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![]() 和歌山県大塔付近 |
2015年4月のよく晴れた休日。 我々は思い立って南に向かうことにしました。 田辺ICを降りて国道311号線を東に走ります。 |
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![]() 現在復旧作業中 |
途中、9月11日台風の爪痕が残る場所を通過しました。 山が奥から斜面ごと崩れてきて、元の国道を覆い尽くしました。 |
![]() くっきりと崩れた箇所がわかります。 |
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![]() 階段を登ります。 |
国道311号線を走って国道168号線との合流地点へ。 北に向かって熊野本宮大社に到着です。 かつては蟻の熊野詣でといわれ、貴人から庶民まで詣でたという歴史ある神社です。 |
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![]() 熊野本宮大社 |
創建は古くて記録に残っていません。 かつては熊野川の中州にありましたが、明治22年の水害で流され、高台にある現在地に移されました。 |
![]() 熊野本宮大社 |
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![]() かつてはこちらの石段を登ったそうで |
相方さんと二人、お参りしてまいりました。 |
![]() 歩きにくい石段でした。 |
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![]() 大鳥居と飛行機雲 |
かつて熊野大社があった中州には大きな鳥居が建てられていました。 神の使いである八咫烏が描かれていました。 |
![]() 八咫烏 |
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![]() かつて熊野大社があった場所 |
かつて熊野大社があった場所には、石段だけが残されていました。 | ![]() 苔むした切り株が |
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![]() 杉並木 |
お参りも済んだので本宮を後にします。 | ![]() 大鳥居 |
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![]() 熊野川 |
熊野川沿いに国道168号線を南下。 国道169号線に入ります。 現在は新宮市となった熊野川町九重に、廃校跡を利用したパン屋さんがあったので立ち寄ってきました。 |
![]() 看板 |
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![]() 校舎らしい建物 |
ここは土日しか営業していないので、お休みの日に来たいと思っていたのです。 | ![]() かつての教室 |
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時間が早かったせいか、焼きたてのパンにありつけました。 せっかく焼きたてなので、少し早かったのですが、お昼ご飯にしました。 |
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![]() 国道169号線 |
新宮市の飛び地や、奈良県瀞を通過して飛び地の村、北山村にやって来ました。 | ![]() 滝 |
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![]() 有名になった飛び地の村唯一のコンビニ |
ようやく集落に到着。 村唯一のコンビニで小休止とお土産購入。 ちなみに村の人口は400人あまり。 離島を除くと全国で二番目に人口が少ないらしいです。 |
![]() びゅんびゅん走ります。 |
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![]() 三重県内へ |
北山村から川を渡るとそこは三重県。 県道40号線を南下します。 |
![]() 県道40号線の風景 |
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![]() 県道40号線 紀伊半島ではこれでもいい方の山道です |
うねうねの山道を走ること30分くらいでしょうか。 紀和町赤木に到着しました。 ここには最近知られるようになった赤木城跡があります。 |
![]() 国史跡に指定されてます。 |
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![]() 赤木城 駐車場があって便利です。 |
羽柴秀吉の紀州征伐後、紀伊国は弟の羽柴秀長に与えられ、その家臣であった藤堂高虎は紀州各地に足跡を残しています。 粉河寺近くの猿岡城も藤堂高虎の築城と伝わりますが、この赤木城も高虎によるものです。 |
![]() お城縄張り図 |
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![]() 鍛治屋敷跡 ここには鍛冶場があったとの伝承があり、 発掘で裏付けられています。 |
ここ北山あたりは2度に渡る国人一揆があり、また未曾有の建築ラッシュにわいた豊臣政権下での木材供給地でもあったため、藤堂高虎を始め常に部隊が配置されていたようです。 | ![]() 東郭入り口 |
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![]() 東郭1の石垣 |
高虎は文禄4年(1595年)に伊予宇和島に移封されているので、それまでの間に赤木城は整備されたようです。 | ![]() 東郭への入り口 |
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![]() 東郭2と向かいの山 |
赤木城は非常にコンパクトなお城で、短時間で見回ることができます。 | ![]() 本丸への虎口 |
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![]() 虎口 石段がないため、かつては階段があったと考えられています。 |
赤木城は吉野から太平洋を結ぶ北山街道を見下ろす場所に築かれました。 尾根の頂上に主郭を置き、三つの尾根筋に東西郭と北郭を置いて守りを固めています。 |
![]() 虎口を上がったところ |
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![]() 本丸虎口 |
また東西郭に挟まれた谷筋には南郭が置かれました。 | ![]() 虎口と東郭を見下ろす 二段に分かれた東郭がよくわかります |
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![]() 赤木城本丸 |
主郭まで登ってきました。 そこそこの広さはあります。 |
![]() 向かい山の景色も最高です。 |
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![]() 本丸下の虎口 |
ここに何人くらいの軍勢が駐屯していたのか気になります。 | ![]() 北郭を見下ろす |
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![]() 主郭北側の石垣 |
城の南側にある東西郭は二段に分かれていて石垣も高さがありますが、北側にある北郭は一段しかありません。 | ![]() 西郭 |
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![]() 北郭北側にある堀切 |
その代わり北郭から一段下がった鞍部を堀切で遮断していました。 | ||
![]() 西郭解説板 |
西郭からは礎石が出ていて、二棟の建物が建てられていたようです。 | ![]() 西郭 |
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![]() 南郭 三段に分かれていました |
東西郭に挟まれた南郭には竈跡が発見されていて、居住区画であったようです。 | ![]() 解説板 |
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![]() 赤木城縄張り図 現地案内板から |
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![]() 北山街道 |
北山街道をさらに南下して丸山の千枚田を見に行ってきました。 | ![]() 丸山千枚田 |
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![]() 新宮城が見えます。 |
国道311号、県道35号線を走って熊野川まで出てきました。 橋を渡ると新宮市街地です。 ついでに新宮城にも登ってきました。 |
![]() ついでに新宮城も見学 |
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![]() 新宮城本丸と天守台石垣 |
![]() 本丸虎口 時代が新しいので切り込みハギですね |
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![]() ちょうど花見が終わった時期でした |
何度かご紹介しているのであまり詳しくは書きませんが、広大な紀州藩領の東牟婁の押さえとして新宮城は重視されていました。 | ![]() 本丸 |
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![]() 熊野川と新宮城出丸 |
また先ほど紹介した北山の木材は筏に組まれて川を下り、ここ新宮から出荷されていました。 輸入材が入ってくる以前の昭和30年代頃まで、新宮は木材市場があって大変賑わっていたそうですよ。 |
![]() 半分崩されている天守台 |
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![]() 水の手郭 |
その頃の新宮城は民有地で旅館が建てられていて、天守台などがそのとき一部壊されているのがもったいないところです。 | ![]() 炭小屋があったそうです |
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![]() 船小屋跡 |
最近新宮城の麓にあった水の手郭が発掘調査され、木炭を貯蔵する倉庫跡や、船小屋跡が見つかったそうです。 豊富な木材資源をここから出荷していたそうですよ。 |
![]() 物流を押さえていたのですねえ |
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![]() 熊野川と紀勢本線の鉄橋 |
![]() 香梅堂で鈴焼き買いました |
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![]() めはり寿司 |
地味ではありますが、新宮も名物の多いところ。 おやつに鈴焼き、晩ご飯用にめはり寿司を買いました。 |
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![]() こちらはお土産 |
新宮に一泊しようかと思ったのですが、翌日雨の予報だったので、無理して帰宅しました。 | ![]() おいしゅうございました。 |
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201504南紀の旅 完 | |||
2017.2.7作成 | |||
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