![]() |
|||
![]() コンビニで一休み |
翌朝目が覚めると雨が降ってました・・・orz しかし気を取り直して出発です。 昨夜しいなっちさんに教わったとおり、 いったん国道16号線まで戻って都心を迂回するルートを選択します。 福生市や瑞穂町など見慣れない地名を見ながら走ります。 途中米軍基地の間を通りました。 有名な横田基地だと知ったのは旅が終わってからになりました。 24時間営業のお店の多さにも驚きながら、淡々と国道16号を走ります。 入間市、狭山市・・・ 「あ、川越市だ!」 ようやく知った地名を見つけました。 国道16号は川越市街を避けて通っていたので、 川越の街はスルーでした。 やがて道は高速道路のような自動車専用道に変わります。 国道17号線と合流してしばらくすると高架下へ。 この辺りから渋滞しだしました・・・ 岩槻の辺りで国道16号線をはずれます。 どこへ行くのかって?それは・・・ |
||
![]() 神亀酒造のお店前 |
蓮田市にある「神亀酒造」を訪問するためですよ〜(^^) とある本に書いてあった住所だけを頼りに、住宅地をうろうろ・・・ 見つからないので酒屋さんで聞こう!って入ったお店が、 神亀酒造のお店でした(笑) 一見古いよろずやさんのように見えますが、 日本酒を薄暗い店の奥に陳列しているあたりはさすがでした。 生酒とかもあって大いに迷いますが、まずはレギュラー銘柄を選んで自宅に郵送することにしました。(なにぶんバイクですから) 「どちらから?」 とお店の方に聞かれたので、 「関西某県からです!」 と答えると、 「遠いところを・・・わざわざうちに?」 「はい、噂を聞いてまして、 どんなお酒か現地をみて買ってみようと・・・」 「それはそれは・・・」 てな感じで、小瓶を1本おまけしていただきました。 ありがとうございました。 再度お礼申し上げます。 |
||
![]() 神亀酒造 |
神亀酒造は、住宅地の真ん中。 「え?こんなところに?」 と言うような場所にありました。 酒蔵はうっそうとした林の中にあって、鎮守の森のような雰囲気を醸していました。 「ここで造られているんだなあ・・・」 神亀酒造といえば、 全国で先駆けて 全量純米酒製造 に切り替えた酒蔵。(これ、すごい事なんですよ) 一度来てみたかったところです。 日本酒について語り出すと、 お城の話より長くなるので(笑)多くは語りませんが、 (興味のある方は調べてみてね!) こういうポリシーを持って仕事してる人や会社が大好きです。(^^ これからもがんばってほしいものです・・・ |
||
![]() 神亀 |
神亀酒造の特徴は、神亀で2年、ひこ孫で3年間常温貯蔵で熟成してから出荷されていることです。 「え?日本酒はすぐ出荷じゃないの?」 と思ってましたが、それは明治以後の話。 江戸時代の日本酒は熟成してから出荷するものだったんだそうです。 この辺の話も語り出すと長くなるので、興味のある方は調べてみてください。 |
![]() ひこ孫 |
|
![]() 国道沿いにあったらーめん屋さん |
この日は小雨ぱらつくあいにくの天気。 ラーメンが恋しくなるような気温でした。 国道沿いにかわいい看板のラーメン屋さんを見つけたので入ってみました。 おいしかったですよ〜 チャーシューもおいしいし。 一度おためしあれ〜 |
![]() うまかったっす。 |
|
![]() 関東平野 |
春日部市にやってきました。 この街のどこかに野原一家がいるはずです(笑) ここで国道4号線に入って再び北上を開始します。 「関東平野は重力の底なんですよ・・・」 昨日のしいなっちさんの台詞を思い出します・・・ 「関東平野はどこまでも真っ平ら。 山裾にたどり着いたところで力尽き、 関東を出られないライダーがたくさんいるんですよ・・・」 「あははーまさかー(笑)」 ・・・いやほんとでかい。どこまで行ってもまっ平・・・ 果てしがありません。 変化のない風景に飽き飽きしてきます・・・ 結城とか(結城氏) 古河とか(古河公方) 小山とか(小山評定) とか、歴史関係の地名にいちいち反応して退屈をしのぎます・・・ |
||
![]() |
ようやく宇都宮に到着。 しかしバイパスを走っていたので通過してしまいそうになり、 あわてて引き返します。 まずは宇都宮城を見学・・・と思ったら腹痛が! 城前駐車場にあったトイレに駆け込み、事なきを得ます。 どうやら冷えたようです・・・汗 さて気を取り直してお城見物です。 |
||
![]() 富士見櫓と本丸堀 (復元) |
宇都宮城は関東の城の例外に漏れず、土塁の城でした。 したがって市街化の波に飲まれてしまい、ほとんど遺跡が残っていませんでした。 現在、本丸の東側が復元されて観光名所となっています。 |
![]() 富士見櫓を見上げる。 |
|
![]() 土塁の中は空洞でした。 |
復元された土塁は中が空洞になっていて、展示スペースなどに使われていました。 | ||
![]() 解説板 |
本丸土塁の一番高い場所には清明台櫓がありました。 天守の代替であったと考えられています。 |
![]() |
|
![]() 解説板 |
本丸の南西隅に富士見櫓が復元されていました。 城内側に窓がないのには理由がありまして、宇都宮城本丸には、東照宮参拝の将軍が宿泊するお成り御殿が建っていました。 将軍を見下ろすことのないようにとの配慮なのです。 |
![]() 富士見櫓 |
|
![]() |
2基の櫓は木造で復元されています。 内部は1階のみ見学できます。 |
||
![]() 清明台櫓 |
ここでお待ちかね?宇都宮城の歴史を少々・・・ 宇都宮城の歴史は平安時代にさかのぼります。 藤原秀郷もしくは藤原宗円(宇都宮氏の祖)が館を構えたのが始まりとされています。 藤原宗円は前九年の役の際、源頼義・義家に従って奥州に遠征し、 その功によって宇都宮にある二荒山神社の座主の地位と、鬼怒川流域の支配権を与えられ、以後この地に勢力を保ちます。 戦国時代末期、小田原を攻略した豊臣秀吉が宇都宮に入城。 宇都宮には奥羽の諸領主が参集します。(宇都宮仕置) 宇都宮氏は所領安堵。 宇都宮18万石の領主となり、宇都宮国綱は文禄の役にも出兵しました。 が、1597年に突如改易(領地召し上げ)されます。 子孫は水戸藩士として明治維新まで続きます。 宇都宮氏に代わって蒲生秀郷の子、蒲生秀行が18万石で入ります。 関ヶ原合戦後、蒲生秀行は会津若松60万石に返り咲き、 宇都宮へは奥平家昌(信昌の長男)が10万石で入ります。 1619年、徳川家康の懐刀と言われた本多正純が15万5千石で宇都宮に入ります。 正純は宇都宮城を近世城郭として大改修するとともに、宇都宮城下を城下町、宇都宮大明神の社前町、日光街道の宿場町として整備します。 しかし3年後、正純は政争に破れて改易されます。 (宇都宮城釣り天井事件) その後は城主がめまぐるしく代わり、最後は戸田家で明治維新を迎えています。 お城の建物は戊申戦争時に戦災で焼失しています。 |
||
![]() 宇都宮城縄張り |
|||
![]() 宇都宮みんみん |
とまあ堅い話はこれくらいにして(笑) まだおやつの時間ですが、早い晩ご飯にしましょうか〜 宇都宮といえば「餃子」 「餃子マップ」なんかもありまして、街中の餃子のお店を紹介しています。 で、「宇都宮みんみん」というお店に行ってみました。 |
||
![]() シンプルなメニュー |
おやつの時間だというのに、しかも平日なのに、 店内は一杯 でした〜 メニューをみて少々悩みますが、 焼き餃子 をいただきます。 待つことしばし・・・ 「キター」 おいしいそうな餃子がやって来ました・・・ さっそく一口・・・ 「ウマー」 肉汁が口いっぱいに広がってとってもグーです。 おすすめですよ〜 |
![]() 焼き餃子ですよ〜 |
|
![]() |
せっかく来たし、いろんな餃子が食べたいなあ・・・ てことで、繁華街にあるラパーク長崎屋の地下へ。 市内各店の餃子をいろいろ食べられるコーナーがありました。 (来らっせ宇都宮) 水餃子と焼き餃子を食べてみます。(店名忘れたなあ・・・) 水餃子はトムヤンクンを思わせる酸っぱい味噌スープの珍しい味でした。 焼き餃子もおいしくいただきました。 また食べたいけど、宇都宮は遠いなあ・・・ |
||
![]() |
|||
![]() |
|||
to be continued・・・ | |||
2009.7.28作成 | |||
2009ツーレポトップへ | |||
Home |