未申櫓
 さあさあ、年寄りの朝は早いです(笑)
 7:00過ぎには宿を出発。
 目指すは「通潤橋」・・・なんですが、放水時間(12:00)にはかなり早い。
 やはりここは天下の名城「熊本城」に寄っていくべきでしょう!
 実はこの熊本城、10ウン年前に大学の卒業旅行で訪れたことがありまして、2回目になります。
 前回は城に興味のない友人二人と出かけたので、あっという間に阿蘇に連れていかれたのですが、今回は一人旅。
 じゃまされる事なく熊本城を堪能できるというものです(^^;
 7:30頃に熊本城到着。停める場所がよく分からなかったので、奉行丸の未申櫓の下に停めて置くことにしました。

南大手門
 熊本城は、有名な加藤清正が築城しましたが、二代忠広の時に改易(領地没収)されています。
 その後、豊前小倉(現:北九州市)から細川家が移ってきまして、そのまま幕末を迎えています。
 さあ、いよいよお城巡り。なんか前回来たときよりも、建物が増えてる感じ・・・
 それもそのはず。熊本城は築城400年ということで、復元事業の真っ最中。
 この南大手門は平成14年に復元されたようです。
 いいなあ〜うらやましい。
 和○山城もこれくらいお金かければいいのに・・・

宇土櫓
 本丸大手(正門)にあたる頬当御門までやってきました。
 ここからは有料・・・なんですが、時間早すぎてまだ開いてませんでした(^^;
 仕方がないので、本丸を一周することにしました。
 まずは本丸大手を押さえる宇土櫓
 「宇土城天守を移築した」と言われてましたが、どうもここで建てられたようです。
 3層(屋根の数)5階の櫓ですが、他のお城では天守に匹敵する巨大さです。
 和歌山城や松江城天守も3層ですからね・・・
 しかも熊本城には、この宇土櫓の他に、
 御裏五階櫓、数寄屋丸五階櫓、飯田丸五階櫓、西竹の丸五階櫓と、合計5つの三層五階の天守級櫓がありました。
熊本城の異様な立派さが分かると思います。
 

宇土櫓と高石垣
 宇土櫓は江戸時代からの現存建物でして、とっても貴重なんですが、その下の高石垣の美しさにもほれぼれしちゃいますねえ・・・
 俗に言う「清正流」と言われる見事な石垣です。

小天守を望む
 加藤神社を回り込み、急な棒安坂を下るとKKR熊本の前に出ます。
 ここでも見事な高石垣がたっぷりと堪能出来ます。
 さらに幾重の石垣の向こうに小天守が・・・
いやいや最高です(笑)

見上げるほどの高石垣・・・

この勾配がまた美しい・・・ウットリ
 ずんずんと歩いていくと、また美しい勾配の高石垣を発見!
 がんがん写真に撮ります。もう誰も私を止められません(^^)

東竹の丸平櫓

芝生の緑がまたきれい
たぶん東十八間櫓
 東竹の丸をまわっていくと、なにやら殺気が・・・
 なんか猫の獲物をカラスが狙っているようです。
 ちょこちょこっと寄っていっては、猫に威嚇されて引き下がる・・・と思いきや、距離を詰めていってます(笑)
 最後まで見てたかったけど、開門時間もあるので先に行くことにしました。
 どうなったのかなあ・・・(^^;
 しかしこれで十八間あるんですからね〜金沢城の五十間櫓はすごいですよね。

須戸口門
 さらに歩いて須戸口門までやって来ました。
 ここまでくると熊本市街地に近くなってきました。
 大きな交差点があって、路面電車が走っていました。
 路面電車のある風景っていいですよね。(^^)

熊本の路面電車

長塀
 熊本城の堀の役割を果たしていた坪井川に出てきました。
 ここには有名な長塀があります。ほんとにものすごい長さなんですよ〜
 新緑がとてもきれいで、歩いているとうきうきしてきます。

長塀と飯田丸五階櫓・

清正公(せいしょこ)さん
 御幸橋のたもとには、加藤清正公の銅像が建ってました。
 いまでも清正公(せいしょこ)さんと呼ばれ、地元の人から敬われてるそうです。(ホンマカナ?)

飯田丸五階櫓
 御幸橋を渡って、みゆき坂を登っていきます。
 ここには熊本城唯一の水堀があって、備前堀と呼ばれています。
 「肥後の国にて備前の国とは、こはいかに?」と問ひけるに、佐々備前守という家来の屋敷がこの近くにあったからだそうです。
 はぜ方門を入ると、飯田丸五階櫓が立ちはだかっていました。

備前堀

飯田丸五階櫓と天守
(堀の水面からの石垣の高さに注目)
 みゆき坂を、えっちらおっちら(死語)言いながら登っていきます。
 坂の途中から、五階櫓をみてびっくり仰天!
 水面からの石垣の高いこと!ものすごい技術力で建てられたことがよく分かるお城です。

宇土櫓の城内側
 さて、開門の時間となりました。
 頬当て御門から本丸内に入ります。
 宇土櫓の続櫓は、石垣の傾斜に合わせて、斜めに建てられてるんですよ。おもしろいですよね。

宇土櫓続櫓

地図石
 宇土櫓から数寄屋丸に向かいます。
 数寄屋丸の床には、99個の石が組み合わされた「地図石」があります。
 日本地図を表してるとか、熊本城の縄張りを表しているとか、いろんな説があるようですが、どうなんでしょうか?
 石組みを楽しむというのは金沢城の玉泉院丸の石垣にもあるので、案外深い意味はないのかもしれませんねえ。

飯田丸五階櫓
 数寄屋丸から飯田丸に降りてきました。
 この飯田丸五階櫓は、平成17年2月に再建されたそうです。
 櫓に倉庫が付いたような、おもしろいデザインの櫓です。
 中にも入れます(3階まで)
中の柱には、手かんなで削った跡がありました。
 こんなところまで再現しているんですねえ。

手かんなの跡

二様の石垣
 飯田丸にはおもしろい石垣もあります。
 「二様の石垣」といいまして、本丸の石垣なんですが、右側が加藤清正期のもので、左側が細川時代のものになります。
 本丸御殿を増築するときに、本丸を拡張するために石垣が継ぎ足されたのです。

 右の写真は西竹の丸五階櫓の跡です。
 この櫓台には上り口がなくて、渡り廊下でつながっていたようです。

西竹の丸五階櫓跡

復元中の本丸御殿と天守
 このあと、東竹の丸までぶらぶらと歩いた後で、本丸に向かいます。
 本丸では、現在本丸御殿復元工事の真っ最中でした。

復元中の本丸櫓

熊本城天守と小天守
 いよいよ天守までやって来ました。
 現在復元中の櫓・御殿群が木造で復元されているのに対して、この天守は鉄筋コンクリートで復元されています。
 中は展示施設になっています。

熊本城模型
 城内に展示されていた熊本城の復元模型です。なかなか立派なものでした。
 ちなみに中央右の本丸の下に、立派な屋敷があるのが分かりますか?
 江戸時代も下ってきて戦乱が過去のものとなると、城主は城を出て城下に屋敷を構えて住むようになりました。
 細川の殿様はこの屋敷に住んで、自分の居城を見上げていたことになります。
 おもしろいですね(笑)
 同じような例は姫路城でもあります。

天守から見た宇土櫓
 天守の最上階まで登ってきました。
 熊本の城下が一望できます。
 しばし熊本市街を眺めた後、通潤橋に向かうために引き返します。

盆石
 南大手門で、盆石の展示会やってました。
 私もその存在を初めて知ったんですが、黒いお盆の上に、自然石白砂で情景を描くんだそうです。
 いや〜これはきれい!
いいもの見せていただきました。(^^) 

盆石

西大手門
 西大手門まで戻ってきました。
 この門は1○年前に来たときもあったなあ〜と思いつつくぐります。
 戌亥櫓も平成15年8月に復元されていました。
 さて、いよいよ通潤橋に向かいますよ(^^

戌亥櫓
to be continued・・・
2007.7.1作成
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