妻二丁目
 さて三週連続で街道を歩くことになりました。
 この日は橋本から出発なのですが、橋本駅前に駐車場を見つけることができず、橋本駅から少し離れた場所に車を停めて、そこからスタートすることにしました。
 このあたりの地名は
「妻」
なんだそうです。

「歴史街道」の道標
歴史街道推進協議会というところが
発表している探索ルートです。

さあスタートです。
 このあたりも街道の空気を今に伝えていますねえ。

闇峠(くらがりとうげ)
 妻から歩いてしばらく行くと川があり、そこに向かって道が下っています。
 このあたりを闇峠といい、江戸時代には名物「闇まんじゅう」を出していた茶店があったそうです。
 紀伊国名所図会にも描かれたそのまんじゅうは、蒸しまんじゅうだったらしいのですが、現在は失われてしまいました。

こんな感じです。
峠というイメージではないのですが・・・

このあたりはかつての下兵庫村
 暗峠を越えると再び左のような雰囲気の道に戻ります。
田の神さあのようなお地蔵さん
 下兵庫の駅を過ぎたところで踏切を越え、和歌山線の北側にでます。
 このあたりがかつての上兵庫村になります。

上兵庫の地名

西国橋
 西国橋を越えてさらに東に歩きます。
 隅田の集落までやって来ました。

今は廃業した鶴の滝(帯庄酒造)
の看板

閉店した自転車やさん
 隅田庄は寛和年間(985年〜987年)に石清水八幡宮の荘園として成立したそうで、ずいぶんと古い歴史があります。
 1100年頃、地元豪族の末裔とされる長忠延が隅田庄公文職となり、以後隅田氏を称して隅田庄を支配します。
 隅田氏は葛原氏など庶流を輩出しつつ勢力を保ち、鎌倉時代は紀伊守護職だった北条氏に仕え、六波羅などにも出仕していたようです。

隅田も門前図書館
昔役場かなにかだったような雰囲気の
建物ですねえ・・・

古い民家
 元弘の乱(後醍醐天皇による倒幕運動)では北条氏につき、隅田氏惣領は近江の国で戦死しています。
 南北朝時代は主に南朝側についていたようですが、室町幕府成立後は紀伊国守護の畠山氏に仕えていたようです。
 畠山氏の衰退後は織田信長に仕えたようで、馬揃え(天正9年(1581年))に参加したり、高野山攻めに加わったりしていますが、やがて郷士化していったようです。
 と説明しているうちに奈良県境までやって来ました。

奈良県境見ゆ

奈良県境石碑
 今では気づく人も少ないであろう石柱が、国道から数メートル奥に立っていました。
 従是東 奈良縣庁管内
(これよりひがしならけんちょうかんない)とあります。
 明治時代に建てられた県境を示す石碑のようです。

但シ川ノ中央ヲ以ッテ境界
と書いてます。


奈良縣廳 49キロ余り
宇智郡五條町 4キロ余り
 随分立派な県境碑ですねえ。
 これも見たかったんですが、もう一つみたいものがありまして、10分くらい県境をうろうろと探し回ります・・・

蓮が咲いてました

付近の様子
 ようやく見つけました。
 国道から離れること数十メートルにありました。
 「飛び越え石」
といいます。
 実はここが飛鳥・奈良時代の南海道でして、この石の真ん中が紀伊・大和国境なのです。
 国境を飛び越えて通ったことから「飛び越え石」という名前がついたのです。
 この付近で読まれた和歌も万葉集にあるそうです。

これが飛び越え石です。

ここ国境(笑)

土壁の民家
 国道をまたいで橋本市隅田町真土集落を歩きます。
 ここが国境も町。ここを過ぎれば大和国です。

真土集落

真土の蔵

奈良県に入りました。
 えらいもんで、やはり県境を越えると少し雰囲気が変わるものです。
 国道24号線と交わりながら歩いて行きます。

登っていくには危険を感じるお社

天法輪寺山門

踏切

大和二見駅
 大和二見駅までやって来ました。
 かつてはここから貨物線が分岐していて、吉野川水運による物流と接続していました。
 貨物線は昭和57年まで残っていたそうです。

五條市のマンホール

橋本駅前でも見かけた
塀の中に門を設ける様式
 このあたりは何度も来ていますが、いつ来てもいい感じです。
五條らしい街並みです。

昔の日本は美しかったことでしょう
 てくてく歩きます。
こちらは防火しっかり

ものすごいうだつです。
 さすがに6月半ばともなると日陰を選んで歩いてます(笑)
ずんずん歩くと

向こうに五新線が見えてきました
 昔ながらの街並みを断ち切るようにコンクリート橋が見えてきました。
うだつ

五新線
 これが五新線の跡です。
 五條〜新宮間を鉄道で結ぼうという計画。
 国道168号線を車で走ったら、こんなところに鉄道を通そうとしたことにビックりしますよ〜

コンクリート橋が吉野川の手前で止まってます

美しいアーチを描くコンクリート橋
 戦前の橋はやたらとコンクリート製が多いですが、当時のはやりだったのでしょうか?
五條新町

ちょくちょくテレビにでてるお店
 関西のテレビで何度か紹介されているお店にやってきました。
 名物のお餅は売り切れで、柏餅買ってみましたが普通でした。

柏餅はまあ普通

酒屋
山本本家
  山本本家は確か柿のお酒を売り出していたような・・・
山本本家前の通り

こちらはお醤油やさん
 ナカコ醤油さんの前を歩きます。
このお家はなにか文化財だったはず

再会した大道標
右 いせ ごせ なら 大峰山上 よしの
 本陣交差点にやって来ました。
 大きな道標がお出迎え。
 ここ五條は吉野川水運と和歌山・伊勢を結ぶ東西の街道、河内・十津川を結ぶ南北の街道が交差する要衝で、代官所が置かれ、天領支配でした。

左 かうや(高野)わかやま 四国 くまの

安政二年・・・
って誰?マジックで色塗ったの?
 国道24号線を地下道でくぐり、本陣交差点を東北に進みます。
角を落とした町屋

丸窓が印象的なお家
昔の旅館?
 大和街道ってここはもう大和なので伊勢街道ってことになりますが、商店街になった伊勢街道を歩いて行きます。
 と駅前通りと交差。
 駅の方へ歩きます。

五条駅前通り

駅前旅館
昔は駅前にこんな感じの旅館が必ずありました。
 五條駅に到着しました。
 時刻表を見ると、和歌山行きはでたばかりのよう(笑)
 1時間近く待つことになりました。

五條駅

五條駅構内
 時間もお昼だし、御飯でも食べようかと国道まで歩いてみましたが、よくあるチェーン店しかなく、あきらめました。
 ようやく電車が来たので橋本駅に引き返します。

典型的な国鉄型の構内ですよね。
駅舎に隣接した1番線ホーム
向こうに島形ホームがあるとか
1番線と2番線の間に機回し線あるとか


かうや 紀三井寺 こかわ? 和歌山
 本当は橋本駅から歩かないといけなかったんですが、離れたところに車を停めてしまったので、街道を歩いて戻ることにしました。
右 いせ 山上(大峰) よしの
なら ごせ ・・

せんべい屋
 せんべい屋さん、おいしそうだったんですが、6月の暑さでは食べる気になれず・・・
橋本駅東側の風景

高野線
向こうに見える鉄橋が和歌山線
 高野線をまたいで車まで戻りました。
 これにて和歌山〜五條の大和街道をコンプリートと相成りました。
 実は私はこのまま東に向かって歩き、松阪を目指したかったのですが・・・
 山の中に入っていくと戻ってこれなくなると相方さんが猛反対。
 とりあえず五條でゴールとなりました。

二軒目飯店名物
ニラ炒め

餃子と
 とりあえず大和街道踏破ということで祝勝会。
 お昼は笠田の国道24号線沿いのお店
「二軒目飯店」
で、名物のニラ炒めを食べました。
 めちゃうまいっす。
おすすめです。

焼きめし
大和街道をゆく 完
2017.8.19作成
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