金剛山
 弥生3月、東海道の旅の次の日に奈良縣は橿原市にある今井町にお出かけしました。
奈良県民の足
近鉄

明治36年築
高市郡教育博物館として建てられ、
昭和4年からは今井町役場でした。
 今井町というのは戦国時代に本願寺今井道場を中心に栄えた寺内町で、三重の堀と土塁で守りを固めた環濠集落として有名です。 
今井町の解説

高木家住宅
19世紀中頃
 堺とは竹内街道でつながっており、交通の要衝として商業が盛んな町でした。
雨樋の透かしが見事です。

河合家住宅
18世紀中頃
 織田信長ともゆかりのある町で、本願寺派として織田勢と戦になり、その時に堀と土塁で囲まれた環濠都市になりました。
 本願寺が織田家と和睦した後は、信長から朱印状を与えられて自治都市となり、「海の堺」「陸の今井」と並び称されたそうです。

今でも酒造業を営んでます。

二重破風が見事ですなあ
 電柱がなければ江戸時代にタイムスリップしたような街並みが残っていまして、とても見応えがあります。
町内はこんな感じです。

路地はこんな感じ
 町割も江戸時代のままです。
恒岡醤油

中橋家住宅
18世紀後半築
これで中規模の町屋だそうです。
 称念寺までやって来ました。
称念寺

見事な彫り物です。
 開基が永禄年間までさかのぼる古いお寺です。
 本堂は17世紀初期のものです。

こちらも見事

称念寺山門
 称念寺は寺内街今井町の中心となったお寺です。
明治10年の天皇陛下の畝傍陵行幸の際は行宮所となりました。
天皇陛下がこのお寺の滞在中、「西郷隆盛挙兵」の一報が入ったという逸話があります。
 

豊田家住宅
 豊田家住宅です。
 もとは材木商で、二階の壁に
「木」
と描かれています。

豊田家住宅
寛文2年(1662年)築

豊田家住宅
 町をぶらぶらと歩きます。
定番のマンホール

紙半豊田記念館
 紙半豊田記念館で見学しました。
 紙半は300年12代続いた商家で、肥料などを扱っていたそうです。
 個人が収蔵品を公開している珍しい博物館です。
 

今西家住宅
 今井町の西口には今西家住宅があります。
 堺につながる竹内街道からの入口にあるため、まるでお城のような建物です。

今西家住宅

今西家住宅
二重の破風が見事です。
 今西家は戦国時代は今井町の領主で、江戸時代には惣年寄筆頭を務めました。
今西家は今井町の西の入口に
ありました。
堀と枡形の跡

今西家
三階菱の紋が見えます。
 今西家の前で街路が屈折していまして、町の中を見通せない造りになっています。
今西家住宅

まるでお城の櫓のような建物です。
 さすがは見事なお屋敷でした。
卯建の上がった町屋

上田家住宅
1744年頃築
 上田家は今西家、尾崎家と並んで惣年寄を務めた家柄。
 今井札を発行するほどの経済力を持った商家でした。

煙出しや銅製の雨樋が見事です。

普通に住んでます
 17世紀後半に建てられた吉村家住宅前を歩きます。
吉村家住宅

吉村家住宅
 しかし町中文化財ってのもすごいもんですね。
音村家住宅
17世紀後半

旧米谷家住宅
18世紀中頃
 旧米谷家住宅が無料公開されていたので見学しました。
 蔵前屋敷のついた蔵は珍しいですねえ。

数寄屋風の蔵前屋敷がついた蔵

土間の竈
 休日の午後を堪能しまして帰宅しました。
 今井町はおすすめです!

夕日
今井町訪問記 完
2019.5.19作成
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