日本のすみっこで愛を叫ぶ!

(きこえないぞ、きっと・・・)

〜五島列島ツーリング





江戸時代の灯台
 翌朝、目が覚めると雨はまだ降っていませんでした。
 とりあえずほっとします。フロントで今夜も泊まれるか確認してみると、
部屋は替わってもらわないといけないが大丈夫、とのこと。
 さっさと決めちゃいました。
 荷物も移し替えておきますよ、ということだったので軽装で出かけることにしました。

フェリー「太古」
博多〜五島
 福江港ターミナルから川を渡ったところに、フェリーが泊まっていたので見に行きます。
 博多からやって来たフェリー「太古」でした。
 設備がいい船らしいのですが、ダイヤが不便だったので乗船をあきらめたんですよね〜
こじんまりとしたきれいな船でした。
 港から少し福江川をさかのぼったところに、中国風の建物がありました。
 かつて五島が貿易港として栄えていた時代に、
やってきた中国人が建てた廟だそうです。異国情緒満点ですね。
 前日は左回りに島を半周したので、今日は右回りに走ることにしました。
 福江から北にしばらく走ると、堂崎というところがあり、
そこに天主堂(教会ですね)が立っていました。
 明治時代にキリスト教が解禁されたときに、いち早く建てられたそうです。
やはりこの辺は隠れキリシタンが多かったんでしょうねえ。
 入場料払って中に入ると、中は教会やキリスト教関係の資料が展示されていて、
小さいながらも楽しめました。
 表に出てくるとタクシーが止まっていて、運転手の方と少し話をしました。
 遠いところをよく来たねえ〜とほめられ、福江島は全国で6?8?番目の大きさの島で、
一日あったら回れるよ〜とか、何も見るところがないよ〜など、ちょっと自虐的な運転手さんでした
(^^;
いえいえ、なかなか楽しんでますよ〜

中国人の廟

堂崎天主堂

奥浦湾

どこで撮ったかなあ・・・

多分、白良ヶ浜
 そのあと土岐大橋を越えて走り続けます。ぽつぽつとが降ってきました・・・
 途中に滝の案内板もありましたが、雨の中で山道歩くのもなんなので、
あきらめました。
 やがて道は国道384号線と合流します。
三井楽町までやって来ました。ここで再び国道からはずれて行きます。

三井楽町の河口
 三井楽町柏ってところにやって来ました。
 ここは奈良時代に、唐だか隋だかに渡る船が最後に寄港する場所だったそうで、
当時に水の補給をしたと伝えられる井戸がありました。
(場所がわかりにくかったなあ)
  写真撮りたかったのですが、このころには雨が本降りになっていて、
それどころではありませんでした。
 冷たい雨の中を走り続け、日本の浜100選だかに選ばれている、
高浜海水浴場まで来ました。
 雨天ですが、さすがにきれいです。
 バイクを停めて写真を撮っていると、

がしゃん

と背後から音が・・・・

「ぎゃ〜!!バイクこけてる〜!!!」

 停めたところが微妙に下り坂だったらしく、バイクがばったり倒れています。
 あわてて引き起こします。
「良かった・・・タンクは大丈夫だ・・・」
と、とりあえずは一安心。
 さてと、そろそろ行くか〜とバイクにまたがり走り出そうとすると、
左手が空を切りました。
「ん?」


 「クラッチがないぞーーー!」

そうです、クラッチレバーが折れて半分になっていたのです。
大ショック!
 
それ以上走る気力を失い、宿に帰ることにしました・・・ 

高浜
 
高浜

五島うどん
 福江に戻って、宿の駐車場(屋根付きです)にバイクを停めて、
徒歩で福江の街を散策することに。
 とりあえずお昼をと思い、「末広庵」に行ってみました。

「本日貸切ぃぃぃぃぃぃぃ?」

 またも挫折です。
 しょうがないので、アーケード街をうろうろしていると、お土産物やさんがあったので、
土産を見つくろうことにしました。
 かんころ餅(サツマイモと餅米で作るそうです)がおいしそうだったのでお買いあげです。
 その店の方に、近くにおいしい五島うどんを食べられるお店がないか尋ねたところ、
「近くの喫茶店で食べられますよ」との事。
 さっく行ってみることにしました。
 お店はすぐ見つかり、早速うどんを注文。
 五島うどんはのばすときに椿油を塗るのでつやがあって、腰が強いそうです。
あご
(トビウオのこと。地元ではこう呼ぶようです)でダシをとったつゆでいただきます。
   
   うん、うまい!


  雨で冷えた体に暖まる一品です。
 そのあと、福江城内にある博物館を見学しました。
 五島の風俗や歴史について詳しい展示があり、なかなか楽しめました。
 雨の時はお勧めですよ〜。
 そのあとお城見物(といっても門だけ。中は学校になっています)をしました。
 この石田城は福江藩五島家の居城でして、幕末の1863年に完成しました。
 幕末に築城が許可された理由は松前城と同じでして、
日本近海に出没しだした黒船に対応するための、海防上の理由でした。
 松前城と同じく、石田城にも台場(砲台)が設けられていました。
 今の石田城は、本丸には高校、北の丸には博物館が建てられたりして
市街地に飲み込まれていますが、かつては海城だったのですよ。
 二の丸には五島氏の庭園が現存しています。
(2010年3月11日追記)

 近くに武家屋敷の通りがあるというので行ってみましたが、
確かに塀は昔のままで風情がありますが、中の家は現代風だったり、
ヒドいのにはマンションが建ってたりと、ちょっと中途半端でしたね〜。
 寒くなってきたので、お城の前のコンビニで弁当とお酒を購入し、宿に帰りました。

福江城(石田城)
 
武家屋敷通り
to be continued・・・
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