宿毛港
 翌朝は宿毛港から佐伯行きの宿毛フェリーに乗船の予定でした・・・
 が、船は検査のためにドック入りしていて
欠航
でした!
「何のために宿毛まで来たんだ・・・」
 折しも雨が降り始めました・・・
「そういや今日は荒れるって言ってたな・・・」
 気持ちが沈み込む中、国道56号線をとぼとぼと引き返します。
 悪いことは重なるもので、
宇和島市街手前から大渋滞。
 雨の中、のろのろ運転を強いられます。
「ちくしょー!」

八幡浜フェリーターミナル
 ようやく八幡浜までたどり着きました。
 宿毛フェリーが欠航の今、九州に渡るにはここからしかありません。
 雨の中走るのも嫌なもの。
 一気に別府入りを目指します。
 10:15発の別府行きの宇和島フェリーのチケットをゲット!
 雨関係なしで移動できるはずでした・・・

臼杵行きフェリーが出港

九四フェリー
 出港して間もなく、船は揺れ始めました・・・
「ん?」
携帯で天気予報を確認・・・
「あ〜」
この日の豊予海峡は海上に
強風波浪警報
が発令中でした・・・
「こりゃーやばいなあ・・・」
 海峡に近づくにつれ、船の動揺は激しくなり、船外からは風切り音が・・・
「うお〜」
船底が海面をたたき始めました
「ん〜?」
船内トイレからカエルの歌が・・・
「ゲロゲロゲロゲロ、クワックワックワ」
「ひえ〜」
私の前に座っていたおっさんが、ビニール袋をつかむなり激しくはき始めました。
「やめてくれ〜」
すっぱい臭いが船内に・・・

コッチが今回乗船
「フェリーさくら」
宇和島運輸

さんふらわああいぼり
(別府港)
「ひ〜」
これはたまりません。
 今日は南風の模様。
 一刻も早く大分側の陸の影に入るように祈ります・・・
乗船時間3時間
ようやく別府港に入港です・・・

ようやく下船・・・

ありがとうさくら
 ふらふらしながら下船します。
「う〜ん腹減った〜」
お昼ご飯はお寿司にしよう(笑)

関サバ
 別府市内のおいしいお寿司屋さんでランチです。
 「コイツはうまいなあ〜」
 ここでいつも関アジ関サバ頼むんですが、おいしいですよ〜
 値段も高くないし。
 店の名前ですか?
教えてあげない(ハート)

関アジ

竹田津港フェリーターミナル
 別府市内を出た頃から雨が激しくなってきました・・・
 1時間も走った頃には股間から浸水開始。
サンクチュアリがじわじわと・・・
 「左舷からも浸水!」
 「右舷に注水して復元せよ」
とか意味不明な事を言いつつ走ります。
 幸いだったのはこの日の気温が16度と高めだったこと。
濡れはしましたが凍えずにすみました。
 竹田津のフェリーターミナルではストーブに火が入ってました。
ほっとして濡れたものを乾かしにかかります。

くにさき入港
 待つこと2時間近く、ようやく
「フェリーくにさき」
が入港してきました。
 バイクが真っ先に乗船です。
 船内では延着の可能性についてくどいほど説明していました・・・

バックで接岸

船室内
 待合室のストーブで若干乾かせたものの、
生乾きのままの乗船となりました。
 この日の周防灘も峠は越えていたとはいえ荒れていて、
かなり揺れてました。
 途中、退屈しのぎにカップヌードルを食べたりしながら
真っ暗闇の航海に耐えます。

徳山着
 乗船してから2時間ほど。
 ようやく徳山港に到着しました。
 この日は広島市内まで行きたかったのですが、雨がまだ止まないので断念。
 徳山で宿を取ることにしました。
 しかし徳山駅って海の真ん前にあるんですね・・・
 しらんかった・・・

ホテルの窓から

府中焼き?
 近くのセブンイレブンで
「府中焼き」
なるものを発見。
 う〜む何だろうと調べてみたら、広島県東部の府中のお好み焼きであることが判明。
「これはいずれ食べにいかねばなるまい・・・(キラーン)」
 この年の10月に府中を訪問。
 見事念願を果たすことができましたが、それはまた別のお話です。(笑)

あんまりおいしくなかった

朝の徳山
 翌朝目を覚ますと、どんより曇ってはいるものの、雨は上がったようす。
 ゆっくり朝ご飯を食べて出発時間を遅らせ、天候の回復を待ちます。
 8:00、ようやく出発。
徳山駅を見物しつつ、広島を目指します。

徳山駅

亀居公園案内図
 9:30前、ようやく広島県に入ります。
 ここでちょっと寄り道です。
 山陽道を見下ろす小山に、かつて
亀居城
というお城があったのです。
 それを見学するためにやって来ました。

亀居城解説板

亀居公園
亀居城とは?
 関ヶ原の合戦後、中国の覇者毛利家は防長二カ国に減転封され、安芸・備後には
福島正則
が入りました。

石段

本丸石垣
(復元)
 減封されたとはいえ36万石の毛利家に対して
国境を固めるため

1603年にこの地に築城が開始されました。
 山陽道を城内に取り込み、港も持つ巨大なお城でした。
 完成までに5年かかっています。
 しかし豊臣氏と徳川氏の間に緊張が高まると、
豊臣恩顧の福島家に対しても風当たりが強まり、
完成のわずか3年後の1611年、
亀居城は破却の憂き目をみています。
 1977年に発掘調査が行われて整備が進められており、
現在は亀居公園になっています。
 ちなみにこの亀居城に相対しているのが岩国城(吉川氏の居城)
になります。

本丸虎口
 復元整備の終わった本丸に向かいます。
 本丸虎口(入り口)は3回も折れ曲がる非常に厳重な構えです。

折れて、折れて

もう一つ折れます
 本丸からの眺めはごらんのとおり。
 瀬戸内をゆく船を一望することができます。

本丸からの眺め

天守台
 天守台はかなり大きなものでした。(7間×7間)
 三層三階クラスの天守が建っていたと考えられています。
 天守へは続櫓から入るようになっていたようです。

多聞櫓跡

赤線から下が元々の石垣?
 石垣がきれいに積み直しされていますが、
赤線から下は当時のままのようです。

 この日は6度と寒く、時折みぞれが降りましたが、
桜が咲き始めていました。

崩れた石垣
 山の至る所に崩れた石垣が残っていました。
 左の写真は詰めの丸あたりのものです。
 亀居城の石垣からは刻印が発見されているそうです。

亀居城の石垣には刻印があるようです

石垣の名残
 本丸、二の丸、三の丸の他に、詰めの丸や有の丸、松の丸など、小さな曲輪がつながる縄張りでした。
松の丸跡

名古屋丸跡
 山中にいくつか曲輪の跡があり、公園として整備されています。
捨ての丸跡

山中に残る石垣
 山上にはもちろんのこと、山のふもとにも石垣が残されています。
 山陽道を城内に取り込み、汐入(港)を持つお城だったからです。
 亀居城が破却されたときには、まだ一国一城令は出されておらず、福島家に対する風当たりが強かったために、破却を余儀なくされたようです。

山の下にも

山陽自動車道
 ちなみに城のすぐ裏が山陽自動車道大竹JCTなんですよ(笑)
 意外なところにお城ってあるでしょ?
to be continued・・・
2010.1.12作成
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