フェリーのチケット
 さて、北海道を訪問するのも今回で4回目になります。
 この日は仕事を早めに切り上げまして、高速道をひた走ります。
 19:30に舞鶴ICに到着。晩ご飯を済ませて20:00にフェリーターミナルに到着しました。
 この日は知人も乗船するという話だったのですが、姿を見せませんでした。
 22:00に乗船が始まり、23:30に出港しました。
 船内で知人とひょっこり遭遇。
時間潰しにパチンコやっていたが出玉が止まらなくなり、
ぎりぎりまで打っていたらしい・・・怒
 心配して損した(笑)
 まあ翌日の昼ご飯おごってもらったから許すとしましょう・・・
 舞鶴出港の翌々日の4:00。
 フェリーらべんだあは小樽港に入港接岸しました。
 小樽港にほど近い市場の、知人の知り合いのお店でウニとマグロの中落ちを購入。
二人で山分けしまして、1000円で海鮮丼を食べました。
うまかったっす。
 この後、知人とは別れまして雨竜沼へと向かいます。
 が、この日はあいにくの天気でして、
沼は霧に覆われて視界がまったく効きませんでした。
しかもカメラも電池切れ。(T0T)
 写真も撮れずに引き返し、お昼ご飯は登山口で食べました。

フレベツから麓郷、十勝連峰を望む
 その後、富良野に移動しまして一泊しました。
 翌朝は早めに宿を出発。
 道道253号線から国道38号線を経由して帯広市街へ。
 ぱんちょうで豚丼食べまして、六花亭本店でケーキもいただきました。
 お腹も一杯になったところで層雲峡を目指します。

国道241号線にて
 帯広市街から国道241号線を北上します。
 上士幌で国道273号線に入ります。
 のんびり走っていると、途中で廃線後を発見。
 士幌線の廃線跡です。
 士幌線の跡をトレースしながらのんびり走ることにしました。

士幌線のトンネル跡

士幌線の路線図
 士幌線の歴史なぞ

 帯広〜上士幌間は軽便鉄道(簡易鉄道)で1926年(大正15年)に開通していました。
 上士幌から上川に抜ける鉄道を敷設する計画が持ち上がり、1939年(昭和14年)に上士幌〜十勝三股間が開通しています。
 しかし三国峠を越えることができず、十勝三股付近の豊富な木材の輸送が主でした。
 糠平以北には道路がなく、鉄道のみが交通手段となっていましたが、1960年代から国道273号線の整備が進み、1972年(昭和47年)には三国峠を越えて上川町に達します。
 道路が開通したことにより、最盛期には1500人いた十勝三股の人口は、1977年(昭和52年)には14人にまで激減
 糠平〜十勝三股の乗客数は1日平均6人となり、営業係数(100円の営業収入を得るのにかかる経費)は22,500に達しました。
 このため、1978年には糠平〜十勝三股間は運転休止になり、バスによる代替輸送となりました。
 その後も沿線の過疎化が進んだこと、林業の低迷、トラック輸送への切替がすすんだため、1987年(昭和62年)に全線廃線となりました。

糠平近くの鉄橋
 糠平駅の跡には、士幌線の資料館があったので、見学してきました。
 糠平駅跡は、木材輸送が盛んだった名残からか、広々としていました。

糠平駅跡

コンクリート橋
 熊出没注意の看板におびえながら、廃線跡に入って写真を撮ってました。
線路と枕木が残ってました。

コンクリート橋の上にも木が生えてました。
 士幌線は、糠平ダムの建設時に路線の付け替えが行われていまして、旧線のコンクリート橋が、ダム湖の底に沈んでいます。
 渇水時に姿を見せるので有名です。 

鉄橋

十勝三股駅跡に残っていた枕木
 終点であった十勝三股駅の跡は、広々とした広場になっていました。
 三股山荘というログハウスの喫茶店と、数件の民家のみになっていました。
 ぽつんと残された枕木が、かつて鉄道があったことを物語っていました。

三国峠にて
 三股を過ぎて三国峠に到着。
 上川方面に下りまして、この日は層雲峡に宿を取りました。
 この日は同じ宿にニュージーランドから来たおにーさんがおりまして、
片言の英語で話しているうちに仲良くなりました。
 で、同室で寝てたんですが、
悪夢を見た!
と言って夜中に叫び出す始末。
 おかげでこちらは睡眠不足になりましたよ・・・
(−−;

ロープウェイのチケット
 同じ宿に泊まった人が、明日は大雪山に登るというので、私も登ってみることにしました。
 今から考えると事前準備もなく、かなり無謀ですが、当時は怖いもの知らずだったもので・・・
 宿で作ってもらったお弁当を持って、山登り開始です。

リフトのチケット

なんて花かな?
 まずはロープウェーに乗りまして、山の中腹にある大雪山黒岳スキー場まで登ります。
 ここまでは観光客のみなさまと一緒です。
 スキー場に着きまして、今度はリフトに乗ってさらに上を目指します。

エゾノリュウキンカ?

名前分かりません(笑)
 リフトを降りたところから山登り開始です。
 ぜえぜえ言いながら登っていきます。
 層雲峡から黒岳は等高線の幅が非常に狭くて、傾斜がきついんですよ・・・
 で、そこに運動不足が加わるわけで、ちっともペースが上がりません。
 次々と後発の人たちに抜かれて行きます。

登っております。

黒岳山頂からの眺め
 ようやく黒岳の山頂にたどり着きました。
 ほっとして休憩します。
 最初はここから引き返す予定だったのですが、欲が出ましてもう少し奥まで行ってみる事にしました。

黒岳山頂にて
標高1984メートル

なんの花かな?
 黒岳から少し下ったところに黒岳岩室があります。
 いわゆる避難小屋ですね。
 ここに夏季限定で北大(たぶん)の学生さんが、ガイドを兼ねて常駐していまして、情報を教えていました。
 やっぱり熊が出ているそうで、熊よけの鈴は必須だとか。
 持ってきていなかったのでがっかりしていると、縦走じゃなくて戻ってくるならと言うことで、熊鈴を貸していただきました。
 ありがとうございます。

イワウメ

エゾツガザクラ?
 岩室を出発してお鉢平を目指します。
 大雪山はカルデラでして、真ん中がくぼんでます。
 有毒ガスが出ているので、お鉢平内は立ち入り禁止になっていまして、お鉢平の淵を歩いていく形になります。

お鉢平を目指します。

風が結構強いのです。
 途中雪渓が残ってまして、杖を突きながらおっかなびっくり登っていきます。
 帰りの事は考えないことにしました(笑)

雪渓が残ってました。

キバナシオガマ?
 アップダウンを繰り返しながらお鉢平に近づいて行きます・・・
メアカキンバイ?

見えた!お鉢平だ!
 ようやくお鉢平の淵にたどり着きました。
 カルデラがすべて見渡せます!
 スゴイ景色です!
 アイヌの人たちは大雪山系の事を
「カムイミンタラ」
(神々の遊ぶ庭)
と呼んだそうで、それにふさわしい絶景でした。

凌雲岳?

お鉢平のパノラマ

北鎮岳山頂にて
標高2244メートル
 お鉢平を北側に回り、分岐点を右に折れて北鎮岳山頂までやって来ました。
 時間的にも日帰りならここまでのようです。
 ここでお弁当を食べまして、折り返しに入りました。

お鉢平の淵
 何度もお鉢平を振り返りつつ帰路につきます。
さようならお鉢平

黒岳石室
 黒岳岩室が見えてきました。
 北大の学生さんにお礼を言って熊鈴を返します。
 熊は出ますか?と聞くと、やっぱり出るとの事。
 お鉢平の稜線を歩く人の数十メートル下を熊が歩いている事もあるそうです。
 対岸から見てるとヒヤヒヤすることもあるそうですよ。
 まあ、熊も必ず襲う訳ではないですからね〜との事でした。
 いやいや、やっぱりヒグマはしゃれにならないですよ・・・

何度も振り返りつつ・・・
 黒岳を越えて層雲峡に下っているときでした。
 雪渓には十分気をつけていたはずなのですが、足を滑らせまして数メートル滑り落ちました。
 なんとか数メートルで済んだんですが、
止まらなかったら崖から落ちてたかもしれません・・・
 しばらくドキドキが止まりませんでした・・・
やっぱり軽アイゼンくらいは持ってこないといけないかも・・・
 山を舐めてはいけませんね・・・
 2009年の7月には7月にもかかわらず凍死で亡くなった事件も起きています。
山に入るときは十分な装備と計画でお願いします。
(説得力ないけど・・・)

麓郷の景色
 この日は下山後にバイクに乗って富良野まで移動し、そこで宿を取りました。
(元気だなー(笑))
 
 7月6日、小樽からフェリーに乗船しました。
 乗ったのは敦賀行きの「すずらん」
投入されたばかりの新船で、当時日本最速のフェリーでした。
小樽〜敦賀間を21時間というのは衝撃でしたよ・・・
(今は苫小牧東〜敦賀を19時間で結んでます)
 ただ、すずらんは2等船室が少なく、すぐに満席になってしまいます。
船内で等級上げて2等寝台に移ってますね(笑)
 フェリーのチケットがしわしたなのは、帰りに大雨に降られたからです。
 敦賀から自宅まで前も見えないような大雨の中でして、
前の車のテールランプだけを頼りに走りました。
 怖かったです・・・
大雪に登ろう! 完
2011.2.6作成
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