JR奈良線の東側を歩きます。

湧出宮
和伎座天乃夫岐売(わきにいますあめのふきめ)神社が正式名
 天平神護二年(766年)伊勢国(三重県)渡会(わたらい)郡五十鈴川の舟ケ原から、天乃夫岐売神を勧請(かんじょう)したのが起こりだそうです。
 2月に変わったお祭りがあるそうです。

雰囲気ある参道

踏切
 踏切を渡り、再び奈良線の西側にでます。
この辺りは単線

低すぎでしょ!(^^;
 天井川になっている不動川の下をくぐります。
 トンネルの高さが1.6mしかないので、オラウータンのように前屈みに歩きます。

蟹満寺
平安時代の「今昔物語」にも登場する古いお寺だそうです。
 ここからちょっと奈良街道が分からなくなったので、山背古道という奈良時代の古い街道を歩きます。
 蟹の恩返しで有名?な蟹満寺などがありました。

綺原神社
正式名は、綺原座健伊那太比売神社
かんばらにますたていなだひめじんじゃ
舌噛みそうw
 この辺りの川は天井川なので、堤防の上に登ると結構ながめがいいです。
 井手町に入りました。
 橘諸兄の別邸跡があるらしいですよ。

井手町マンホール

南部公民館近く

宇治田原町にある龍王瀧への道標です。

青谷川を渡って城陽市に入ります。
 城陽市に入ると、しばらく面白くない道が続きます。
城陽市マンホール
 長池に入ると少し宿場町の雰囲気が出てきました。
木戸孝允公御中食処の碑
明治10年2月8日のことだとか

城陽長池郵便局旧局舎
 城陽長池郵便局の旧局舎です。
 昭和の香り満載ですよね。
 鬼瓦に〒マークが入っているのがおしゃれですが、特注したのでしょうか?

鬼瓦
 国道24号線との合流地点に道標が立っていました。
是より北 京都街道
伏見 2里
京都 3里
南 奈良街道
玉水 1里半
木津 3里半
奈良 4里半
と刻まれています。

水度(みと)神社 一の鳥居
 国道24号線は西に折れて府道を北上すると、右に細い道が分岐していきますが、これが奈良街道。
 府道69号線とつかず離れず北上しています。
 水度神社一の鳥居がありました。旧寺田村の産土神で、奈良時代には存在していたそうです。
 古墳の横を歩きながら北上を続けます。

宇治市のマンホール
 宇治市に入りました。
 宇治市に入ってすぐ、新田駅の南側に、皇大神宮がありました。

皇大神宮
明暦二年(1656)に、広野新田の鎮守社として創建

道標
 新田駅北側には道標がありました。
 右 うぢ(宇治)町
 左 京
と刻まれてます。
 再び府道69号線と合流したところで、遅いお昼ご飯を食べることにしました。

町屋があります。

小倉堤入口1
上り坂になっているのがわかるかな?
 JR奈良線はJR小倉駅付近から大きく東にカーブしていますが、これはかつて京都府南部にあった巨椋池を迂回するためのもの。
 その巨椋池の真ん中に、豊臣秀吉が築かせた小倉堤があり、奈良街道はそこを通っていました。
 巨椋池が干拓されて消滅したため、小倉堤も消滅しましたが、堤防沿いに家が建っていた部分だけが残っています。

このように周辺から高くなっているのが分かります。

小倉堤入口2
 近鉄京都線に沿ってまっすぐ歩くと、また堤防跡にやって来ました。
 

 近鉄向島駅を過ぎると、いよいよラストスパート。
 最後の小倉堤(太閤堤)を歩きます。
 豊臣秀吉は街道を付け替え、巨椋池の中を通り、自らの伏見城下へと人を導こうとしたのです。
 また、伏見は淀川水運を押さえる要衝でもありました。

向島鉄工所跡
 まさに天下人の発想ですねえ。
 あ、そう言えばここ向島には、向島城がありまして、秀吉没後に徳川家康が居城としたことで有名です。

小倉堤の解説板
 だいぶ足も疲れてきてペースが遅くなってきました。
観月橋

京阪鉄道観月橋駅
 観月橋を渡りきり、ゴールしました。
 およそ32kmを8時間で歩ききりましたー。
 京阪電車で帰ります。

全行程
奈良街道 完
2023.11.19作成
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