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![]() 新潟の夜明け |
翌朝も夜明け前に目が覚めました。 部屋が明るくなってきたのでカーテンを開けると、 ちょうど日の出でした。 この日も6:00出発です。 出発直前に霧が流れ込んできて、新潟市内は視界不良でした。 霧が出たからって訳でもないんですが、 新潟東港で道に迷っちゃいました。 なんかわかりにくいんですよね、あの辺・・・(^^; |
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![]() 穏やかな日本海の朝 |
松林が美しい国道113号線を北上します。 さらに国道345号線を北上。 日本海沿岸を北上します。 |
![]() ハマナス |
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![]() 朝の一コマ |
国道沿いのPAでしばし休憩。 はるか沖合に櫓が建ってました。石油でも掘ってるのかな? 浜辺ではハマナスが咲いていました。もう初夏なんだな〜 |
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![]() 村上城到着 |
村上市街に入ったところで国道を外れ、 村上城に向かいます。 本日一つ目、この旅5つ目のお城です(^^; 村上城はかつて本庄城と呼ばれ、上杉謙信の家臣であった本庄繁長ら本庄氏の居城でした。 難攻不落のお城でして、本庄繁長が謀反を起こしたときに上杉謙信に攻められましたが、落城しませんでした。 その後、上杉家の会津転封に本庄氏も従い、この地には春日山の堀秀治の与力として、村上頼勝が9万石で入りました。 この時に村上城と改名され、近世城郭として改築が始まりました。 村上家は次の忠勝の時に改易処分。 越後長岡より堀直竒(なおより)が10万石で入り、この時代に天守、総構えを含む村上城がほぼ完成しています。 堀家は次の代で跡継ぎがなく改易。 本多忠義(平八郎忠勝の孫)10万石の後、 姫路から松平直矩が15万石で入ります。 この松平時代にも大規模な普請があり、天守が新築されたりしています。 この時代が村上城の最盛期でした。 (当時の村上は越後第2の都市でした) その後の村上城主は 姫路から→榊原家→姫路へ 姫路から→本多家→三河刈谷へ 上野高崎から→間部家→越前鯖江へ とめまぐるしく変わり、最後に駿河田中から内藤家が5万石で入って、 9代続いて明治維新を迎えています。 15万石のお城を5万石で維持するのは無理があったらしく、 江戸時代末期にはお城はかなり荒廃したそうです。 村上城についてはこちらのサイトが詳しいです→こちら |
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![]() さて登るぞ〜 |
村上城は臥牛山の上に造られた平山城。 ということは本丸行くには山登りです。 ま、たかだか標高140メートルほどですから・・・ |
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![]() 村上城鳥瞰図 |
えーと村上城の雰囲気は左の写真でつかんでもらえれば・・・ とりあえず山下の御殿のあたりから登ります。 |
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![]() 三の丸入り口 |
淡々と歩いて山上に到着。 三の丸の入り口です。 ここにはかつて四つ門(四方に入り口がある門)という珍しい門が建っていました。 |
![]() 三の丸 |
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![]() 案内板 |
村上城は山頂部分には近世の遺跡しか残っていませんが、 山の中腹には中世の遺跡が数多く残っていて、 中世・近世城郭両方を実見できます。 |
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![]() 出櫓台 |
二の丸に侵入した敵を迎撃する出櫓のあったところです。 | ![]() 石垣工事中 |
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![]() 石垣の構造がよく分かります。 |
ふくらんできた石垣(倒壊の危険がある)の修復工事が 行われていました。 普段見ることのない、石垣内部の構造がよく分かります。 |
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![]() 埋門跡 |
埋門跡です。ここを下ると中世村上城の遺跡めぐりができます。 | ||
![]() 冠木門跡 |
本丸入り口です。 かつてここには冠木門がありました。 礎石が残っていました。 |
![]() 冠木門の礎石 |
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![]() 天守台 |
本丸の北西隅に天守台がありました。 かつて三層三階の天守が建てられていたようです。 松平氏が建てた2代目天守は、完成後わずか4年で落雷により焼失。 以後、天守は再建されませんでした。 |
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![]() 村上城下を望む |
さすが天守台。 かつての城下町を一望できます。 日本海まで一望できる眺めの良さに大満足です。 (^^ |
![]() 国道7号線方面 |
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![]() 見事な切り込みハギ |
村上城の石垣は、美しい切り込みハギでした。 隅櫓跡は草ぼうぼうでした。 |
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![]() いざ笹川流れへ |
お城見物終了〜 暑いくらいの好天なので、海沿いを走ることにします。 国道345号線をひた走り、笹川流れを見物です。 併走する羽越本線を貨物列車が通過していきました・・・ |
![]() 貨物列車が行く |
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![]() 真っ青な空と海 |
見てください!この青い空、青い海! やはり日ごろの行いが大切 だってことがよく分かりますよね〜 |
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![]() 気分は最高 |
あんまりきれいなので、シャッターをついつい押しちゃいます。 | ![]() 蛇行する川 |
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![]() 遠く続く道を〜 |
日差しは強烈ですが、風は爽やか。 平日だから交通量も少ない。 ライダーズ・ハイってこの時のためにある言葉かも〜 |
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![]() ここから山形県 |
勝木と書いてがつきと読みます。 で、国道7号線に合流。 そこからしばらく行くと、山形県に入ります。 初めて自走で北海道を目指した時は温海町でしたが、平生の大合併で鶴岡市になってました。 |
![]() 国道7号線沿いの美しい海 |
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![]() すかしユリだっけ? |
国道7号線沿いに、きれいな花が咲いていました。 青い空をバックに一枚いただきます。 |
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![]() 鶴岡城本丸堀 |
鶴岡市街に入ったところで国道7号線を離れ、 鶴岡城見物に向かいます。 本日二つ目、この旅六つ目のお城で〜す。 鶴岡城は山形の最上家の持城でしたが、最上家改易のあと酒井忠勝が13万8千石(後17万石)で入り、以後明治維新まで続きました。 明治維新では奥羽列藩同盟に加わり、新政府軍と激戦の末敗れています。 もともと土塁のお城で、石垣は櫓台と城門付近にしか使われていませんでしたが、現在は石垣は残っておらず、堀の一部があるのみです。 石垣フェチとしては、ちょっと寂しいなあ・・・ |
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![]() 本丸隅櫓跡 |
一応隅櫓跡だけ写真撮ってきました。 あと城跡には大宝館という洋風建築が移築されていて、地元出身の著名人の資料が展示されていました。 ・・・が、私が知っている人はいませんでした。 鶴岡市民の皆さん、すいません・・・ |
![]() 大宝館 |
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![]() ここなんかどうだろ? |
時間はちょうどお昼時。 腹も減ったしご飯にしようと走っていると、麦きりって看板見つけたので入って見ることに。 「麦きり」ってなんだべ?と思って注文してみたら、うどんでした〜 orz ちょっとうっかりしてましたね 暑さにやられてたんですかね? (^^; おいしかったんですけど、他に山形限定のそば粉を使ったおそばがあったので、そっちにすれば・・・と後悔しきりでした。 |
![]() 絹入り麦きり |
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![]() 羽黒山に向かう |
ご飯も食べたし、近くにある羽黒山に向かうことにしました。 出羽三山って有名ですからね〜 どんなところか見ておこうかと思いまして。 途中ででっかい鳥居が立ってました。 |
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![]() 羽黒山到着 |
羽黒山に到着しました。 案内板を見ていると、社殿までは往復2時間ほど歩くみたいだったので断念。 国宝の五重塔を見に行くことにしました。 |
![]() 参道の石畳 |
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![]() 五重塔 (国宝) |
途中は石畳の道が続き、杉の巨木が木陰をつくっていて、 風情のあるところでした。 やがて杉並木の間に巨大な塔が見えてきました。 国宝「五重塔」です。 伝説に寄れば、創建したのは平安時代の武将、平将門だそうです。 再建は室町時代、その後最上義光が大修理を行ったといわれています。 さて、ここから山形までどういうルートを通ろうか考えたのですが、 景色がきれいだというので、最上川沿いを走ってみることにしました。 国道47号線を東に向かいます。 道中、「芭蕉」の名前のついた看板が立ちまくってました。 ホテル、観光船・・・ あまりの芭蕉っぷりに思わず爆笑してしまいました〜 期待した景色の方は大したことなかったので素通りです(笑) |
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![]() さくらんぼ |
新庄手前から国道458号へ。すぐ県道に入って舟形へ。 舟形からは国道13号線を南に向かいます。 途中、尾花沢あたりからサクランボ畑が目につきました。 そう、山形県は有名なサクランボの産地なんですよね〜 わざわざ寄り道したのもそれが狙いです(^^)v しかしこの日の山形盆地の暑いこと!! 道路脇の気温計は、一カ所30度を表示してました。 アスファルトの照り返しが強烈で、みるみる弱っていきます・・・ |
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![]() お麩やさん |
東根市に入ったところで国道の暑さに耐えかねて、県道を走ります。 県道を走っていると、おもしろそうなお店を見つけたので入ってみます。 このお店、「お麩」のお店なんです。 お麩だけで商売成り立つのか疑問ですが、東根のお麩は有名なんだそうで、市内にはお麩やさんが6軒(多分)あるそうです。 |
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![]() 生麩と麩ラスク |
早速試食(笑) まあ「麩」だけでは商売にならないんでしょうねえ。 新商品「カボチャ生麩」と「麩ラスク」をいただきました。 この麩ラスク、パンのラスクより食感が軽くておもしろかったです。 この後、お麩やさんのご主人の紹介先でサクランボ狩りを試みますが、 佐藤錦にはまだ早いって言われて断念。 熟れたら送ってくださいってお願いして東根市を後にしました。 |
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![]() 山形城二の丸堀 |
日もかなり傾いてきました。 天童市(将棋の駒で有名なところ)も寄りたかったのですがパス。 山形市を目指します。 目指すは山形城。最上家五十七万石の居城です。 が、山形市内でちょっと道に迷い、たどり着いたのは二の丸西不明門。 またも裏口からのお城見物となりました。 (^^; 本日3つ目、この旅7つ目のお城見物です。 |
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![]() 二の丸西不明門 |
山形城も基本土塁の城なんですが、そこは五十七万石。 城門の周辺はごらんのような立派な石垣が築かれていて、石垣フェチも大満足です。 (笑) |
![]() またも裏口から・・・ |
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![]() 本丸一文字門 |
最上義光亡き後、孫の最上義俊はお家騒動を鎮められず、 近江大森1万石に転封となります。 (のち5千石まで減封される) その後には関ヶ原の合戦の時、伏見城で討ち死にした鳥居元忠の子、 鳥居忠政が22万石で入り、東北の押さえとしての役割を期待されます。 が、その子忠恒は後継者なく早死にしてしまいました。 その後はめまぐるしく藩主家が交代し、左遷地の様相を呈してしまいます。 山形藩の最後は水野家で、5万石でした。 そのため、57万石規模の城を維持することは難しかったようです。 ちなみにこの水野家は天保の改革で有名な水野忠邦の子、孫でして、 忠邦失脚後左遷されちゃったのです。(汗) |
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![]() 本丸石垣と堀 |
山形城には明治維新後、陸軍の駐屯地がおかれ、 本丸や内堀が埋め立てられてしまっていたのですが、 現在復元工事が進められています。 本丸大手門にあたる本丸一文字門付近の石垣と堀が完成していました。 |
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![]() こんな感じになります |
工事現場には完成イメージ図が立てられていました。 が、本丸一文字門には古写真がないため、 門をはじめとする建物の復元が容易ではないそうです。 市民に古写真の提供を求める看板も立ってました。 |
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![]() 最上義光さん |
二の丸には山形の英雄、最上義光の銅像が建っていました。 勇ましい騎馬姿です。かっこいいなあ・・・ |
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![]() 東大手門 (内側から) |
こちらはすでに復元工事が終わった二の丸東大手門です。 門の内側にはボランティアのガイドさんがいて、お城の説明を していました。 ガイドさんとしばし山形城と最上家談義に花が咲きました。 最上家と山形城を熱く語るガイドさんを見て、地元山形を心から愛しているんだなあ〜と感動しちゃいました。 |
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![]() 東大手門 |
店じまいを始めたガイドさんにさよならして、東大手門の外に出てみました。 逆光なんで見にくいんですが、門の様子が分かるかな? |
![]() 東大手門 |
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![]() お堀の脇を電車が通ります |
なんと外堀のほとりをJR奥羽本線が走っています。 珍しい光景ですよねえ。 さて、17:00になったので、山形にさよならして高速道路に乗り、 一路仙台を目指します。 仙台でお友達の亜希さんと飲む約束をしたもんで・・・ |
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![]() 鰹のたたき |
18:30頃、仙台の宿に転がり込みまして、19:00に亜希さんが宿まで迎えに来てくれました。 で、仙台の裏道をうねうねと歩いた、とある居酒屋さんに連れてってくれました。 もう一回行けって言われても絶対無理だと思います(笑) とっても粋な居酒屋さんで、置いているお酒のセンスがすばらしくよかったです。 珍しい宮城の地酒(名前は忘れました〜アハ)をいただきました。 とってもおいしかったです。 |
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![]() なんの魚か忘れた |
お料理も抜群においしかったです。 また行きたいけど、絶対分かんないだろうなあ〜(爆) 亜希さん、どうもありがとうございました。 |
![]() ほやだっけ? |
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![]() 生麩まんじゅう |
で、翌日の朝ご飯。 前日、お麩やさんで買った、生麩まんじゅうです。 くず餅に近い食感でおいしかったです。 |
![]() 中身 |
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![]() サクランボ |
で、佐藤錦を頼んだお店でいただいたサクランボです。 亜希さんと山分けしました。(^^ 佐藤錦ほど甘くはないけど、とってもおいしかったです。 |
![]() 亜希さんと山分け(笑) |
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to be continued・・・ | |||
2008.7.12作成 | |||
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