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松阪城絵図
 翌日の天気は快晴!気分良くツーリングを再開です。
 今日の第一目標は松阪市。松阪城を見学です。

この溝がかつての堀の名残です。

松阪城二の丸石垣
 松阪城は、伊勢の国で12万3千石を与えられた蒲生氏郷が、
天正16年(1588年)に築城しました。
 しかし蒲生氏郷は1590年に会津で60万石を与えられて転封。
 その後には服部一忠が入りますが、1595年に秀次事件に連座して自害。
 その後に古田重勝が3万4千石で入ります。
 古田氏は関ヶ原でも東軍に付いて2万石加増されますが、1619年に石見の国浜田(島根県浜田市)に移されました。
 松阪城は紀州徳川家の持ち城となり、
紀州藩の伊勢領(19万石余)を統括する城として城代が置かれました。
 江戸時代には城の建物は放置されていたようで、天守も1644年に台風で倒壊したあと再建されませんでした。
 江戸時代末期の写真でも、倒壊した櫓門に応急処置で茅葺き屋根を乗せられたものが残っています。
 

御城番屋敷解説板
 松阪城南側の旧三の丸には、御城番屋敷(組長屋)が現存しています。
 これは江戸時代(1863年)に建てられた組屋敷が、現在まで維持管理されてきた珍しいものです。
 明治維新後も住民士族が苗秀社という合資会社を設立し、建物を維持管理してきたものだぞうです。
 西側半分が修理中でした。

御城番屋敷

土蔵
 御城番屋敷近くには土蔵もありました。
 これは松阪城内にあった米蔵を移築してきたものと伝わっています。 

土蔵の解説板

松阪城裏門跡
 それでは早速お城見物です。
 またも裏門からの見学です・・・

松阪城縄張り図

隠居丸石垣
 松阪城裏門の左側は隠居丸、右が二の丸になります。
 入ってすぐ右に折れます。

裏門

裏門跡
 右に折れたところに裏門がありました。
 茅葺き屋根で応急処置された写真が残っている門です。
 裏門をくぐると今度は左に折れています。
 典型的な食い違い虎口です。

城内側から見る

二の丸跡
 虎口を過ぎると本丸帯曲輪の石垣が正面にそびえています。
 そこを右に折れるとかつての二の丸です。
 ここには1794年に紀州御殿(徳川陣屋)が建てられていました。
 

二の丸から城下を見る
(右側に城番屋敷が見えます)
 ここ松阪和歌山街道の終点であり、江戸時代初期には紀州藩の参勤交代ルートでした。
 和歌山城を出発した参勤交代の行列は、途中高見峠を越えてここ松阪に到着し、ここから船で伊勢湾を越えていったのです。

二の丸石垣

中御門へのルート
 二の丸から中御門跡へ向かいます。
 左側は隠居丸跡です。
 ここには城下にあった本居宣長の居宅が移築されています。
 が、朝早すぎて開いてませんでした・・・
(^^;

隠居丸跡には本居宣長の居宅が

中御門跡
 またも右折れして左折れする食い違い虎口です。
 脇には太鼓櫓があり、このルートに睨みを効かせていました。

本丸帯曲輪へ

太鼓櫓跡
 本丸には、太鼓櫓がありました。
 名前からして、登城を告げる太鼓が置かれていたのでしょう。
 南東隅には月見櫓跡がありました。
 南東隅ってのが珍しいですね。

月見櫓跡

本丸への2ルート
 本丸上段へは二つのルートがありました。
食い違い虎口を通るルート(写真左側)と、
金の間櫓下にでるルート
(写真右側)です。
 どういう使い分けがされていたのか現在でもよく分かっていません。

帯曲輪には桜が・・・
 帯曲輪には桜が咲いていました。
 春ですねえ・・・
 花を愛でつつ、虎口を通って本丸上段へ向かいます。

本丸への虎口

金の間櫓跡
 本丸上段には金の間櫓と呼ばれる櫓がありました。
 名前の由来がよく分からないのですが、どんな建物だったんでしょうねえ・・・
 天守台脇には敵見櫓がありました。

敵見櫓跡
(奥が天守台)

本丸と天守台
 本丸上段の北東隅に天守台がありました。
 3重5階の建物だったらしいのですが、記録があまり残っておらず、どんな建物だったのかははっきりしないそうです・・・
 天守台の石垣には石棺らしい石材もありました。
 織豊系のお城らしいですね
(^^)

天守台には石棺らしき石材も・・・

きたい丸の石垣
 本丸上段の西側には「きたい丸」と呼ばれる曲輪があります。
 この曲輪には城外への出入り口がなく、完全な袋小路になっています。
 どんな目的の曲輪だったのでしょうか・・・
 曲輪の名前は、古田重勝の子の幼名「希代丸」にちなむそうですよ。

きたい丸石垣

隠居丸への埋門跡
 きたい丸から本丸へと歩きます。
 松阪城の石垣は、右の写真のように、多聞櫓台状になっているところが多いです。
 面白いですね。

本丸帯曲輪の石垣

松阪城北側の眺め
 しかしこの日はほんとに天気が良かった。(^^
 日ごろの行いです
 

天守台
 ソメイヨシノもちらほらと咲いていました。
 お友達にメールで開花報告をしながら歩きます。

ソメイヨシノもちらほらと

藤見櫓跡
 本丸の北側をぐるりと歩いていきます。
本丸上段石垣

本丸からの虎口
(奥が遠見櫓台)
 本丸から二の丸へと降りていきます。
 この虎口も食い違い虎口で、頭上には遠見櫓が構えられ、厳重な防備でした。

遠見櫓台から虎口を見下ろす

本丸石垣
 遠見櫓の下をぐるりと回っていくと、表門へのルートになります。
 表門を入ってきた敵は、正面高石垣上からの攻撃にさらされたことでしょう。

本丸石垣

本丸帯曲輪の高石垣
 表門から城外へと出ます。
松阪城表門

表門付近の石垣
 表門周辺の石垣をぶらりと見物した後、二の丸の下を通って、バイクを取りに向かいます。
二の丸石垣

松阪城堀の解説
 バイクに乗ってから松阪市役所へ。
 市役所そばを流れる川が、松阪城の堀の名残なのです。

松阪城堀の名残
(かつては幅30メートルあった)

松阪城大手門跡
(横断歩道の辺り)
 松阪市役所前の横断歩道付近が、かつての大手門跡です。
 大手門の前には、幅30メートルの堀がありました。
 いまでは小さな川が流れるのみです・・・

参宮街道
 蒲生氏郷は、松阪に故郷の近江商人(蒲生は近江日野出身)を移住させ、商都松阪の基礎を作りました。
 三井財閥を築いた三井家も、ここ松阪発祥です。
 「現金掛け値なし」の新商法で、巨万の富を得ました。

三井家旧宅

参宮街道沿いの旧家
 松阪の城下町には参宮街道(伊勢神宮への街道)が通っており、にぎわっていたそうです。
 かつての街道沿いには、旧商家がちらほら残っていました。

こんな建物がちらほら・・・
to be continued・・・
2009.4.19 作成
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