わさびとうなぎジェラート@浜名湖SA
 さて、2009年の夏休みも一般人に先駆けて6月に取ることにしました。
 日程をちょっとでも浮かせるため、金曜日はバイクで出勤。
 仕事終了後直ちに出発!
 その日は亀山まで走り、22:00に亀山泊まりとなりました。
 翌朝は8:00に出発。時折雨のぱらつく中を東へと向かいます。
 亀山ICから東名阪、伊勢湾岸を通り東名へ。
岡崎にて自然渋滞に巻き込まれるも、まずは順調に走ります。
 浜名湖SAで一休み。
 最近のSAはいろんなお店があって楽しいですよね〜
 「浜名湖限定フレーバー」
という看板につられて朝っぱらからジェラート屋さんへ。(まだ9:30)
 限定フレーバー、わさびうなぎを注文します。
 ネタかと思いましたがわりとおいしいですよ〜v(^^)v
わさびはすーっとして結構おすすめかな?
 ウナギはタレの味ですけどね(^^;

掛川城大手門
(復元)
 さて、前回の東海ツーリングで、ジェネレーターの故障というアクシデントの為、掛川城を見物出来ませんでした。
 で、真の目的地を偽装するため(誰に?笑)、
ものはついでと掛川城に寄っていくことにします。
 掛川IC降りてアンダーパスをくぐってちょっと行ったところで左折。
 掛川城大手門前に到着でございます。
 この大手門、平成に入ってから復元されたもので、本来の位置からはずれたところにあるそうです。
 大手門をくぐると番所があります。これは江戸時代末期に建てられたものだそうです。

掛川城大手門番所
(現存)

逆川越しに見る掛川城天守
 掛川城は1400年代後半(応仁の乱のの頃)、
駿河守護の今川義忠が家臣の朝比奈泰煕に築城させ、そのまま朝比奈氏が城代を務めました。
 今川氏真の時代、徳川と武田の挟撃をうけた氏真が、駿府を捨てて掛川城に落ち延びてきます。
 掛川城は徳川勢に囲まれますが、城主の朝比奈泰朝はよく守ります。
 結局氏真の生命保護を条件に開城となり、氏真は小田原へと落ち延びて行きます。
 徳川時代は石川家成が城主でした。
 

掛川城縄張り
 しかし徳川家康は秀吉によって関東に移封されます。
 後には山内一豊が5万1千石で入ります。
 秀吉は徳川家の西進を防ぐべく、一豊はじめ一門・子飼いの大名で東海道を固めたのです。
 一豊は掛川城を近世城郭へと改築します。
 東海道を付け替えて城下町を通過させるとともに、城下町の東側にある山を防衛ラインとし、徳川軍の西進を防ぐ構えでした。 

掛川城模型
 ご存じの通り、関ヶ原合戦の後、山内一豊は土佐一国24万石を与えられて移っていきます。
 東海道の要衝である掛川には、家康の異父弟である松平定勝が3万石で入ります。
 その後、頻繁に城主は入れ替わり、最後は太田家(道灌の末裔)が7代続いて明治維新を迎えています。
 さて掛川城の縄張りですが、浜松城と同じように連続する丘をうまく取り入れたものになっています。

本丸付近の縄張り

掛川城三日月堀
 本丸前の三日月堀で敵の分断を図ったりしてます。
 また、ちょっと変わっているのが
十露盤堀。
 底に岩盤が露出していて、一見十露盤のように見えるためにこの名が付いたとか。

掛川城十露盤(そろばん)堀

掛川城天守
(再建)
 さて掛川城の天守は、幕末の地震で倒壊したまま明治維新を迎えました。
 現在のものは平成6年に木造で再建されたものです。
 木造による復元は国内初でした。
 本丸には他に三の丸から移築された太鼓櫓があります。

掛川城太鼓櫓
(移築現存)

掛川城下
 さっそく天守に登ってみました。
 掛川城から川を挟んだ南側が、東海道でした。
 

掛川城御殿

掛川城御殿
上座
 掛川城には御殿が現存しています。
 幕末に建てられたものですが、往時の雰囲気をよく保ってます。

廊下
 畳の廊下ってなんかいいですよね。
城主の居間

抹茶パフェ
 お城の前で一休み。
 「静岡茶のシロップ入り」の抹茶パフェがあったのでつい・・・(汗)
 お味ですか?
 上品だった・・・と思います(笑)

掛川城付近

久能山東照宮
 掛川城の見物も終わったので、国道1号線を東に向かいます。
 静岡市で国道1号線を外れて日本平パークウェイへ・・・
 「あり?」
 私のツーリングマップルでは有料道路のはずのパークウェイ。
 どこまで行っても料金所がない。
 「まあいいか〜」
と走ってるうちに日本平に着いてしまいました。(笑)
 いま調べたら平成16年に無料開放されてたんですね〜
どんだけ古い地図で走ってるんだって話ですが(^^;
 で、ここからロープウェーで久能山を目指します。
 登るのかと思ったら下るんですね・・・ちょっとびっくりしました。
 深い谷を越えたところに久能山はありました。
 ロープウェーしかアクセス出来ないのかと思ったら、
海側から1200段近い石段を登るルートもあるようです
(というかそちらが参道)
 ・・・ロープウェーで良かった(笑)

東照宮唐門

葵の御紋
 久能山東照宮は、のこぎりの歯のような峰の頂に作られた神社です。
 隠居城の駿府城で臨終を迎えた徳川家康が、遺言により埋葬された場所です。 
 後に日光東照宮に改葬されますが、久能山東照宮として現在に至っています。
 この東照宮を管理していたのは旗本の榊原家で、有名な榊原康政のお兄さん清政の子孫です。
 この久能山、もともとは山城でした。
 家康の構想では駿府城の詰めの城の性格を持っていたようです。
 確かにこは難攻不落。食料の心配がなければ落城しそうにない場所ですからね・・・
 

もともとはお城だったそうです。

絢爛豪華な屋根
 現在、社殿の漆の塗り替え(50年に一度だそうです)が終わったばかりだそうで、極彩色の社殿がとてもきれいでした。
 次の50年後に来るのは無理だろうなあ・・・

拝殿

墓所へ
 拝殿の横を過ぎると石畳の道が続いています。

見事な切り込みハギ
 道中見事な石垣が積まれてました。
 切り込みハギが美しい・・・

石垣

神廟
 石畳の一番奥に、神廟がありました。
 家康はなくなった後、ここに葬られました。
 遺言により、立ったままの姿で西向きに葬られたそうです。
 西からの脅威を予想していたのでしょうか?

三ツ葉葵の瓦
 お墓の前でそんな事を考えつつ、来た道を引き返します。
 久能山には博物館が併設されていて、徳川家ゆかりの品々が納められていました。
 お参りついでにぜひ。オススメです。

拝殿横の豪華な装飾

御前崎
 再びロープウェーに乗って日本平に戻ります。
 遠く御前崎が見えました。

深い谷

伊豆半島も見えます。
 日本平で休憩してたら、タクシーの運転手に話しかけられました。
 なんでも日本中を旅行して回ってるんだとか。
 私の地元にも来たことがあるそうで、いいところだと褒めていただきました。
 宮崎と鹿児島に行ったことがないそうで、
いいところですよ〜
とオススメしておきました。(笑)

富士宮焼きそば
 さて、再び国道1号線の人になりまして、東をめざします。
 そろそろ宿探し〜と思ったのですが、小田原あたりには見つけられず、
本日は三島泊まりと相成りました。
 泊まるところが決まったので、ちょっと寄り道。
 国道1号線を離れて富士宮を目指します。
 富士宮には「富士宮焼きそば」なるB級グルメがありまして、以前から気になってました。
 しかしSAで食べた「富士宮焼きそば」はあまりにまずく、
「本物はもっとおいしいに違いないっ」
と、リベンジの機会を狙っておりました。
 国道139号線を北上し、富士ICをしばらく行ったところで
「富士宮焼きそば」の看板を見つけたので入ってみることに。
 「うん、うまい!」
 ようやく納得のいく焼きそばを食べることができました〜(^^
 お店の名前?忘れちゃった(笑)
 ドラッグストアとスーパーの中にあるお店だったんですが・・・

千本松原付近
 再び国道1号線に戻りますがすぐはずれまして、
千本松原沿いの県道
を走ることにしました。
 まだ夏本番にはほど遠く、交通量も少なめでした。
 沼津市街でちょっと混みましたが、そこは愛嬌レベル。
 すいすいとパスしまして、三島駅前に到着。駅前のビジネスホテルに宿を取りました。
 近くの楽寿園でイベントやってたのでしばらくぶらぶらと見学。
 近くを流れる源兵衛川で蛍が見られるというので行ってみました。
 が、説明書きをよく読んでみると、蛍を放すだけなんだとか。
 な〜んだってんで宿に戻って晩ご飯を食べました。
 まずは一日目は無事終了です。

源兵衛川
to be continued・・・
2009.7.20作成
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