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![]() 城内に移築された 桑折氏武家屋敷門 |
お昼過ぎに大洲を出発! 途中お昼ご飯を食べつつ国道56号線を南下します。 日も傾き始めた午後3時頃、宇和島城に到着します。 宇和島といえば、伊達家10万石の城下町。 立ち寄りにくい場所なもんで、今回が初訪問です。 わくわくしますね〜 さて、藩政時代の宇和島城は、山下の三の丸に藩主が住んでいました。 三の丸は市街地化して見る影もありませんが、 登城口に桑折家長屋門が移築されています。 |
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![]() 石段を登ります。 |
三の丸跡から登城道を登っていくと、井戸丸が待ちかまえています。 正面石垣前で登城道は右に折れます。 登ってきた敵は、正面と右側面からの攻撃にさらされるという訳です。 |
![]() 井戸丸が待ちかまえます (正面石垣上には井戸丸櫓がありました) |
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![]() 井戸丸門跡 |
現在石垣修復工事中の井戸丸門跡を通ると、登城道はコの字型にUターンします。 回り込んだ先には、曲輪名の由来になった井戸がありました。 |
![]() 井戸 |
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![]() 本丸帯曲輪の石垣 |
井戸丸からさらに登ると、道はT字路にぶつかります。 左に行くと本丸、右へ行くと藤兵衛丸ですが、 時間もないのでとりあえず本丸を目指します。 本丸への道は帯曲輪の石垣にぶつかります。 この石垣上には御書物櫓が建ち、登ってくる敵を睨んでいました。 |
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![]() 三の門跡 |
御書物櫓前を右折すると、かつては三の門がそびえていました。 三の門の向こうには本丸高石垣がそびえています。 高石垣左には御弓矢櫓が建っていました。 |
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![]() 二の門跡 |
登城道はさらに右に折れ、二の門へと続いています。 ふっと振り返ると二の門へのルートを、背後から天守が睨んでいました。 二の門左手の石垣上には北角櫓がありました。 |
![]() 天守の監視下です。 |
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![]() 櫛形門(一の門跡) |
二の門をくぐったところが二の丸。 左手に折れると本丸への入り口、櫛形門になります。 〜宇和島城の歴史〜 宇和島城のあった所には中世以来の小城があったらしく、 小串城と呼ばれていたようです。 近世になると、はじめ伊予一国を与えられた小早川隆景の持ち城、 次いで大洲城に入った戸田家の持ち城となりますが、 1595年に藤堂高虎が7万石を与えられてこの地に入ります。 高虎は城を大改築し、宇和島城と名付けます。 現在の宇和島城の縄張りは、藤堂高虎によるところが大きいのです。 現在からは想像も付きませんが、築城当時の宇和島城は三方を海に囲まれた海城でした。 海側に黒門などが開かれており、船での出入りを考えられて作られていました。 高虎は関ヶ原合戦後に今治に移り、後には伊勢の国安濃津(現在の津市)から富田家が入りますが、大久保長安事件に連座して改易。 1615年、大坂の陣の恩賞として伊達政宗の庶長子である 伊達秀宗が10万石で入り、以後明治維新まで伊達家が続きました。 現在に残る天守は伊達時代に建てられたものです。 幕末には四賢公の一人、伊達宗城を出しています。 |
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![]() 二の丸にあった解説板 |
二の丸は本丸の馬出の役割を果たした小さな曲輪で、御算用櫓が建っていました。 | ![]() ふむふむなるほど〜 |
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![]() 御算用櫓跡 |
御算用櫓の跡には礎石が残っていました。 | ||
![]() 櫛形門 (両側に櫓が建っていました) |
さて、いよいよ本丸を目指します。 本丸への入り口は一カ所、櫛形門をくぐって入ります。 |
![]() 礎石が残っていました。 |
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![]() 台所跡 |
櫛形門をくぐると、左手に台所跡、右手に御鉄砲櫓跡の石垣が残っていました。 | ![]() 御鉄砲櫓跡 |
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![]() 天守 |
現存12天守の一つ、宇和島城天守です。 藤堂家時代の望楼型の3層天守を、伊達時代に層塔型に建て替えたものです。 精緻な組み合わせの石垣が、建てられた時代を感じさせます。 |
![]() 精緻な切り込みハギの石垣 |
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![]() 急な階段 |
内部には天守につきものの急な階段や武者走りなどの防御を考えた造りになっています。 が、障子などがあって、居住性を考えた造りにもなっています。 |
![]() 武者走り |
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![]() 最上階 |
最上階はかなり狭かったです。 はっきり言って熊本城宇土櫓の半分くらいの広さしかありません(笑) 北側の窓から外をのぞいてみると、登城道に対しての視界が確保されているのが分かります。 |
![]() 登城道を見下ろしていました。 |
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![]() 宇和島市街 |
海と山の隙間にある狭い平野に、宇和島の街は広がっていました。 | ||
![]() 雷門跡 |
本丸を下って藤兵衛丸にやって来ました。 二の丸の北方にある曲輪で、山中に曲輪が点在する様は、中世山城のようです。 |
![]() 黒門への石段 |
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![]() 藤兵衛丸の高石垣 |
しかし藤兵衛丸は高石垣の上にあり、近世城郭であることがよく分かります。 現在、宇和島城では発掘と同時に石垣の修復工事が行われているようです。 |
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![]() 長門丸の石垣 |
藤兵衛丸の北側には、さらに長門丸が構えられていました。 宇和島城は城の北方や海側の防御を重視した造りになっています。 |
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![]() 市立伊達博物館 |
時間がないので、いったんお城を出て伊達博物館に向かいます。 ここには宇和島藩伊達家ゆかりの調度や武具が多数展示されています。 本家から遠く離れていてもさすがは伊達家。 絢爛豪華な調度類は、一見の価値ありです。 (館内撮影禁止) |
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![]() 立ち上がり門 |
閉館ぎりぎりまで粘った後は、再び宇和島城へ(笑) 今度は城の搦め手から攻めます。 城の南側、国道沿いに立ち上がり門が残っていました。 これは宇和島城で唯一現存する城門なんだそうです。 戦前まではかなり立派な大手門が残っていたそうですが、 残念ながら空襲により焼失したそうです。 |
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![]() 代右衛門丸の石垣 |
搦め手道を見下ろしているのは代右衛門丸の高石垣。 侵入者は常に右側面を攻撃にさらし続けて登ることを余儀なくされます。 搦め手道はやがて長門丸に入ります。 私はここでUターン。 再びバイクにまたがって走り出します。 目指すは宿毛市。 明日は宿毛フェリーに乗船です。 |
![]() 代右衛門丸南角櫓台 |
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to be continued・・・ | |||
2009.8.23作成 | |||
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