真正面に広島城多門櫓
 翌朝はゆっくり目の始動。
 宿の朝ご飯を食べてから移動開始します。 まず目指したのは広島城です。

二の丸

二の丸
 広島城は中国の覇者毛利家120万石の居城として築かれたお城で、広大な本丸にその名残をとどめています。
 今はない聚楽第に縄張りが似ているといわれています。
 ご存じのとおり毛利家は関ヶ原で防長二カ国に移封され、その後には49万石で福島正則が入ります。
 福島正則が改易された後には紀州和歌山から浅野長晟が42万石で入って明治維新まで続いています。
 幕末の第一次長州征伐では幕府軍の本営が置かれ、総督であった尾張藩主徳川慶勝が広島城にやって来ました。
 徳川慶勝は写真趣味がある人で、広島城にもカメラを持ち込んで貴重な写真を残しています。
 明治維新後は広島鎮台などが置かれ、日清戦争の時は大本営が置かれるなど、広島は陸軍の街としてて発展します。
 それが仇となったのか原爆投下地となり、天守をはじめ現存していた建物はすべて破壊されています。
 現在城内にある建物はすべて復元です。

二の丸表御門
 広島城というと毛利家福島家のイメージが強く、浅野家の印象が薄いですよね(笑)
 赤穂城主だった森家とよく似てます。こちらは浅野家のイメージなんですけど。
 で、浅野家についてちょっと調べてみました。
 浅野家は豊臣秀吉の姻戚で、浅野長政の嫁と秀吉の嫁が姉妹(養女からみ?)という関係。
 浅野長政は秀吉に重用されて京都奉行職などを歴任。小田原陣後の奥州仕置きでは中心的役割で、大崎葛西一揆などの対応をしています。
 伊達政宗との仲の悪さは特筆もので、後世まで広島藩と仙台藩は絶縁状態でした。

五重五階の立派な天守。
江戸時代はこの天守に三重三階の小天守を
二基従えていました。
中国の覇者にふさわしい威容でした。
高さも築城当時最大の豊臣大坂城天守に
次ぐ高さでした。

なんか悪そうな解説板です。

広島市のマンホール
鯉ともみじ
 ま、どっちが悪いんだかわかんないんですけど(笑)
 加藤光泰没後、徳川家康への押さえとして甲斐一国21万石余りを与えられます。
 秀吉没後、前田利長とともに家康暗殺の嫌疑をかけられて隠居。
長男の浅野幸長が跡継ぎとなります。
 関ヶ原合戦で岐阜城攻めの先鋒で戦功のあった幸長は、戦後紀州和歌山37万石余へ加増転封となります。
 大阪陣前に幸長は死去。後は弟の浅野長晟(備前足守藩主だった)が後を継ぎ、大坂夏の陣では塙団右衛門(木札(名刺)を配り歩いた方)を討ち取るなど戦功を挙げます。
夏の陣後、徳川家康の三女振姫が嫁ぎ、光晟が生まれます。
 が、福島正則改易で元和5年(1619年)に安芸広島に移封され、和歌山には徳川頼宣が入ります。
 徳川家に追われるように西へ西へと移封されていくのが印象的です。
が、豊臣系の大大名としては珍しく改易されず、光晟は家康の血を引いていることもあり、松平安芸守の名乗りを許されています。
 赤穂藩主浅野家は幸長、長晟の弟長重が長政の隠居領5万石を継いだことに始まる家です。
 松の廊下事件のとき、浅野本家は連座をほんとーに恐れていたようで、大石一党が事を起こさぬよう、切り崩し工作などを行っていたようです。
 が、討ち入り事件発生。さぞや肝を冷やしたことでしょう・・・・
 しかし大石一党が武士の鑑扱いとなると手のひら返し。内蔵助の三男を浅野本家で召し抱えています。

広島城
太田川のデルタに築かれた広島城は直線的な縄張りが特徴です。

広島の路面電車
 広島は瀬戸内・太田川水運と、西国街道(山陽道)、雲石街道などの結節点として栄え、現在も中国・四国の中心都市として栄えています。
 日がぐんぐんと高くなってきて日向を歩くのがつらくなってきました。

路面電車とは思えない
長い編成〜

江田島とフェリー
 駐車場に戻って広島市街を後にします。
 国道2号線から国道31号線を走って呉を目指します。

軍艦大和
 呉では大和ミュージアムを見学。
 大スケールの軍艦大和や、ゼロ戦など見学します。
 大和ミュージアム前のゆめTOWNでお買い物。
 地元の食材を物色します。

ゼロ戦
小学生の時はよくプラモ作ったなあ・・・

ヤングプラザ ポパイさん
 遅くなりましたがお昼ご飯を求めて移動します。
 呉市街からトンネルを抜けて広市街へ。
白武小学校前の「ヤングプラザ ポパイ」にお邪魔します。

こっちが醤油味
これで並盛り450円
 某県民バラエティ番組でも紹介された
「肉玉ライス」
を求めてやって来ました。
 醤油・ソース・塩こしょう味とありましたが、定番らしいソースと醤油をそれぞれ注文します。
 大量に盛られたご飯に、ふりかけ(地元タナカの旅行の友)をかけ、その上に目玉焼きと豚バラ肉を乗せ、そこにごらんの通りのソース(お好み焼きソース?)とマヨネーズをかけてできあがりという、メタボなんかクソ食らえ!!な一品でございます。
 体育会系の部活帰りに最適だと思われます。
 すごい塩分とカロリーでした・・・が、妙にくせになるお味でした。
 個人的には醤油の方がさっぱりしていただけるかと。
 年のせいかしら・・・(^^;

こっちがソース味

国道185号線の風景
 国道185号線を走って瀬戸内の海の風景を楽しみます。
 何回走っても楽しい道です。

お天気最高

天気がいいので気温も最高!
35度でございます。
 うだるような暑さの中を東に向かいます。
国道185号線の風景

小さい造船所がいくつかあります。

しまなみ海峡大橋が見えてきました
 尾道市街に到着です。
 晩ご飯は尾道ラーメンにしました。

尾道駅

お店
 有名店は営業終わっていたので、雑兵というお店にはいりました。
 肉玉ライスを食べたところだったので、二人ともラーメン単品を注文。
 とってもおいしかったです。

尾道ラーメン

国道2号線
上を走っているのは尾道大橋
 尾道からは国道2号線を走りまして、とっぷりと日も暮れた頃、福山駅前の宿に到着しました。
尾道水道

地域限定のチューハイ
 外に出て行くのもめんどくさいので、お部屋でいっぱいやることにしました。
広島はガンス

こちらは島根の赤てん
 中国地方の名産でいただきまーす。
竹原のお酒 誠鏡

これ鳥取だったっけ?
豆腐ちくわ
 ほどよく酔っ払ったところで就寝です。

三の丸西御門櫓台跡
福山駅ホームの下にひっそりと残っています。
 翌朝、朝ご飯食べてから駅裏にある福山城を見学
解説板

福山城
 三原城、明石城などの例にもれず、福山城も明治にはいってからの鉄道敷設によってお城の敷地をがりがりと削られてしまっているのです。

伏見櫓前から福山駅ホームが見えます
 福島正則改易後、幕府の威信を見せるべく築かれた福山城も、こうなると悲しいですなあ・・・
伏見櫓(現存)

筋鉄御門(現存)
 福山市は城の保存にあまり熱心ではないようで、近くの三原市とは対照的な対応です。
鐘櫓(現存)

福山城天守
(外観復元)
 私事ですが、福山城はいつも早朝訪問になってしまい、まだ復元天守に登ったことがありません。
 こんなに縁のないお城も珍しいです・・・・

岡山県突入
 福山からは高速道を利用してひたすら東を目指します。
 途中、吉備SAでリオオリンピックの男子400mリレー中継を偶然見ました。
 歴史的な瞬間を目にできました。

吉備SA

桐葉菓おいしいです。
 今回の戦利品です。
 桐葉菓は広島くると必ず買ってしまいますね。
おいしいです。

これなんだっけ?

松山のおいしいジェラードやさんで
買ったジャム。
おいしかったです。
 ジェラードほんとうまかった。また松山行きたいな・・・・
今日もカープはかっちかち

ようやく飲めた雨後の月
 長らく飲めなかった雨後の月をようやく飲むことができました。
とってもうまかったです。
 広島のお酒はほんとおいしいです。
松山・広島船の旅 完
2017.9.2作成
2016年ツーレポトップへ
Home