駿府城中堀
 さあ5月ももうすぐ終わろうかとういう週末。
 私のカレンダーは3連休
 「これは行かずばなるまいて・・・」
 と言うわけで、
私にしては珍しく雨予報のなかを出発することにしました。
目指すは山梨県
 通過したことはあったのですが、
訪問したことがなかったのです。
 浜松辺りから雨が降り始め、
静岡の辺りですでに大降り。
 通過することも考えたのですが、
駿府城に寄っていくことにしました。

雨の駿府城
では駿府城の歴史から・・・(笑)

 14世紀に駿河守護となった今川氏により、
駿府に館が構えられました。
 今川義元亡き後、武田氏の侵攻により駿府の館は失われます。
 武田氏滅亡後、駿河は徳川家康の領国となり、
家康の甲信支配後に駿府城が築かれ、家康の居城となりました。
 が、家康は関東に移封。
 その後に秀吉子飼いの中村一氏が駿府城主となります。
中村家は関ヶ原の合戦で東軍に付き、伯耆米子に転封。
 その後に内藤信成が4万石で入ります。
 1606年、豊臣家との関係が悪化する中で
信成は近江長浜へ移封。
 駿府城は大御所 徳川家康の居城となります。
 この時、駿府城は大改修を受けて現在のような三重の堀を持つ縄張りとなりました。

二の丸大手門跡
(明治時代に埋められてしまいました)
 しかし完成直後の1607年に本丸を焼失。
 1610年に再建され、5重7階の天守を持つ城になりました。
 1610年、家康の10男である徳川頼宣
駿河、遠江で50万石を与えられ、
駿府城はその居城となります。
 が、頼宣は7歳
実際はお父さんの家康の居城でした。
 家康没後の1619年、頼宣は紀州和歌山へ転封となります。
  

駿府城解説板
1625年、三代将軍家光の弟である忠長が、
駿河・甲斐・遠江で55万石を与えられ、駿府城に入ります。
 しかし将軍との不仲のために1632年に改易となり、
翌年には忠長は自害に追い込まれます。
 以後江戸時代を通じて、駿府城代が駿府城を管理していました。
 家康時代の立派な天守は1635年に焼失し、
以後は再建されませんでした。
 明治維新の時(1868年)、
大政奉還した徳川宗家に駿河・遠江・三河で70万石が与えられ、
徳川家達が駿府城に入ります。
 このとき、府中(駿府)は不忠に通じると言うことで静岡と地名が改められました。
以後静岡藩として廃藩置県までの短い時代を過ごすことになります。
 駿府城は、明治時代に陸軍が駐屯したため、
本丸石垣と内堀は埋め立てられてしまいました。
 またその時にたくさんの門や橋が廃止されたため、
江戸時代の姿のままでないのが残念なところです。

一部復元されている内堀と
本丸石垣
 さて、明治時代に新たに設けられた二の丸橋から駿府城公園に入ります。
 入って右に折れて歩いていくと、最近発掘された
本丸石垣と内堀の一部がありました。
 最近はお城ブームなので、全部復元されるといいですねえ・・・ 

東御門解説板
 唯一復元されている建物である、
東御門巽櫓を見に行きます。

東御門を城内側から見る

東御門を城外から見る
 さすが家康の隠居城だけあって、
東御門は立派なものでした。
 枡形の規模もかなりのものです。

巽櫓

巽櫓
 二の丸にあった巽櫓も復元されていました。
 えらく巨大な櫓で、圧倒的な存在感でした。
 地方のお城なら優に天守級の大きさがあります。
 さすがは天下人のお城といったところです。

二の丸水路解説板
 駿府城の特徴として、内堀・中堀・外堀の間が
水路でつながれていることがあげられます。
(なんのためかは分からないですが)
 城内への賊の侵入を防ぐため、
水路は何重にも折り曲げられていました。

これが二の丸水路です。

家康手植えのみかんだそうで
 旧本丸跡には、家康が自ら植えたといわれる
みかんの木が茂っていました。
 樹齢は何歳になるんでしょうか?
すごいですよね〜

この樹です

本丸天守解説板
 本丸の北西隅に、5重7階の天守がありました。
 が、明治時代に陸軍によって天守台が撤去されていて、
看板のみというさびしい現状です。
 本丸には神君家康公の銅像もありましたよ。
 いろいろな評価がありますが、
270年に及ぶ太平の世
を築いた功績はすばらしいと言えます。

家康公銅像

北御門解説板
 駿府城の北側はあまり改変も受けず、
江戸時代のままなんだそうです。

北御門の雁木積み

北御門解説板
 二の丸への北側の入口だった北御門跡です。

北御門を三の丸から見る

外堀
(聖母幼稚園付近)
 それにしても雨が止みません・・・
 カッパは着てるけど、傘持ってないから
頭はずぶ濡れ・・・
 ヘルメットかぶって歩くと通報されそうださし・・・

外堀
(聖母幼稚園付近

駿府城大手御門解説板
 雨の中歩くのも疲れたので、撤退することにしました。
 静岡で泊まりたかったんですが・・・
 翌日以降の日程を考えて、
甲府まで移動することにしました。
 帰りがけに駿府城の大手門前で写真をとりました。
 かつての三の丸にあった門で、
ここが駿府城の大手門でした。

駿府城大手御門跡
 さて、雨中静岡を後にしたれんと。
 静岡鉄道を左に見つつ、国道1号線を北上します。
 時刻はすでに17:00。ほんとは久能山東照宮も見たかったのですが、
これはあきらめて後日への宿題とします。
(同年6月に訪問)
 渋滞する国道1号線を、ひたすら北上します。
 清水を抜けて走りやすくなったと思ったら、すぐに左折。
国道52号線に入ります。
 山梨県に入っても北上を続けますが、この辺りで雨は上がりました。
 日没後も淡々と走り続けて、増穂町のあたりのラーメン屋さんで晩ご飯。
この時点で20:00頃。
 珍しく(笑)地図を持ってきていたのでルート確認。
 国道140号線から国道358号線へのルートを選択しますが、道中真っ暗。
しかもなんかルートミスしたみたいで、明らかに358号線じゃあないっぽい道。
「おいおい・・・」
「まあ北上してたらそのうちに国道20号線にぶつかるやろ」
というおおざっぱな感覚で北上を続けます。
 さしもの私も若干心細くなったころ、
ようやく甲府の街の明かりが見えてきて一安心です。
 21:00頃でしたかね?ようやく甲府のお宿に到着いたしました。(^^)
to be continued・・・
2010.2.13作成
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