東出丸から三の丸入り口
 東出丸から三の丸に入ります。
 この門は平入りというまっすぐに曲輪内に入れる入り口になっています。

三の丸内の崩れた石垣
 三の丸内は木がいっぱい生えていて薄暗いですが、かなりの広さがあり、井戸跡なんかもあります。
 三の丸の中程に、本丸への大手口があります。
三の丸井戸跡

本丸大手口

本丸大手口
 本丸大手口はかなりの幅のある門だったようです。
 さすがは天下人の陣城です。

かなりの幅のある門です。

本丸
 本丸はかなりの広さがあり、かつては御殿が並び、秀吉が実際に生活していました。
本丸は何度か拡張されていて、
埋め込まれた石垣なんかが展示されています。

本丸隅櫓跡
 本丸西側には、後から拡張された部分と、その上に建てられていた多門櫓、隅櫓の跡が表示されていました。
本丸多聞櫓跡

隅櫓跡から二の丸石垣を見る
 多門櫓部分は本丸から大きく拡張されていて、天守からの横矢が効かなくなってしまっています。
北側は遠く玄界灘を望むことができます。

多門櫓端から天守台を見る
人が立っているのが天守台
 なぜ防御を無視した拡張がされたのかはわからないそうです。
天守台から多聞櫓跡を見る

天守台から西を見る。
下に見えているのは本丸北西にある
遊撃丸の石塁
 日向を歩くと肌がじりじりと日焼けするのがわかるくらいの強烈な日差しでした。
二の丸から遊撃丸への入り口
食い違い虎口になっています。

天守台からは
呼子大橋も一望できます。
 しかし天気がいいので楽しいです。
天守台の石垣

本丸から水手曲輪へ
 本丸から出て城の北側をぐるっと歩きます。
本丸北側の石垣

水手曲輪の石垣
 この辺はなかなかお城の本でも紹介されないですからね。
水手口付近

北側から遊撃丸を見上げる
 歩いていて楽しいです。
二の丸北側の入り口

二の丸西側の石塁
 ここ名護屋の地は東西に名護屋浦と串浦の二つの入り江があり、天然の良港でした。
遊撃丸への入り口
手前が二の丸

本丸西側の石垣
 名護屋浦には沖に加部島があり、波よけとなっていました。
遊撃丸内部

遊撃丸から天守台を見上げる
 ここから壱岐・対馬と渡り、朝鮮半島への海運の拠点としては最高の場所にありました。
遊撃丸内の石塁
守備兵が登れるように石段があります

弾正丸西側にある搦め手口跡
 陣城とは言いながら、城域は17万uになり、五重天守、10基を越える重層櫓、茶室や能舞台も持った伏見城にも匹敵する規模のお城でした。
虎口

搦め手口前はわりと平坦な道が続きます。
 これだけの規模のお城でしたが、秀吉の死により明・朝鮮での戦争が終わりを迎えると、その意義を失って歴史の表舞台から消えていきます。
搦め手口を外側から

二の丸から馬場へ
 関ヶ原のあと、この地を治めたのは唐津城主の寺沢広高で、名護屋城の用材は唐津城へと転用されました。
馬場櫓台

本丸南側の石垣
 石垣だけが残されましたが、それも島原の乱による破城令で取り崩されて現状となったわけです。
 国家プロジェクトが失敗に終わった記念碑ともいえそうですね。

馬場から三の丸に入っての櫓台

名護屋城縄張り図
資料から

唐津線
 名護屋を出て国道204号線で唐津に向かいます。
 唐津から福岡までの海岸ルートは景色はいいのですが、福岡市手前で渋滞するルート。
 国道203号線で南下します。

国道203号線

羊羹のお店
 小城市内にやって来ました。
 ここは小城羊羹のふるさと。
 走った道沿いだけでも5,6軒の羊羹店がありました。
 二軒はしごしてお土産に羊羹をしこたま買い込みました。

こちらもです。

めかりPA
 この日は新門司からフェリーで帰る予定だったのですが、無性にお好み焼きが食べたくなったので、広島に寄り道することにしました。
 県道44号線、48号線を経て佐賀大和ICから高速道路に乗ってめかりPAまでやって来ました。

門司橋

関門海峡

九州に別れを告げました
 PAで小休止して九州に別れを告げます。
北九州市街

山口県内
 山口県内は高速道路をひた走り、日も暮れた頃に広島市内に到着。
 お好み焼きを食べに行きます。

八昌さん

うまそうですねえ
 念願のお好み焼きと対面です。
 しこたまいただきまして大満足です。

いただきまあす

山陽本線
 翌日も高速代けちって西広島まで下道を走りまして、河内ICから山陽道に乗りました。
山陽道

福山SA
 福山SAはバラが満開でした。
福山SA

福山で名物発見
 帰り道も食い道楽しながらの道中となりました。
尾道の名物らしいです。
長崎にいきましょう 完
2017.4.29作成
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