阪急池田駅
 同じく2024年2月。
 今度は能勢街道を歩くことにしまして、阪急宝塚線池田駅にやって来ました。
 能勢街道は大阪と能勢を結ぶ街道で、妙見山にも通じていたことから妙見街道とも呼ばれていたそうです。
 駅前商店街を歩きます。
 まだ時間が早くて人通りはまばらです。
 郵便ポストになんか乗ってますが、池田市では五月山動物園で飼育されているウォンバット推しなんだそうです。

ウォンバットポスト

昔ながらのお茶屋さん
 駅前商店街は結構大きかったです。
池田市のマンホール

古い町屋が顔を出してます。
 池田のまちは、江戸時代は能勢街道の要衝として、また酒造のまちとして栄えました。
 戦国時代には池田氏が池田城を居城としており、その重臣から下克上を果たしたのが荒木村重でした。

旧加島銀行池田支店

井戸の辻跡
 高札場があった井戸の辻跡なんかを見ながら街道をたどります。
紅屋呉服店

この道の奥
 西光寺というお寺のあたりが、かつての池田城総構の西口に当たります。
道標がありました。
右 能勢街道
左 篠山街道

西光寺
 西光寺の東側には吉田酒造の建物がありました。
 江戸時代からの酒造家ですが、建物は明治のものです。
 今でも「緑一」というお酒を造っているそうです。

吉田酒造
 少し戻って呉春株式会社を訪ねました。
 こちらも「呉春」というお酒を造っている現役の蔵です。
 池田・伊丹の酒造りを今に伝えてます。

呉春株式会社
 酒蔵巡りを終わりまして、高台にある池田城趾を訪ねます。
 池田城は1300年代に国人池田氏によって築城されました。
 応仁の乱で何度か落城していますが、戦国時代に荒き村重が織田信長に背いた際にも落城。
 その後は廃城になったようです。

本丸東面の空堀跡

 城は西側は切り立った崖のため、東側に二重の空堀と、南側に能勢街道を取り込んだ総構を持ち、守りを固めていました。
城郭風の展望台

川西市方面
 本丸からはパノラマが広がっており、かつての支配地であった豊島郡を一望できます。
大阪市内方面
 本丸からは枯山水の庭園跡なども発掘されていて、実際に居住していたことがうかがえます。
 東門から出て、空堀跡にかかる大きな橋を渡って本丸跡を後にしました。

パンダ
 本丸跡からは坂を下って能勢街道に戻ります。

福助堂
 池田は箕面鉄道(現 宝塚線)が通る阪急発祥の地で、創業者の小林一三の旧宅(今は記念館)もあります。
 小林一三が通ったという福助堂さんで、和菓子を買いました。
 うぐいす餅にむせかえってしまい、ジャケットがウグイス色になりました。(笑)

星の宮
 星の宮です。
 二人の織り姫が夜遅くまで機を織り、天から七つ星が降りてきて照らしたそうです。

左 大坂

星の宮の鳥居
 能勢街道をずんずん進みます。
能勢街道の橋跡
橋柱だけが残っています。

池田城惣堀跡
 街道の向こうに窪地が見えますが、池田城の惣堀跡だそうです。

昭和初期の塀と門
 うねうねとした道を歩きます。 
 狭いですが結構交通量多いです。

紀元2600年記念(昭和15年)
 あわん堂というお堂がありました。
 10世紀頃の薬師如来像がお祀りされているそうです。

薬師如来像由来

ぽつんと残った蔵
 公園の横を抜けて大阪教育大付属小学校前を通ります。
 愛宕台権現前を通ります。すごい参道ですよね。
 登ったら見晴らしいいみたい。残念。

住宅地の中に残された狭い参道
 街道をさらに進むと大きな公園があり、近くに道標がありました。
 右 大坂とあります。

能勢街道石碑

二子塚古墳
 街道沿いに二子塚古墳がありました。
 頂上に稲荷社が祀られていることから、稲荷山古墳とも呼ばれているそうです。
 秦野台地の末端に建てられた古墳で、かつては海が見えたんじゃないでしょうか?
 街道は国道171号線をくぐって石橋阪大前駅へと向かいます。
 街道が商店街になっていました。

ちいかわラッピング電車

池田はチキンラーメン発祥の地
 狭い道にアーケードがかかり、商店街になっていました。

踏切
 途中、すごくいい出汁の香りがしたうどん屋さんがあったんですが、時間が早かったのでパス。
 先を急ぎます。西国街道との辻を通過しました。
 懐かしいですね

かっぱっぱ〜
 街道は阪急宝塚線に沿って南に伸びています。
 途中、宮の前遺跡がありました。

弥生、古墳時代の遺跡だそうです。

さよなら池田市
. 高速道をを過ぎると豊中市に入ります。
 まもなく蛍池駅前を通過します。
 駅直結のショッピングモール裏手に、ひっそりと石碑があります。
 麻田藩陣屋跡です。麻田藩藩祖は青木一重、美濃出身で今川家、徳川家と仕えましたが、丹羽家、豊臣家と主君を次々と変えました。
 豊臣家臣でしたが、大阪陣後も改易されず、青木家は外様ではありましたが1万石で明治維新まで続いています。

麻田藩陣屋跡

豊中駅
 街道は蛍池駅南側で線路の東側になり、国道176号線となります。
 阪急豊中駅を過ぎたところで国道から離れます。

静かな裏道といったところ。
 街道沿いにちらほらと古民家が残っています。
 街道はやがて岡町商店街になります。
岡町商店街入口
 商店街の中に、原田神社がありました。
 創建は天武天皇の頃と言われ、荒木村重の兵火にあったりしていますが、慶安5年(1652年)の本殿が残っています。

天保4年の石灯籠
 商店街は人通りも多くて、まだまだ元気でした。
 商店街の中にあるうどん屋さんでお昼ご飯を食べました。

豊中市のマンホール

左 池田みち
 商店街を後にして、旅を続けます。
 道標が残っていました。

右 みのを(箕面) 勝尾寺山
 豊中市にも藤井寺というお寺がありまして、三重の塔が立派でした。
藤井寺の三重の塔

能勢街道解説板
 道すがらに解説板があり、ルートが分かります。

服部天神宮
 阪急の駅名にもなっている、服部天神宮です。
 古代、機織部(はたおりべ)が住んでいたことから、服部という地名がつきました。
 太宰府に向かう管公(菅原道真公)が、足を痛めてこの神社にて平癒を祈願したところ、回復したことから、足の神様として有名です。
 えびす社も有名です。

備前岡山の商人が建てた?灯籠
文政4年のものです。
 名神高速道路の高架下をくぐり、大阪空港発着の飛行機を見上げながら歩いて行くと、神崎川手前から大阪市に入ります。
神崎川

解説板
 神崎川にかかる三国橋を渡ります。
 この辺りには少なくとも南北朝時代から渡しがありました。
 橋が架けられたのは明治になってからで、能勢街道筋であったこの橋が、神崎川初の架橋でした。

阪急電鉄三国駅
高架化でかつての雰囲気はないです。

新幹線
 新幹線の高架下を通過し、貨物線の踏切を渡ります。
貨物線
能勢街道踏切の看板あります。

解説板
 能勢街道の解説板があります。
 この先は淀川になっていますが、これは河川改修で付け替えられた淀川で、かつては新淀川とか言われていました。
 江戸時代はここからまっすぐ大坂市街地へ街道が延びていました。

淀川の向こう、梅田界隈

日清食品本社
 橋もないので、新淀川大橋まで堤防を歩きます。
 新淀川大橋は地下鉄御堂筋線も走っている大きな橋です。

地下鉄御堂筋線

JR鉄橋
 川上側に東海道線の鉄橋が見えます。
 橋の正面にはゴン太くん・・・

ゴン太くんがお出迎え
 高速道路の工事中で、歩道は仮設でした。
大阪市のマンホール

富島神社
 街道を大きく迂回して、富島神社までやってきました。
 創建年は不明ですが、文禄3年(1594年)の検地に記録が残ります。
 昭和20年の空襲で被害を受け、現在は昭和30年に再建された本殿が残ります。

再び東海道貨物線跡

網敷天神社
承和10年(843年)に嵯峨天皇を祀って創建
その後、太宰府に向かう菅原道真公がこの地に立ち寄ったことから、天神社となる。
 今でこそ大阪駅周辺は賑わってますが、江戸時代は大阪市街の外れで街道沿いに茶屋がありました。
 現在の茶屋町がそれです。茶屋町にある曲がりくねった道は、江戸時代から続く箕面街道、中国街道の名残です。
 網敷天神前を歩きます。

旧町名の解説板
この近くに「やかんや町」という町名があったそうです。
やかん屋さんが住んでいたそうです。
なんかいい感じ。

難波橋
 旅も間もなくおしまい。
 ?波橋を渡ります。
大大阪を今に伝えるライオン像です。
 諸街道の起点、高麗橋にて旅は終了です。

高麗橋
能勢街道 完
2025.3.30作成
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