんはおいしかったですね。やっぱり日本人は和菓子ですね。

四万十といえば栗
栗ようかんおいしかったです。

高知といえばゆず
これまたおいしい
 すだちとゆず、どちらが好きかといわれると、やっぱりゆずかな・・・
 ドリンク系はゆずが圧倒的にうまい気がします。
 

徳島名産すだち使用
「はちみつすだち」
梅雨の合間に高知でござる 完
2014.10.12作成
2014年ツーレポトップへ
Home