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![]() 二本松城案内図 |
お腹も一杯になったところで白河を出発! 次の目的地、二本松を目指します。 二本松と言えば戦国時代好きなら即座に反応すると思います(笑) 戦国時代末期、ここの領主であった二本松義継が、 有名な伊達輝宗(伊達政宗のお父さん)拉致事件 を起こしています。 人取橋合戦の後に二本松城は落城し、 最後の城主二本松義綱(義継の子)は 葦名義広と一緒に常陸国に逃げようとします。 が、義広に足手まといであると殺害されてしまい、 二本松氏は滅亡します。(哀れ・・・) 二本松氏はもともと畠山氏で、足利氏の支流であり、奥州管領の家柄だったのですが・・・ |
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![]() 二本松城 |
その後の二本松城には片倉景綱、伊達成実が城代で入りますが、 奥州仕置により、伊達家は旧葦名領を失います。 その後は蒲生氏、上杉氏、加藤氏の持ち城になります。 加藤氏改易の後、白河から丹羽光重(丹羽長秀の孫)が 10万7千石で二本松城に入り、以後明治維新まで丹羽氏が続きます。 戊申戦争時には奥羽列藩同盟に入り、官軍と激しく交戦します。 二本松藩兵は白河口で100日に及ぶ激しい戦いを繰り広げますが、 その隙をついて二本松城に官軍が迫ります。 |
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![]() 高石垣 |
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![]() 解説板 |
お家の危機に藩士の子弟(12〜17歳の少年)による少年隊が組織され、官軍と交戦しましたが敗れています。 若くして逝った少年兵達を悼み、箕輪門前に銅像が建っていました。 |
![]() 二本松少年隊の銅像 |
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![]() 箕輪門 |
さて、現在の二本松城を築いたのは、築城名手の丹羽光重でした。 白河城でも紹介しましたが、丹羽家は安土城築城を任された家柄で、優秀な 石工集団を抱えていたようです。 三の丸高石垣、本丸石垣を始め、二本松城を石垣造りの城に変貌させました。 |
![]() 箕輪門 (裏から) |
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![]() 高石垣 |
もっとも二本松城に石垣を築いたのは丹羽家が初めてでなく、 慶長期(蒲生氏の頃?)に築かれたと見られる石垣を見ることができます。 ちょっと草ぼうぼうで分かりにくかったですが・・・ |
![]() 分かりにくいのでアップで (さらに分かりにくい?(笑)) |
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![]() 二本松藩士自刃の地 |
城内外には戊辰戦争関係の碑がちらほら・・・ 左の場所では、官軍に降伏した際に家老、城代、小城代だ切腹したんだそうです・・・泣 |
![]() 日陰の井 |
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![]() 本丸石垣 |
箕輪門からは結構な登りでしたが、ようやく本丸に到着です。 平成に入ってから改修を受けた石垣は、とてもきれいでした。 |
![]() 本丸解説 |
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![]() 二本松市街 |
本丸前からは二本松市街を見下ろす事ができます。 | ||
![]() 本丸虎口 |
急な石段を登って本丸へと入ります。 | ![]() 折れ曲がって本丸内へ |
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![]() 東櫓台 |
二本松城は2基の櫓台と連結されたされた天守台を持っていました。 | ![]() 天守台 |
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![]() 西櫓台を見る |
本丸内はとても狭く、居住性はなさそうです。 藩主はふもとの三の丸で生活していました。 |
![]() 本丸と二本松市街 |
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![]() 城の北方には安達太良山 |
城の北方には安達太良山が見えました。 そういえば二本松は「智恵子抄」で有名な高村智恵子さんの出身地なんですよ。 「智恵子は、東京には空がないという・・・」だったかな? |
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![]() 元の石垣 |
本丸の北側には、改修工事で取り外された元の本丸石垣が展示されていました。 普段は見えない石垣内部の様子がよく分かりますね〜 |
![]() 裏込め石の様子がよく分かります、 |
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![]() 搦め手門跡 |
本丸から山を下って搦手門跡までやって来ました。 本丸からの道中に何もなく、門の廻りにだけ石垣があるので、唐突な感じを受けます。 |
![]() 門の礎石 |
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![]() 搦め手門石垣 |
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![]() 成田才二郎最期の地 |
二本松藩士、成田外記右ヱ門(150石)の次男である才二郎(14才)の終焉の地です。 才二郎は重傷の身でありながら敵隊長の白井小四郎(長州藩士)を倒し、自分もこの場所で絶命したそうです。 若いのにねえ・・・泣 |
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![]() 二本松城箕輪門 |
さあ日も傾いてきました。 今夜はどこに泊まろうか考えましたが、米沢まで足を伸ばすことにしました。 |
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![]() 大七酒造 |
さて、今回は城はおまけでして (ほんとかよ???)、 ホントはこっちがメインです。 大七酒造は、生もと造りで有名な酒蔵です。 生もと造りと言うのは、天然の乳酸菌を取り込んで乳酸を造り、雑菌や野生酵母の繁殖を防ぐ方法で、行程が多くて手間がかかり、完全発酵させるためにとても時間のかかる酒造りの方法です。 |
![]() 大七酒造 |
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戦前では当たり前の造りでしたが、その後の科学の発展でその手間が嫌われていつしか下火になっていました・・・ しかし大七酒造は伝統の灯を守り続けてきたそうです。 ホントはすぐ飲みたかったのですが、バイクなので2種類購入して自宅へ発送しました。 |
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![]() 二本松市街から郭内方面を見る (山を越えたところが城内) |
さて二本松の街は左の写真に写っている山で、城内と城下町は隔てられていました。 城内へは切り通しの道しかなく、高い防御を誇っていました。 鎌倉なんかが同じ発想ですよね。 しかし戊辰戦争では兵員不足もあり、一日で落城しています・・・ |
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![]() 菓子処松本 (二本松市亀谷) |
二本松に別れを告げて米沢に向けて出発しましたが、街中で早くも寄り道するのが私のいいところ(笑) なんか気になるお菓子屋さんを見つけたので寄ってみました。 時間もなかったのでめぼしいお菓子を購入し、今夜の宿でいただくことにしました。 この後は国道4号線で福島市まで北上。 国道13号線で奥羽山脈を越えて米沢へ。米沢で一泊しました。 |
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![]() 天ぷらくろべえ |
宿でさっそくお菓子をいただきました〜 (^^)v まずはまんじゅうの天ぷら、 「天ぷらくろべえ」 です。 まんじゅうって揚げると意外とおいしいんですねえ〜 |
![]() 中はこんな感じ |
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![]() プリン大福 |
お次に紹介するのは 「プリン大福」 イチゴ大福のイチゴの代わりにプリンが入ってます。 これまたウマーです。 |
![]() 中身 |
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![]() 味噌まんじゅう(蒸し) |
お店の主力 「味噌まんじゅう」 です。 蒸しと焼きがあって、どちらもおいしいです。 皮に味噌が練り込まれています。 |
![]() 味噌まんじゅう(焼き) |
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![]() ずんだ羊羹 |
珍しいのはずんだを使った羊羹。 これまたおいしかったです。 姉妹品?にカルピス羊羹があったんですが、あいにく売り切れてました。 無念 以上菓子処松本のご紹介でした。 |
![]() 抹茶大福 |
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to be continued・・・ | |||
2009.8.2作成 | |||
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