![]() |
|||
![]() 大坂城 伏見櫓 |
この日、尼崎城天守では城郭模型の展示会が開催されていました。 島充さんという著名な作家さんの作品です。 |
||
![]() 二条城 天守 |
その精密さに驚きます。 (広島城でも見たんですけど) |
![]() 岡山城 天守 |
|
![]() 福山城 天守 |
|||
![]() 福知山城 天守 |
尼崎城天守では、ありがちではありますがミニゲームなんかがあって、結構時間つぶせます。 おすすめスポットです。 |
![]() 広島城 天守群 |
|
![]() 備中松山城 |
さて、尼崎の西に出屋敷という駅がありますが、ここは中国街道が付け替えられた際、旧宮町に住んでいた町人を移住させた場所で、城下町から出た場所にあったので、出屋敷という地名になりました。 | ![]() 和歌山城 |
|
![]() 尼崎城の碑 明城小学校の校舎付近がかつての本丸です。 |
さて、かつて中国街道は尼崎城内を通っていました(南浜辺り)が、防衛上よろしくないとのことで、沖にあった砂州を埋め立てて築地町を造成し、街道をそちらに移しました。 という訳で尼崎城を後にして、築地町に向かいます。 戎橋のたもとには、築地大神宮の碑がありました。 |
![]() 戎橋たもと |
|
![]() 大黒橋跡 |
築地町の外れには大黒橋跡の石碑がありました。 大黒橋を渡ると街道は北に折れます。 阪神高速の高架を過ぎると帯状の公園があります。 これが尼崎城の外堀の跡で、ここに大物橋が架かっていました。 |
![]() 大物橋跡 |
|
![]() 大物神社 |
さて、尼崎城下の北はずれには大物主神社があります。 平安時代から続く神社で、大物の地名の由来となりました。 |
![]() 阪神電鉄 大物駅 |
|
![]() 稲川公園の石碑 |
国道2号線を渡って稲川公園の横を通ります。 この公園も川を埋め立てられた場所のようです。 |
![]() 中国街道 |
|
![]() |
大門川緑地に道標が残されていました。 | ![]() 右 大坂 京 左 伊丹 有馬 |
|
![]() 解説板 |
かつて水運が盛んだったからでしょうか、厳島神社がありました。 地名も長洲中通と水辺を連想させる地名です。 |
![]() 大門厳島神社 |
|
![]() |
|||
![]() 神崎橋 |
神崎川が見えて来ました。 かつてはこの神崎川と、今は大川と呼ばれている淀川が主流でした。 |
![]() 神崎川 |
|
![]() 山陽新幹線の高架 |
神崎川を渡ると、大阪市淀川区です。 街道は新幹線の高架下をくぐります。 |
![]() |
|
![]() 香具波志神社 |
香具波志神社まで来ました。 孝徳天皇がこの地に行幸された際、「香ぐはし」と歌を詠まれたことに由来するとされてます。 正平6年(1351年)頃、楠木正成の3男、楠木正儀が祈願したり、天文18年(1549年)に、三好長慶が大鳥居を寄進したりしている、歴史ある神社です。 |
![]() 国道第26号路線の碑 明治国道での国道26号線は、 大阪府から廣島鎮台を結ぶ路線です。 |
|
![]() |
|||
![]() |
大阪市内にもこんなところあるんだねーって感じの下町を歩きます。 | ![]() ぼんちの本社発見 |
|
![]() |
銭湯があったり、下町感満載です。 治安はどうなんですかね? |
![]() 新幹線の高架 |
|
![]() |
再び新幹線の高架をくぐり、貨物線を渡ります。 | ![]() 本尊薬師如来と書かれた石碑 詳細は不明 |
|
![]() 国道176号線 |
国道176号線の高架下を歩きます。 この辺り、中国街道が地形に沿ってうねうねとしているのですが、区画整理などもあってよく分かりません。 商店街を歩くことにしました。 |
![]() 商店街のお店 |
|
![]() 十三(じゅうそう)駅前 |
十三駅前までやって来ました。 関西以外の人には難読駅名だと思います。 淀川の13番目の渡しがあったからとか、由来には諸説あります。 |
![]() 十三大橋 |
|
![]() 阪急電車 |
この辺りは電車でしか来たことなかったのですが、まさか徒歩で十三大橋を渡る日が来るとは思いませんでした。 阪急電車の3複線では、神戸線、宝塚線、京都線の電車がひっきりなしに 通ります。 |
![]() 阪急電車 |
|
![]() |
|||
![]() めっちゃ雰囲気あるけど・・・ |
街道は中津駅界隈を進みます。 シャッター街となった中津商店街や、地下工事が終わった梅田貨物線(東海道本線支線)跡を通過します。 |
![]() 梅田貨物線跡 |
|
![]() 梅田貨物線跡からグランフロント大阪を見る。 |
茶屋町までやって来ました。 この辺りは、江戸時代は大坂の市街池から外れた場所にありまして、中国街道や箕面街道を行き交う旅人相手の茶屋があり、地名の由来となりました。 街道の起点は高麗橋なのですが、寒かったのでここで切り上げました。(笑) これにて中国街道の旅はおしまいです。 |
![]() 網島天神御旅所 |
|
![]() |
|||
![]() |
|||
中国街道を歩く 完 | |||
2025.1.19作成 | |||
2024年ツーレポトップへ | |||
Home |