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![]() 関西空港 |
さて、今回はツーリングではありません。久しぶりに飛行機に乗ってみました。 行き先は東京。目的は博物館&江戸城です。 出発当日はいつものようにお仕事。 ぎりぎりまで仕事で粘った後、あわただしく職場を出発。 関西空港に到着したときは時間ぎりぎり・・・と思ったら、 使用機材の到着遅れとかで、出発が20分遅れるとのこと。 ラッキーとばかりに関空内で晩ご飯食べます。 19:50、搭乗した飛行機は出発しました。夜間飛行は夜景がきれいでお気に入りです。 大阪・神戸・京都、その後は名古屋の夜景を楽しみつつフライトは続きます。 乗った飛行機はスターアライアンスのエアバスだったんですが、フットレストもあるし、 快適でしたねえ〜 21:00過ぎに羽田に到着。バスに乗ってターミナルまで移動です。 |
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![]() 名古屋市あたり |
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![]() 北総鉄道? |
東京のお友達ハンターさんが、仕事が忙しいにもかかわらず時間を作ってくれるというので、待ち合わせ場所に向かうべく京浜急行に乗ります・・・ あれれ、京急は赤い電車じゃなかったっけ??? 電車をよ〜く見てると「北総鉄道」とか書いてある・・・ あとで調べたら成田空港までを相互乗り入れしているようです。 さて待ち合わせ場所の糀谷駅で降りたら、糀谷駅は工事中でした。 「糀谷は工事や!」 (^m^) なんておやぢギャグをとばしつつ、それらしい人を探します・・・ 「ハンターさん?」 「れんとさんですか?」 ひしっと抱き合うわけもなく、挨拶しながらハンターさんの愛車に乗り込みます。 「東京らしいところがいいですよね〜」 といいつつ向かった先は 「ジョナサン」 関西にはないので感動しました。 あ、途中で 「オリジン弁当」 も見ました〜 ただのホカ弁だったんですね(^^) 初めてのジョナサンではドリンクバーをば。 カップにお茶っぱを直接入れるシステムに感動しました〜 ハンターさんとは2時間くらい話したかな? お互いツーリング好きなので話が弾みました〜 今度はもっとゆっくり話できるといいなあ〜 |
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![]() ジョナサン |
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![]() 秋葉原のお宿 |
ハンターさんにJR蒲田駅(発車メロディーが蒲田行進曲でなごみました) まで送ってもらい、今宵の宿がある秋葉原に向かいます。 23:00過ぎの上り電車なのに結構乗ってます。 すれ違う下り列車は軽くラッシュ状態。 姉さん、東京は怖いところです・・・(^^ さて日付も変わろうかという頃、秋葉原に到着。 オタクの聖地も、さすがにこの時間にはあまり人はいません。 でも例の事件の影響か、警官が一人立ち番してました。 私はスーツ姿で、一見出張中のリーマンを装っていましたのでセーフでした(爆) 秋葉原のお宿に到着。なんと1万円もするんですよ〜すごいですね〜 人生で一番高い宿です。(^ω^;) 室内も結構豪華でしたね。 洗面台の代わりにシンクがあったのは、長期出張の利用者が多いのかな??? お風呂がシャワーのみなのが、東京らしくっていいです。 時間も遅いし、お風呂に入らずに寝てしまいました・・・ でも5:00に起きちゃうのが悲しいところ。仕事のリズムが体から離れません・・・ とりあえずこのホテルのウリ、屋上の露天風呂に向かいます。 まあ人工の露天風呂なんですけど、こんな大都会の真ん中で青空見ながらお風呂に入るってのも乙なものですね〜 堪能させていただきました。(^^ |
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![]() なぜにシンク? |
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![]() お宿 |
お風呂のあとは朝ご飯。 昨日は遅かったし、しばらく宿でのんびりしようかと思ったけど、 結局好奇心に負けて出発しました。 |
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![]() 秋葉原の風景 |
秋葉原と言えば電気街だったんですが(友人の結婚式で上京したときはそうだった)、いまや立派なオタクの街 アニメキャラの看板があふれてます。 写真撮りながら秋葉原を歩く姿は、どうみても出張中のリーマンの姿ではありません(笑) |
![]() 秋葉原の風景2 |
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![]() 秋葉原の風景3 |
さて、今日の目的は江戸城(あえて江戸城と呼びます)。 かつて日本中の大名を従わせた将軍の居城です。 中学生の頃に二重橋には行ったことあるのですが、記念撮影しただけだしね・・・ ちょっとわくわくです。 最初は地下鉄で行こうと思ったんですが、路線がよく分かんないのと、 地図で見ると直線で2キロほどだったので歩いて行くことにしました。 出勤するリーマンに紛れて隠密行動開始です・・・ |
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![]() 神田川 (江戸城の総構えの堀でした) |
秋葉原の南には神田川が流れています。 かつて江戸の町は北側からの攻撃に弱いとされていました。 (伊達政宗も江戸は北から攻めると放言したらしい) その弱点をなくすため、流れを付け替えられたのが神田川です。 以来、江戸の総構え(市街も含めた防衛態勢)の堀として大切にされてきました。 |
![]() 日本橋川(江戸城外堀) 神田橋門跡 (ここから大手前) |
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![]() 大手堀 |
神田川を越えて東京電気大学の近くを通っていくと日本橋川(江戸城外堀)に出ます。 この内側は大手前と呼ばれ、諸大名の江戸屋敷が並んでいました。 ちなみに幕末では、神田橋門を入って右手が一橋刑部卿、左手が酒井左衛門尉(羽州鶴岡17万石)の屋敷でした。 どこかの会社の駐車場を横切ると気象庁前の交差点。 その道路の向こうには大手堀が広がっています。 |
![]() 江戸城案内図 |
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![]() 大手門前はビジネス街 (酒井雅楽頭(姫路15万石)の屋敷があった) |
お堀端をてくてく歩いて大手門前までやってきました。 開門は9:00らしく、10人くらいの観光客がたむろしていました。 私も一緒に待ちます。待ってる間もビジネス街の写真撮ったり、江戸城の案内板を撮ったり大忙しです。 |
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![]() 江戸城大手門 (高麗門) |
ようやく開門の時間が来ましたので、城内へと向かいます。 大手門は、かつて諸大名が登城する際のルートでした。 大手枡形内の雁木に使われている石材も、きちんと整形されていて、一手間かかっている事がわかります。 |
![]() 大手枡形内の雁木 (石垣に銃眼が開いているのわかるかな?) |
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![]() 大手門 (渡櫓門) |
門の形式は枡形虎口と呼ばれているもので、もっとも進化した虎口です。 一の門(高麗門が多い)と二の門(渡櫓門が多い)を組み合わせてその間を枡形とし、 枡形内に誘い込んだ敵に十字砲火を浴びせるようになっていました。 門内の石垣は見事な切り込みハギで、ぴったりと継ぎ目が合わさっています。 このあたりは天下普請で東北の諸大名が工事を受け持ちました。 中でも大手門は伊達政宗が請け負ったと言われています。 この門の警護は10万石以上の譜代大名が受け持ち、鉄砲30丁などが常備されていたようです。 |
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![]() 入園票 |
ご存じの通り、江戸城跡は現在皇居になっています。 皇居はかつての西の丸と吹上に設けられていて、そちらは一般人立ち入り禁止です。 が、本丸以下については行事に支障がない範囲で公開されています。 でも入園はきちんと管理されておりまして、入園の際に入園票をもらって退園の際には返すシステムになってます。 閉園後に人が残るのを防いでいるのでしょう。 |
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![]() 大手三の門と同心番所 |
三の丸と二の丸の間にあった堀は、現在埋め立てられています。 二の丸入り口にある大手三の門跡までやってきました。 かつて御三家をのぞく諸大名は、この門で駕籠や馬から降りて調べを受けなくてはならなかったため、下乗門とも呼ばれていました。 諸大名の供廻りもここまで。 で、ここで主人を待つ間、各大名の家臣達が情報交換したことから「下馬評」という言葉が出来たのだとか。 大手三の門の枡形跡には同心番所がありました。 現在は門内にありますが、かつては門外にあり、ここを通る諸大名を改めていました。 |
![]() 案内板 |
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![]() 百人番所 |
大手三の門の内側には百人番所がありました。 ここには鉄砲百人組といわれた甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組が昼夜交代でつめていました。 各組には同心が100人いたことからこの名がつきました。 |
![]() 解説板 |
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![]() 大手中の門 |
![]() 中の門に使われた石材 |
![]() 見事な切り込みハギ ぴったり合わさっています。 |
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![]() 石垣の解説板 |
百人番所の前には大手中の門がありました。 将軍の威光を示すため、中の門脇の石垣には、きれいに切りそろえられた35トン前後の巨石が使われました。 視覚効果を重視した証拠に、石垣に使われた石材には奥行きがあまりありません。(鏡張りと呼びます) 巨石をふんだんに使って築城できる将軍家の力を見せつけるための石垣でした。 |
![]() 石垣の解説板 |
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![]() 大番所 |
この石垣に使用されているのは、瀬戸内産の花崗岩と、伊豆産の安山岩でした。 ちなみに現在の石垣は、1703年に地震で崩壊した後、1704年に鳥取藩主池田吉泰が修復したものです。(解体修理中に刻印のある石材が発見されて判明) 大手中の門を入ったところには大番所がありました。 先の二つの番所より位の高い与力、同心が詰めていました。 本丸への最後の番所で、諸大名・旗本もここからは駕籠を降りて歩きました。 |
![]() 解説板 |
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![]() 奥の石垣には重箱櫓が |
中の門跡を通ると坂道があります(かつては石段でした) 奥の石垣上には重箱櫓(1階と2階の大きさが同じだから)があり、本丸に入る者を威圧していました。 その前を右に折れると書院門(中雀門)でした。 ここからいよいよ本丸です。 |
![]() 書院門(中雀門)跡 一の門跡 右に折れたところに渡櫓門が、 左奥には書院二重櫓がそびえていた |
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![]() 本丸側からみる富士見櫓 |
書院門跡から本丸に入りました。 本丸の南端にある富士見櫓をまずは見物。 この櫓は明暦の大火で天守が失われた後、天守の代用とされていました。 関東大震災の時に倒壊したらしいんですが、旧部材を使って復元されました。 将軍はここから両国の花火を見物なんかしたらしいですよ。 富士山や秩父連山を見渡せるらしいですが、富士見櫓下は皇居なので、立ち入り禁止です。 |
![]() 解説板 |
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![]() 富士見多聞 |
本丸西側の防御を固めた富士見多聞櫓の裏側です。 こちらも正面が皇居なので立ち入り禁止です。 |
![]() 解説板 |
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![]() 岩室跡 |
本丸奥には石でできた岩室がありました。 簡単に言ってしまうと、江戸時代の耐火金庫室ですね。 大事なものを火災から守るために使用されていました。 |
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![]() 天守台 |
本丸西北隅に、巨大な天守台が残されていました。 全国でも最大規模のこの天守台は、明暦の大火後に前田綱紀(金沢藩主)が築きなおしたものです。 が、保科正之らの進言により、天守再建は中止となり、その後江戸城に天守が建つことはありませんでした。 |
![]() 解説板 |
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![]() 天守台 |
さっそく天守台に登ってみます。 天守台には地下一階にあたる穴蔵部分がありました。 現在は盛り土されていますが、南側にその名残を見ることができます。 |
![]() 天守台内は穴蔵になっていました。 |
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![]() 天守台から本丸を見る。 |
見てください!この広大な本丸を! ここまで広い本丸は、日本広しといえども江戸城だけです。 かつてはここに儀式などを行う表御殿、将軍の住まいである中奥、有名な大奥の建物が建ち並んでいました。 ちなみに天守台下は大奥になります。 |
![]() 天守台から北側をみる。 |
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![]() 天守台石垣 |
天守台の石垣は、美しい切り込みハギでした。 石をきっちり切りそろえて積み上げたこの石垣は権力の象徴だったのです。 |
![]() 見事な切り込みハギです。 |
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![]() 北桔梗門と平川堀 |
本丸北側にある北桔橋門(きたはねばし門)です。 この門は現在高麗門だけですが、かつては奥に渡櫓門、近くに二重櫓があり、 厳重な構えでした。 この門の前に架けられていた橋は、有事の際には巻き上げられて交通を遮断しました。 同じ形式の橋は、本丸石室近くにある西桔橋門にもありました。 門両側に伸びている石垣はかなりの高石垣です。写真で分かるかなあ? この門からいったん皇居東御苑からでます。 |
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北桔梗門を出て右に歩くと竹橋御門跡にでます。 この門はかつての北の丸への入り口でした。 江戸城巡りはまだまだ続きます・・・ |
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to be continued・・・ | |||
2008.11.23作成 | |||
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