新門司港フェリーターミナル
 今年もGWがやって来ました。
 先の札幌お花見で軍資金を浪費したこともあり、
おうちでおとなしくしていようかとも思ったのですが、
天気予報が良かったモノでつい・・・
 出かけてしまいました〜(^^)
 3日は仕事だったのでバイクに荷物を積んで出勤し、仕事が終わってから泉大津港へ急ぎます。
 相も変わらず予約なしでしたが、17:30発の便のチケットをゲットしまして、
久々に長距離フェリーに乗船しました。
 船内はGWでもあり結構な混雑でしたが、まだ余裕がありました。
 航海は至って平穏でして。翌5:00に新門司港に到着しました。 

続いて入港する東九フェリー
 すぐ後ろから東九フェリーの船も入港してきました。
 今や関東〜九州を結ぶ唯一の航路となってしまいました。(マルエーを除く)
がんばって欲しいモノです。

関門海峡大橋
 新門司港に上陸20分後。
 九州にあっさり別れを告げ、下関へと渡りました。
 まずは関門海峡大橋見物です。
 橋の下には馬関戦争を記念した砲台のモニュメントがありました。

馬関戦争の舞台となりました


ご存知!関門トンネル人道入口
 その脇には某ローカル番組にも出てきた、
関門トンネル人道入口がありました。
 こんなところにあったんだ〜
 関門海峡は今日も朝早くから大小の船が行き交ってました・・・

関門海峡の夜明け

特牛港
 下関市に別れを告げ、国道191号線を北上します。
 目指すは角島。
あのきれいな海に再会しようという訳です。

角島大橋
 角島大橋に到着です。
 まだ7:00そこそこだというのに、早くも観光客がちらほら来てました。(私もその一人ですが・・・)
 この日はちょっと薄曇りで、海の青が冴えませんでした。残念。

標識

角島大橋
 それでも橋の上を往復して、海上橋の風景を楽しみます。

殿居郵便局舎
 角島から萩へと続く日本海側の道は、昔走ったことがあるので、あえて山中を行こうと国道435号線を東に向かいます。
 途中、ちょっとしゃれた感じの洋風館を発見。
 解説板を見てみると、大正12年に完成した郵便局なんだとか。
 完成当初は、さぞやハイカラだったことでしょう。

解説板

秋吉台
 美祢までやって来たとき、秋吉台が近いことを思い出して、ちょっと寄ってみることにしました。
 秋芳洞は多くのライダーや観光客でごった返してましたが、あっさりスルー。
秋吉台を目指します。

かつては陸軍演習場だったそうな・・・
 秋吉台の中程にある車場にバイクを停めて、あたりを散策してみます。
 今では信じられないことですが、ここは戦前まで陸軍の演習場だったそうです。
 戦後もアメリカ軍が演習場として使用しようとしましたが、学術的に貴重な地域だと言いはって、
演習場にならずに済んだそうです。

山口市民会館
 秋吉台を走り抜けて山口市までやってきました。
 このときのお財布の中身は500円あまり。(^^;
 これでは給油もままなりません。
中央郵便局を探しまして、お金をおろすことが出来ました。
 ほっと一安心です。

山の上には津和野城
 山口市からは国道9号線をひた走りました。
 島根との県境を越えると、そこは津和野です。
かつては津和野藩4万3千石の城下町でした。
 ちょうどお昼になったので、食べるものはないかと道の駅に立ち寄ってみます。

道の駅津和野

手打ち蕎麦
 さすがGW!
 道の駅で、地元の皆さんによる手打ち蕎麦のお店が出てました。
 さっそく1杯いただきます。
上に載ってる甘く炊いたしいたけがグーです。

1杯500円

石見神楽
 道の駅の建物から音楽が流れていたのでのぞきに行くと、
石見神楽
の上演中でした。
 ノリの良いお囃子と、かなり激しい踊りで、息をつかせません。
 しばらく見てたんですが、売店の人に
「レジの前に立つな〜」
 と怒られたのですごすごと撤収しました(^^;

馬場先櫓
 お腹もふくれたし、津和野城を見に行くことにします。
 川を渡ると馬場先櫓がで〜んと立っています。
 江戸時代もかなり後期になってからの建物だそうですが、石落としも狭間もなくて一見民家のようです。
 学校の前には物見櫓がありました。
 かつての大名の屋敷には、かならずこういう建物があったそうですが、現存しているのは珍しいそうです。

物見櫓

観光リフト
 いちおう麓から登山道はあるんですが、登るのめんどくさいし、
観光リフトで登っちゃう
ことにしました。

中世津和野城の堀切跡
 案内板によれば、リフトの山頂駅から本丸までは山道を10分ほど歩くようです。
 歩き始めてしばらくすると、中世津和野城の堀切跡がありました。
 堀切とは、山の尾根などを削り取り、敵兵の移動を妨害するために作られる障害のことです。
 リフトを降りて5分ほど歩くと、津和野城の出丸跡がありました。
かつてはここに2基の櫓があったそうです。

出丸(織部丸)

三段櫓台
 ちなみに近世津和野城を整備したのは坂崎出羽守直盛です。
 直盛は宇喜多秀家のいとこにあたる人物で、秀家と折り合いが悪く、宇喜多家を出て徳川家に仕えていました。
 最初宇喜多姓でしたが、本家の秀家が徳川家の敵となったことから、宇喜多姓をやめて坂崎姓を名乗っていました。
 のち千姫を奪還しようとしたとして直盛は切腹し、坂崎家は断絶。
 のち津和野には鳥取から亀井家が入り、幕末に至っています。
 左の写真は三段櫓台跡です。かつてはここに3基の櫓が並んで建っていました。

天守台

三十間台への道
 津和野城は天守台が城内最高所三十間台よりも低いところにある珍しいお城でした。
 天守は江戸時代中期に落雷で焼失し、再建されませんでした。 

三十間台から三の丸を見下ろす

お城から見下ろす城下町
 お城からは城下町がよく見えます。
 もちろんこんな高いところに殿様が住んでいたわけではなく、麓にある居館に住んでいました。
 有事の時は山頂の城にこもるというわけです。
 三十間台で涼んでいると、汽笛の音が響いてきました。
 見下ろすと、SLやまぐち号がやって来ました。
 実際に走っているSLを見るのは初めてで、感動しました。

SLやまぐち号がやって来た

城下にある和菓子屋さん
 お城を堪能して城下町まで戻ってきました。
 道の駅であらかじめ見てきていたのですが、津和野では「源氏巻」というお菓子が有名のようです。
 和菓子屋さんを発見したので、さっそく買ってみました。
 どら焼きのような生地で餡を巻いているお菓子で、とってもおいしかったです。
オススメですよ!

源氏巻

SLやまぐち号
 よくる○ぶなんかで「津和野の町並み」と紹介されている殿町(鯉が泳いでる堀のある通りがある)は、
観光客がごった返していて、風情もなにもあったもんではなかったのでパスしました。(笑)
 かわりに津和野駅の車庫に、SLやまぐち号を見に行きました。
 車庫内とはいえ、実際に煙を吐いている蒸気機関車をみるのは初めてです。
 ものすごい迫力で、圧倒されましたんねえ。

運転台
 運転台を撮ってみました。
 なんか運転難しそうだな・・・
 係の人が石炭をシャベルで積み上げてました。
 山口へ折り返す準備なのかな?

石炭を積み上げてました

石見銀山龍源寺間歩(坑道)入口
 津和野までで結構時間をかけてしまったので、あわてて石見銀山を目指します。
 石見銀山と言えば、室町時代に中国との貿易で栄えた大内氏を支え、
尼子・毛利・大内氏の争奪戦の対象となり、江戸時代には幕府の財政を支えた重要な場所でした。
 なんとか日没までに到着したいと焦る気持ちとは裏腹に、
国道9号線は大田市に入ったあたりから大渋滞・・・(泣)
 日頃培ったすり抜けテク全開でようやく仁万交差点まで到着。
なぜか信号は動いておらず、お巡りさんが交通整理をしてました。
 それにはかまわず県道を突っ走ることしばし。
 石見銀山世界遺産センターに到着したのは16:30前でした。
 さっそく案内所で聞いてみると、石見銀山近辺は交通規制で一般車は入れないんだとか。
センター前の駐車場に車を止めて、バスで移動してくださいとのこと。
 しかも公開されている坑道である龍源寺間歩までは、
最寄りのバス停から2.3キロも歩かないといけないらしい・・・

 なんでやねん!

 と言ってもしょうがないので、とりあえずバスに乗って最寄りの停留所まで(170円)移動し、
そこから間歩まで歩き始めます・・・
 案内所の人は40分かかると言いましたが、意地で30分で歩ききりました〜

ノミの跡が残ります
 さっそく坑道の中へ・・・
 しかし坑道内は佐渡金山でも見てるので、さほど珍しくはありませんでした(オイ)
 しかしノミと金槌だけでここまで掘り抜いたと思うと、人間てすごいな〜と思いますね。
 30分かけて到着したにもかかわらず、坑道は5分も歩けば通り抜けてしまいました(笑)
 なんか釈然としなかったのですが、取りあえず見たって事で納得しました。(笑)
 終バスが18:00なもんで、余韻に浸るまもなく急いでバス停まで引き返しました・・・
 18:30、今宵の宿泊地松江市目指して移動開始。
 20:00前、無事に宿へ到着しました。

ちょっと不気味ですね
to be continued・・・
2008.5.14作成
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