彦根城表門
 さて、1ヶ月前に入れていた休みの日がやってきました。
 晴れるかどうかとおっても心配だったんですが、
これ以上ない快晴に恵まれました。(^^
 で、何していたかというと・・・
 携帯でゲームしてました(^^;
友達にスコアが負けていたので意地になってやってました・・・
 で、我に返ったのが9:30。
 あわてて荷物をまとめて10:00出発。
 遅れた分を取り返すべく、高速に乗っちゃいます。
 が!これが大誤算!
 吹田JCTから激混なんで、なにやってんだ〜と思ったら、
名神は集中工事中で、吹田から春日井まで
1車線規制。
 ・・・あう〜(T。T)
俺がいったい何をしたんだよ〜といいつつ、
ひたすら渋滞に巻き込まれ続けます・・・
 米原JCTから北陸道に入る予定だったんですが、
早く高速降りたかったのと、彦根城を見たことがなかったのを思いだし、
彦根ICで降りることにしました。
 時刻はすでに14:00。
 とりあえず目に入ったラーメン屋さんで昼食をすませると、
彦根城を目指します。
 陸橋越えるときに彦根城が目に入ったのですが、思ったより低い山の上にあるんだなあ〜
というのが第一印象です。
 表門前の駐車場に100円払ってバイクを停めて、
彦根城を訪問します。

ウサギの耳型兜
 いきなり博物館があったので、お城と庭園とがセットになった共通券を購入、見ていくことにしました。
 博物館には、井伊家伝来のお宝が多数展示されていました。
 ウサギの耳型の兜は、ちょっとかわいかったです。
 右の写真は井伊の殿様の甲冑です。
 井伊家は家中の武装を赤で統一し、「井伊の赤備え」として、天下にその名を轟かせました。

かの有名な井伊の赤備え

能舞台
 博物館には、復元された御殿もありまして、能舞台がとても立派でした。
 井伊家累代の殿様たちも、能にはこだわったらしく、多数の面や装束が残されています。

茶室
 復元された御殿を見物。
 殿様の寝室って、建物の中央にあるんですな。
 やはり警備の関係かな?

殿様の寝室

佐和山口からの石段
 さあて博物館見学も済んだことだし、国宝の天守目指して石段を登りますよ〜

 ・・・はぁはぁ orz

 最近すっかりメタボに拍車がかかってる身としては、ちょいと骨の折れる石段でございますよ〜トホホ

てんびん櫓
 石段を登り切ったところで天秤櫓が見えてきました。
 中央に門があり、その両側に2階建ての櫓が建っている様が天秤に似ていることからこの名前がつきました。
 看板によれば、東側の櫓は江戸を向いている方が正面で、
西側の櫓が京都側が正面なんだそうです。
 朝廷と幕府両方に気を遣って建てたって書いてました。
ふむふむ

天秤櫓(重要文化財)
(鐘の丸から)
 ちなみにこの天秤櫓江戸時代から現存しているんですよ。
 内部が公開されていたので見てきました。

内部

太鼓門櫓
 天秤櫓をくぐり抜け、さらに石段を登ります。
 ようやく太鼓門(本丸大手)までたどり着きました。
 門の前には岩盤がむき出しになっていました。
 荒々しいなあ・・・

岩盤がむき出しです。

彦根城天守
(国宝)
 門をくぐるとそこは本丸。
 国宝天守とご対面です。
 「おお〜」
 三層三階の小振りな天守ですが、青空を背にりりしく見えます。

見事な梁ですね〜
 天守には付け櫓の方から登っていきます。
 天井には見事な梁がむき出しになっていました。

琵琶湖が見えます

西の丸への入り口
 彦根城は大阪の陣を控えた時期に築城が開始されたので、完成がとても急がれました。
 そこで廃城になった大津城や佐和山城の石材や建材を使い回し、突貫工事で完成させたそうです。

西の丸三階櫓と堀切
 津和野城でもご紹介した堀切は、彦根城でも見ることができます。
 もっともより深く、幅も広い立派なものです。
 西の丸三階櫓が、裏口からの攻撃に備えてそびえ立っていました。

西の丸三階櫓

山崎郭三階櫓台
 西の丸から観音台を通って山を下るとそこは山崎丸
 内郭の一番北側になります。
 かつてはここにも三階櫓がそびえ、水上からの攻撃に備えていました。

山崎門

大手門方面への道
 山崎丸から大手門の方へと歩いて行きます。
 内堀の向こうに中郭の遺構が見えます。

お堀の向こうには中郭の石垣が・・・

見事な登り石垣
 彦根城には攻撃側が斜面の横移動を防ぐための登り石垣が残っています。(松山城にもありますね)
 かつてはこの石垣の上に土塀がありました。

 右の写真は水門の跡。
 この門に面した場所には、彦根藩が幕府から預かった兵糧米5万石を納めた蔵が建ち並んでいました。
 その米は船に積んで運ばれ、この門から陸揚げされていました。

水門跡

大手筋の坂
 ようやく大手門までやってきました。
 彦根城には大手門表門があって、どちらが正面か迷うところです。
 彦根城ができたときは、仮想敵は大阪城ですから、南側が正面。
 平和な時代になると、街道に面し、江戸の方角にあたる表門が正面になったようです。
 

大手門

腰巻きと鉢巻き
 内堀には水鳥が泳いでいました。
 ちなみに写真では、土塁の上と下に石垣がありますが、
土塁の上にある石垣を「鉢巻き」、下にあるのを「腰巻き」といいます。
 うまいネーミングですよね。

旧西郷家屋敷長屋門
 中郭は、かつての上級武士の屋敷地でした。
 立派な長屋門が残っていました。
 この長屋門は、彦根藩の家老西郷家(3500石)の屋敷門でした。

見事な雁木積み
 長屋門の近くには見事な階段状の石垣が残っていました。
 有事の際は守備兵がこの石段を駆け上って敵兵を攻撃するのです。

石垣に残る楔の跡

京橋
 京橋口を出て、中郭から外郭へと移動します。

鈴木屋敷長屋門
 外郭には中級武士の屋敷があり、当時の長屋門が残されていました。
 先ほどの上級武士のものと比べると、住んでる人の位が一目瞭然ですよね。
 ちなみに鈴木家の年収?は350石ですから、先ほどの西郷家の10分の1ですね(^^
 まあ年収3500万円と350万円と置き換えてみたらわかりやすいかなあ・・・

こっちは現存
(重要文化財)
 中堀のほとりをてくてくと歩き、佐和口までやってきました。
 佐和口多聞櫓が守りを固めています。
 この門をくぐると二の丸になります。

こっちは鉄筋コンクリートにて復元

馬屋
(今のガレージですね)
 二の丸にはがありました。(重要文化財)
 今で言うガレージですね。
 かなり大きな建物で、たくさんの馬を飼育することができるようになっていました。
 だいぶ歩いてくたびれてきたところに、自転車タクシーのお兄ちゃんが通りかかりました。
 40分のガイド付きで2000円だったんですが、時間もあまりなかったので、玄宮園まで乗せってってというと300円だってことで、生まれて初めて自転車タクシーに乗りました(^^
 写真ないのが残念ですが、結構乗り心地よかったです。
また時間があればガイド付きで乗ってみたいなあ・・・

見事なお庭ですねえ
 さて自転車タクシーに揺られて玄宮楽々園に到着しました。
 江戸時代には「ケヤキ御殿」と呼ばれ、彦根藩の下屋敷でした。
 藩主の普段の住居は内郭にあるので、この御殿は息抜きする場所として造られたのです。

立派な石灯籠

天守が借景とは・・・
 庭園からは絶好の位置で山上の天守を望むことができます。

地震の間と雷の間
 仕事に疲れたらここにやってきてのんびりしたんでしょうねえ〜
 さすが殿様、スケールが違いますね。

池にはアヤメ

黒門
 玄宮園の前には黒門跡がありました。
 ここから本丸に内郭に入ることができます。

琵琶湖
 さて17:00を回ったので、彦根城に別れを告げて再び移動を開始します。
 いきなり高速道路に乗っても味気ないので、しばらく琵琶湖畔を走ってみました。
 湖を渡る風がとても心地よかったです。
 途中長浜城跡にも寄ってみたんですが、閉館していたのでスルーしました。
 長浜ICから再び高速道路に乗って、一路北を目指します。

本日のディナー(笑)
 夕焼け空を見ながら快調なペースで走り、南条SAで晩ご飯です。
 ミニソースカツ丼とそばをいただきました。
 あんまりうまくはなかったですが・・・(−−;
 (まあサービスエリアのご飯だからね・・・)
しかしこの菜の花のおひたしは中国産じゃなかろうか?とか考えながら食べたから、おいしく感じなかったのかもしれません(爆)
 この日は金沢市まで走りきり、片町にあるビジネスホテルに宿をとりました。
 片町って歓楽街だったのね・・・
 知らなかったから宿探すのに10分くらいかかってしまいました。
(細い道の奥だったもんで・・・)
 21:00前、ようやくお部屋に転がり込みました〜
to be continued・・・
2008.6.1作成
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