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さて、中高野街道は北へと続きます。 |
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![]() 道標 左 さかい 住よし |
住吉街道との追分までやって来ました。 ここから分岐して斜行し、長尾街道へとつながるショートカットの街道になります。 |
![]() 右 平野 大坂 |
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![]() 松原村日露出征軍人記念碑 |
近鉄南大阪線河内松原駅横の大きな踏切を過ぎると、松原市の中心街です。 長尾街道との交差点に、松原村から日露戦争に出征した人々の名前が刻まれた記念碑が建てられていました。 |
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![]() 右 八尾 信貴 左 平野 大坂 |
阿保地蔵尊前で、またまた道標発見。 そのまま進んで府道を越えたら、一里塚跡がありました。 ゴールまであと1里。1時間です。 |
![]() ここが平野からちょうど一里(4km)地点 |
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![]() 犬の糞看板 ほんといろんな種類あります。 |
菅原道真に所縁のある屯倉神社にお参りしました。 朱雀天皇の時代に、観音さまのお告げで菅原道真公を祀ったのが始まりと言われています。 神社がある場所はは三宅氏の居城跡だと言われています。 |
![]() 屯倉神社 (みやけじんじゃ) |
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本殿には道真公の等身大木像が安置されているそうです。 頭部は南北朝時代作だとか。 |
![]() 門前の灯籠 享和2年(1802年)のもの。 |
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![]() 道真公と言えば梅 |
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![]() 高野大橋が見えます。 |
阪神高速松原線の高架をくぐり、しばらく行くと大阪市平野区に入ります。 この辺りは町工場が多いです。 北上すると、大和川に行き当たりました。 江戸時代後期までは大和川はなかったので、道はまっすぐ続いていました。 |
![]() 高野大橋を渡る。 |
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![]() 高野大橋由来 |
江戸時代後期からは橋がかかっておりましたが、昭和29年に現在の高野大橋が架けられたので、少し迂回するルートになってしまいました。 高野街道にふさわしい名前ですね。 橋を渡ると、かつての阪和貨物線の跡が下に見えます。 関西本線八尾駅から、阪和線杉本駅を結ぶ貨物線で、時々旅客列車も走っていました。 |
![]() ここを貨物線が通っていました。 |
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![]() この辺りの地名は、「瓜破」 「うりわり」と読みます。 難読地名です。 |
この辺りは平野区瓜破。 大化年間(645年〜)にこの辺りに住んでいた高僧が、庵室に光る天神の尊像が現れたため、西瓜を割ってお供えしたことにちなむ地名です。 この辺りは菅原道真公にちなむ話が多いですね。 |
![]() 瓜破天神社 |
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![]() 由縁書 |
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![]() 馬倉地蔵尊 |
馬倉地蔵尊までやって来ました。 ここ、喜連地区は中世から昭和36年まで、周りを濠に囲まれた環濠都市でした。 主要街道に面して6つの入口があり、各入口には地蔵尊がありました。 ここは中高野街道に面した馬倉口になります。 |
![]() 解説板 |
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喜連環濠の中は、築100年の建物がたくさんあるそうですが、マンションなどになってきているようですねえ。 | ![]() 屋敷小路付近 |
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![]() いい感じですな |
喜連環濠内の街道を歩きます。 | ![]() 道標 左 住吉 すぐ 平野 大坂 最近復元したものです。 |
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![]() 楯原神社 |
楯原神社は崇神天皇時代までさかのぼる古い神社です。 継体天皇や神功皇后にまつわる話もあるようです。 やがて喜連環濠の北口である、北口地蔵の脇を通過します。 |
![]() 北口地蔵尊 |
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![]() うどん屋さん |
大きな府道まで出てきたので、お昼ご飯を食べます。 あったかいうどんで人心地つきます。 |
![]() 大坂名物かすうどん |
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![]() 流口地蔵 |
平野環濠の入口までやって来ました。 平野郷に12あった入口の一つ、流口です。 入口には必ず地蔵尊が祀られているところに、昔の人の祈りを感じます。 |
![]() 古い建物が結構残ってます。 |
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![]() 平野環濠の開設板 |
平野本町にかつては賑やかな商店街であったであろうアーケード街が残っていました。 | ![]() アーケード |
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![]() 小林新聞店舗兼住宅 |
明治22年に開業した、大阪府でも最古の新聞店舗兼住宅が残っていました。 建物は昭和4年のものです。 |
![]() いい感じですね。 |
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八尾街道であった国道25号線を越えると、大きな鳥居があります。 杭全神社(くまたじんじゃ)の鳥居です。 貞観4年(862年)、坂上田村麻呂の孫の坂上当道が、牛頭大王を勧進して創建したのが始まりです。 |
![]() 杭全神社 |
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![]() ご神木 |
杭全神社には3つ本殿があり、第1本殿は元禄3年建立の春日大社第三殿を移築したもの、第二、第三本殿は永正10年(1513年)建立のもので、大門はなんと鎌倉時代のものです。 あと、宝永5年(1708年)に再建された連歌所が残っていまして、中近世を通じて平野郷の栄華を偲ぶよすがとなっています。 |
![]() 大門 |
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![]() 拝殿 安政5年(1858年)再建 |
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![]() 満願寺 |
中世から栄えた平野郷でゴールとなりました。 平野の商人たちは豊臣秀吉が大坂城を築くと、城下町に移住して平野町を開きました。 中高野街道はここ平野で終わり、大坂へは船で下っていたそうです。 |
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![]() 駅前の古そうな家 |
JR平野駅から帰ります。 平野駅近くには貨物駅である百済駅があり、東部市場に直結しています。 貨物列車が走って行きました。 |
![]() 貨物列車 |
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中高野街道 完 | |||
2024.2.4作成 | |||
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