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![]() 徳川園 |
9月のある週末、暑さも和らぎだしたので、かる〜くツーリングに出かけることにしました。 目指すは名古屋。 今回は巨城「名古屋城」の見物です。 名古屋市内についたら、まずは腹ごしらえ。(笑) 鶴舞公園にほど近い某喫茶店でランチをすませたあと、まずは東区にある徳川園に向かいます。 尾張名古屋2代目藩主である徳川光友が、隠居所としてここに御殿を建てたそうです。光友没後は家臣に譲られていましたが、明治維新後に再び尾張徳川家当主の邸宅となりました。 昭和6年、名古屋市が尾張徳川家から寄贈を受けて「徳川園」として公開していましたが、空襲で焼失。 現在のは平成16年にリニューアルしたものなので、あまり古いものではありません。 |
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![]() 徳川美術館門 |
庭園見物はほどほどにして、お目当ての施設へ。 徳川園の同じ敷地内に徳川美術館がありまして、 こちらが本日のメインデッシュでございます。(笑) 徳川美術館には尾張徳川家ゆかりの美術品が多数所蔵・展示されていまして、歴史好きなら必見なのでございます。 絢爛豪華な「大名道具」を多数見ることができます。 私的には「女駕籠」に感動しました。さすが大名の奥方(しかも御三家筆頭ですよ〜)が乗る駕籠だけあって、ものすごい細工がほどこしてあるんです。 あと尾張徳川家所蔵の「源氏物語絵巻」の展示もありました。 (切手にもなったやつです) 2008年は源氏物語が書かれてから1000年目(!)でしたからね〜 いいもの見せていただきました。 あと敷地内には「蓬左文庫」もあります。 こちらは尾張徳川家の蔵書や尾張藩の公文書が大切に保管されているのです。 展示もありまして、こちらもかぶりつきで見て参りました(^^; なにせ紀州徳川家の文書は、保管費用に困った明治初期の和歌山県が廃棄しちゃったもんで、残ってないんですよ。 従って旧藩時代の1級資料がほとんどない状態なんです。 だからうらやましいっす。名古屋市民は恵まれてますねえ・・・ |
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![]() 三ツ葉葵の紋所 |
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![]() 三の丸空堀 |
まだ少し明るかったので、名古屋城に移動しました。 城内へは入城時間が終わっているので入れませんが、旧三の丸は官公庁・ビジネス街になっているのです。 しかしちゃんと堀が残っているんですよ〜ジャングルみたいになってますけど(笑) |
![]() 三の丸空堀 (ジャングルみたい・・・) |
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![]() 本町口跡 |
かつての本町口跡にきました。 三の丸は基本土塁でしたが、門の周辺は石垣が築かれて防御力をアップしていました。 門の内側は旧三の丸。かつては藩の重臣たちの屋敷や藩庁が並んでいた場所です。 今は愛知県庁や名古屋市役所などの官公庁、中日新聞本社などがあり、ビジネス街になっています。 暗くなってきたら蚊がわいてきました。 何カ所かやられたので退却することにします(^^; |
![]() 手前がゆうちょ銀行事務センターで、 奥が名城病院(多分) |
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![]() 熱田区某所(笑) |
さて、晩ご飯は何食べようと悩みましたが、お友達の日記にうまそうなお店が書いてあったのを思い出しました。 友達の日記を携帯で確認。日記にあった写真から店名を割り出し、さらに携帯で検索・・・ ようやくお店を見つけ、名古屋市は熱田区内にある某お店にやって来ました(笑) そのお店とは・・・ |
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![]() ひつまぶし |
「蓬莱軒」です。 名古屋市民でここを知らない人はいないでしょう(多分) 県外にも広く知られたこのお店の名物とは・・・ 「ひつまぶし」 でございます。 このお店が元祖らしいですよ。ええ。 「ひまつぶし」じゃございませんことよ。(わかってるって?) 晩ご飯には少し早い時間に行ったのですが、すでに待ち人数がありました。 私は最近はやりの「お一人様」でしたので、あっさり席に案内されました。 大盛りに心惹かれましたが、そこは普通盛にしておきます。 (2800円くらいだったかな?大盛りは3800円くらい)) なが〜く感じた待ち時間を経て、やって来ましたよ〜 「ひつまぶし」 が。 ええ、とっても ウマー でございました。 わさび載っけて食べると、あんなにあっさりおいしくなるんですね。 すっかり堪能させていただきました。 「余は満足であるぞ」 |
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![]() 七里の渡し |
蓬莱軒のすぐ近くには、旧東海道の 「七里の渡し」 跡がありました。 江戸時代はここから伊勢(三重県)の桑名まで渡し船が出ていました。 東海道がなぜここだけ海上ルートなのか? 名古屋から桑名までにはいわゆる木曽三川(揖斐・木曽・長良)の河口が連なり、陸上を行くのが困難だったからです。 |
![]() 灯籠 |
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![]() 灯籠 |
夜の七里の渡しはライトアップされていて、とてもいい雰囲気でした。 | ||
![]() 名古屋城縄張り図 |
翌朝、早起きしすぎて開場前の名古屋城に来てしまいました。(笑) すっかり年寄りですねえ・・・ |
![]() 二の丸空堀 |
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![]() 名古屋城正門 |
名古屋城正門前にやって来ました。 この門は江戸時代には榎多御門と呼ばれてまして、名古屋城西の丸の門でした。 なぜ「正門」になったかというと、名古屋城(本丸付近)は明治維新後に「離宮」になっていたんですね。 (史跡保護のため) つまりは準皇居だったわけですよ。 その時にここが正門に決められたのです。(二の丸は陸軍の管轄だった) 榎多御門の建物は早くに失われ、江戸城から蓮池御門が移築されていましたが、空襲で焼失。 その蓮池御門の建物が、戦後鉄筋コンクリートで再建されています。 だから今の建物は江戸時代の榎多御門ではありません。 |
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![]() 刻印1 |
榎多御門の枡形内の石垣には、刻印のある石を見ることができます。 名古屋城は天下普請(各大名に工事を命じた)だったので、各大名に持ち場を指定して工事をさせました。 |
![]() 刻印2 |
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![]() 刻印3 |
で、石材が誰の所有であるかとか、どこの石垣に使用するのかなどをわかりやすくするために、石材に刻印を記したわけです。 | ![]() 刻印4 |
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![]() 西の丸から本丸をみる (奥が天守、手前が西南隅櫓(現存)) |
刻印の写真をばしばし撮ってたら、ようやく開場の時間になりました(笑) 正門をくぐって西の丸に入ります。 江戸時代の西の丸には米蔵などが設けられ、食料倉庫としての役割を果たしていました。 本丸西南隅櫓が西の丸に睨みを効かせていました。 この櫓は数少ない現存の建物です。2重3階の建物で、ちょっとした天守くらいの規模があります。 |
![]() 西南隅櫓 |
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![]() 本丸表二の門 |
本丸大手門前にはかつて馬出がありましたが、離宮時代に馬車が通れないという理由で堀などが埋め立てられてしまいました。 本丸表門は枡形門(二重門の形式)になっていました。 二の門が現存しています。一の門跡には、かつて櫓門がそびえていました。 |
![]() 本丸表一の門跡 |
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![]() 本丸内 |
本丸表門を通ると本丸内です。 本丸内には礎石がたくさん並んでいますが、これがかつての本丸御殿跡です。 戦前まで名古屋城には天守、小天守、本丸御殿などが現存していましたが、空襲で焼失してしまいました・・・残念です。 現在、本丸御殿を復元する計画が進んでいます。完成すればすごいことになりますが・・・ |
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![]() 名古屋城天守 |
これが「尾張名古屋は城で持つ」と言われた、名古屋城天守です。 金の鯱をいただいたその姿は、名古屋市の象徴でした。 「シャチハタ」なんかはこの金鯱にちなんだ社名なんですよ(^^ 真下から見上げる天守の大きさは想像を超えるものがありました。 「でかいな〜」 それもそのはず、高さこそ江戸城や徳川大坂城天守に譲りますが、床面積では日本最大の天守だったのですから。 これがかつて木造だったのか・・・すごいな(汗) |
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![]() 小天守から本丸への通路 |
さっそく入ってみることにします。 天守に入るには、まず小天守に入らなくてはいけません。 この小天守、外観こそ2重2階ですが、その大きさたるや丸亀城の天守なんかより大きいのです。 小天守を抜けると天守への通路に出ます。 天守入り口は鉄板を貼り付けた、いわゆる「鉄門」でした。 頭上には石落としが構えられ、寄せてくる敵を頭上から攻撃出来るようになっていました。 |
![]() 天守入り口には頭上に石落としが |
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![]() 天守内部 |
名古屋城天守には一見石落としや鉄砲を撃つところ(狭間といいます)がないよう見えます。 これは、王者は徳に依って支配するという思想に基づいたものです。 がホントは2階の出っ張り部分が石落としになってるんですね〜巧妙に隠してるんです。 あと狭間も表面は土壁に隠されていますが、戦時には土壁を抜いて使用出来るようになっていたのです。これを「隠し狭間」といいます。 |
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![]() 名古屋城天守模型 |
現在の天守は鉄筋コンクリートによる外観復元です。 ただ、最上階は展望のために窓が大きくなっていて、きっちりとした復元にはなっていません。 内部は展示室なっていて、名古屋城に関する資料が展示されています。 |
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![]() 名古屋城模型 (本町口あたり) |
左は昨日見た名古屋城三の丸本町口付近です。 右は名古屋城を北側から見たところです。 名古屋城は台地の北端に建てられたお城でして、想定攻撃ルートである台地(城南面)を堀と曲輪で遮断した設計になっています。 城の背面(北面)が手薄なように見えますが、江戸時代のこのあたりは湿地帯で、大軍は動かせなかったのです。 名古屋城も後堅固のお城だったんです。 |
![]() 名古屋城模型 (城を北側から見る) |
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![]() 天守からの眺め (手前小天守、奥西南隅櫓) |
天守のてっぺんからは名古屋の街を見下ろすことができます。 なにせ名古屋城天守は石垣も含めて高さ55メートル強あって、18階建てのビルに匹敵しますからね〜 遠く金華山なんかを見ることもできました。 岐阜と名古屋って意外と近いなあ・・・ |
![]() 天守からの眺め (手前本丸御殿跡、奥は東南隅櫓) |
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![]() 明かり取りの窓 |
名古屋城の石垣内は穴蔵になっていました。 明かり取りが設けられていました。 なぜか小天守の写真が右1枚しかない・・・ なんか微妙です(笑) |
![]() 小天守 |
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![]() 八丁味噌アイス |
天守から出てきたところで一休み。 八丁味噌アイスなるものを見つけて食べてみました。 意外とおいしかったですよ。 オススメです。 天守台石垣を見ました。これは加藤清正が請け負った石垣です。 美しいっす・・・石垣フェチにはたまらんです。(^^) |
![]() 天守台石垣 |
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to be continued・・・ | |||
2009.3.1 作成 | |||
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