御城番屋敷 |
松阪で朝を迎えました。 この日も極上のお天気。 朝ご飯もそこそこに出発します。 まずは松阪城の南にある長屋にやってきました。 ここは御城番屋敷といいまして、紀州藩領であった松阪城の城番を務めた紀州藩士の組屋敷(長屋)です。 |
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松阪城の真下にあります。 |
文久3年(1863年)と江戸時代末期に建てられたものですが、現存している上に今でも人が住んでいるという貴重なものです。 国の重要文化財だそうです。 |
こちらは蔵 |
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松阪城二の丸石垣 |
松阪城も何度かご紹介していますが、築城は天正16年(1588年)、蒲生氏郷によるものです。 | 松阪城二の丸石垣 |
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松阪城裏門 |
氏郷が会津若松に移った後は服部一忠が城主となります。 服部小平太と言うと「あの!」という方もいるのではないでしょうか? |
裏門跡 |
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松阪城縄張り |
桶狭間合戦で、今川義元に一番槍をつけた人です。 信長亡きあとは秀吉に仕え、小田原戦役で功があったとして松阪城主となりました。 清洲城主であった豊臣秀次の与力となりますが、これが仇。 秀次失脚に巻き込まれて切腹させられてしまいました。 |
裏門 |
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御城番屋敷を二の丸から見下ろす |
その後は古田重勝が城主となります。 重勝は松阪城の整備を行ったらしく、城に残る「きたい丸」は、重勝の子重恒の幼名にちなんだ名前だそうで。 古田家はその後石見浜田(島根県浜田市)へ転封。 元和5年(1619年)、松阪は紀州藩領となり、松阪城は城代支配となりました。 |
土戸御門跡 右は隠居丸入り口 |
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二の丸から本丸下の段へ |
城主のいなくなった松阪城はあまり手をかけられなくなったようで、天守も台風で倒壊した後は再建されなかったそうです。 | 中御門跡 |
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太鼓櫓跡 |
本当にこの日はいいお天気で、お城めぐりには最高でした。 | 石塁が松阪城の特徴です。 |
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月見櫓跡 |
松阪城はコンパクトなお城ですが、立派な石垣もあって見所は多いです。 | 本丸下の段石垣 |
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本丸から二の丸を見下ろす |
のんびりと見て回りました。 | 鐘の櫓台と助左衛門御門跡 |
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金の間櫓石段 |
本丸上段へは金の間櫓脇の石段と、通常の城門跡があり、どういうふうに使い分けていたのかよくわかっていないそうです。 | 本丸上段への石段 |
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本丸上段へ |
本丸には天守台があり、かつては多門櫓が巡っていたそうです。 | 本丸 |
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金の間櫓跡 |
安土城と似ているとも言われますが、蒲生氏郷は信長の娘婿でしたし、影響は受けたのかもしれません。 | 本丸にも石塁が |
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天守台 |
天守台には付け櫓と敵見櫓がつながっており、連続した建物だったようです。 このあたり、岡山城天守群にもよく似ていますねえ。 |
敵見櫓跡 |
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天守台上 |
天守台にも上ってきました。 | 石棺のふたなんだそうです。 |
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きたい丸石垣と、隠居丸下にある 本居宣長記念館の建物 |
松阪は三井家発祥の地でもあり、本居宣長を生んだ地でもあります。 城内には旧宅が移築されており、記念館もあります。 |
松阪市歴史民俗資料館 |
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助左衛門御門跡 |
きたい丸から本丸下をぐるりと回って表門まできました。 | 表門 |
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二の丸石垣 |
二の丸東側をぐるっと歩きます。 | 昭和の香りがする看板 |
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二の丸石垣 大きな石が埋め込まれていました。 |
車を停めたところまで戻って帰路につきます。 | 春ですねえ |
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松阪城縄張り |
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伊勢街道 |
ちょっと伊勢街道を走ったりしながら国道166号線を走ります。 途中で焼き肉食べてスタミナつけました。 |
松阪で焼き肉 松阪牛なんでしょうか?(笑) |
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お茶畑 |
途中の飯高町はお茶ところ。 沿道にはお茶畑が広がります。 道の駅飯高で小休止。 おもしろいもの見つけましたよ。 |
何の木かわからないけど、 1350円だそうです(^^; |
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高見峠のループ橋 |
高見峠をぐるっと登って奈良県まで戻ってきました。 途中の鷲家集落は、和歌山街道の宿場で、紀州藩領でした。 幕末に起こった天誅組の変では伊勢に逃れようとした天誅組は、ここ鷲家で幕府軍に捕捉されて全滅しています。 |
藤堂藩駐屯所 天誅組の変のとき、 津藩兵が陣を置いた場所です。 |
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道しるべ 「江戸」の文字があります。 |
宿場町の雰囲気を残す鷲家集落を後にして、県道16号、国道370号を経て国道169号線まで戻ってきました。 | 県道269号線 |
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県道269号線 |
しかし六田まできたとき、急に色気を出して、県道222号線、県道269号線を北上。 高取までやって来ました。 |
高取城縄張り図 |
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登城口 壺坂口から登ります。 |
以前にもきましたが、ここ高取には日本三大山城の一つ、高取城があります。 せっかくここまで来たので、よっていくことにしました。 |
立派な石垣です。 |
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壺坂口到着 |
ここ高取城は大和の豪族越智氏によって築かれました。 もともとは詰めの城だったようです。 |
二の丸石垣の下を歩きます。 |
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大手門跡 |
大和・紀伊を支配した豊臣秀長は、重臣の本多利久を高取城主としました。 本多家の時代に整備が進められたようです。 |
高取城の古写真とCG |
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こちらは三の丸にある千早門跡 |
本多家は関ヶ原も乗り切って三代続きますが跡継ぎなく改易。 あとは譜代の植村家が2万5千石で入って幕末まで続いてます。 |
大手門跡から二の丸下へ |
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二の丸下から二の丸へ |
大手門を通過して二の丸下へ。そこからもう一つ虎口を通過すると二の丸上の段に到着します。 | 二の丸にある仕切り石塁 |
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十五間多聞櫓跡 |
本丸西正面には巨大な馬出が置かれました。 高石垣が築かれて動線を遮断しています。 その上には15間多聞櫓が築かれ、その両脇を新櫓と太鼓櫓が固めていました。 |
馬出への入り口 |
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十五間櫓台と新櫓台 |
その馬出を抜けると巨大な天守台が見下ろす構造になっていました。 | 本丸虎口 小さい方 |
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本丸 |
本丸にもたくさんの建物があったそうです。 2万5千石では維持が大変だったのではないでしょうか? |
天守台から馬出・二の丸を見下ろす |
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天守穴蔵 |
石垣も立派で見所満載です。 ただし城下町から歩いて登ってくると一日がかりですが。 |
立派な杉の木・・・ |
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本丸にあった池 |
日も傾いて寒くなってきたので、そろそろ帰宅することにしました。 | 天守穴蔵 |
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本丸南側石垣 |
一度城下町から歩いて登ってきたいのですがね・・・ | 本丸南側石垣 |
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本丸虎口 奥に見えるのが天守台 |
課題にしておきます。 | 本丸石垣 崩壊を防ぐ押さえの石垣が築かれています。 |
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お城の建物に使われた瓦でしょうか? |
書くことなくなってきた。 | 高取城下の民家 |
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高取城中心部 |
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今回のお土産。 やはり東海圏はすがきや強いなあ。 |
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2015お伊勢参り 完 | |||
2017.2.14作成 | |||
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