名門大洋フェリー乗船風景
(大阪南港)
 さて、久々の大型連休(自作)です。(笑)
 7,8月はどこにも行けなかったので気合いが入ります。
 職場にバイクで乗り付け、お仕事終了後にそのまま出発です。
 時間を稼ぐために短い距離ですが阪神高速に飛び乗り、
泉大津港を目指します。と・・・
「ぴかっ!!!」
「ずどどどどー」
とてつもない雷雲が前方に・・・
「間に合うか!?」
降り出す前に泉大津港にたどり着こうと必死になって走ります。しかし・・・
「ぽつ」

「ずどどどどー」

無情にも港まで数キロ手前で雷雲下に突入。
 あっさりサンクチュアリまで浸水を許します。
「は、早く船に・・・」
 焦る気持ちももどかしく、先に進みます。が・・・
「ま、真っ暗?」
そうです。フェリーターミナルは真っ暗。フェリーは影も形も見えません・・・
 後で調べてみると、北九州行きの2便(20:00発)は、
神戸港に移っていたようです。
 ずぶ濡れになってしまい、おうちに帰りたくなる気持ちをどうにか支え、
わずかな希望を抱いて大阪南港を目指します。
 大阪南港着。この辺りには雨があった形跡がありません。
はじめから南港を目指していれば・・・orz
 靴の中をぐちゅぐちゅ言わせながらチケット売り場へ。
 「おお!」
 捨てるフェリー会社あれば拾うフェリー会社あり。
 名門大洋フェリーが20:00発ではありませんか!
 「よ、良かった・・・」
 2等寝台に席をとり、乗船を待ちます・・・

二等寝台の様子。
 ようやく乗船しました。
 「うわー」
 上半身はカッパ兼用のジャケットで無傷ですが、
下半身がえらいことに・・・
「ずぶぬれだよ・・・」
 ズボンを脱いでパンツを履き替えたものの、ズボンの替えがあるわけでもなく。
考えたあげく、出す暇もなかったカッパのパンツを履いて船内を移動することにしました。
「かっこ悪い・・・」
しかし快適さには代えられません。
 とりあえずご飯を食べに食堂に。
 名門大洋フェリーでは、
ご飯とお味噌汁のお代わりが無料なんだそうです。
学生さんにはよさそうですが、成長期などとっくに終わったおっさんにはあまり関係ありませんねえ。(笑)
 お腹いっぱいになったところでベットへ。
 キャンペーン期間中だとかで、テレビ付きの二等寝台にしてみました。
後で請求書みたら1万2千円だとか。思ったより安かったです。
 とりあえずズボンをタオル掛けにかけて寝ることにしました。
「最悪、むこうで買おう・・・」

展望廊下
 翌朝、まずズボンの乾き具合をチェック(笑)
「げげ???!」
 ぱりぱりに乾いていました。
「船内、どんだけ乾燥してるんだ・・・」
のどの弱い方には向いていない乗り物かも?
 朝ご飯を済ませて、お風呂にも入って船内をうろうろ。
 修学旅行らしい学生さんも乗っていて、船内は結構賑やかでした。
 やがて北九州新門司港に到着。
こっちの岸壁は初めてですねえ・・・
 本年3月以来の九州の土地を踏みます。

フェリーターミナル

福岡城
 新門司から高速に乗って、途中のSAで小休止。
 福岡ICで高速から降りて福岡市街を目指します。
「らーめん食べたいなあ・・・」
 時計を見るとまだ10:00
 急遽福岡城を見物に立ち寄りました(笑)

福岡城堀
 福岡城は、黒田長政によって1607年に築かれました。
 長政は関ヶ原合戦の功により、豊前中津(大分県中津市)16万石から筑前一国52万石余を与えられ、当初名島城(福岡市名島)に入りました。
 しかし城下町を開くのには手狭であったことからここに城を築き、
黒田家再興の地である備前福岡(岡山県瀬戸内市長船町福岡)にちなみ、
地名を福岡と改め、城を福岡城と名付けました。

下の橋大手門と潮見櫓
 さっそく下の橋大手門から城跡散策です。
 目の前に櫓がそびえていますが、もともとこの位置にあった訳ではなく、保存のために移築されてきたらしいです。

下の橋御門

福岡城縄張り図
 福岡城の縄張り(設計)の特徴は大きな三角形をしている事で、
これは黒田如水が築いた中津城(中津市)とよく似ているのが興味深いです。
 また二の丸より内側の縄張りも、名護屋城石垣山一夜城との類似性を指摘されています。
 堀の内側には三の丸があり、重臣達の屋敷地でした。
 城の西側に広がっているのは入り江を取り込んで作られた堀で、
現在の大濠公園です。

名島門
 左の門は名島城の城門だったものです。
 長政が居城を名島城から福岡城に移すとき、黒田24騎の一人である林掃部に下げ渡され、屋敷門として使用されていたそうです。

解説板
 さて、いよいよ本丸下までやって来ました。
 本丸図を眺めて位置関係を確認します。

裏御門
 なぜか本丸裏御門に来ているようです。
 なぜか私は裏口に来てしまう不思議な癖があります。
 で、そこから入るのかと思わせておいて、御武具櫓門跡から本丸帯曲輪に入ります(笑)

御武具櫓門へ

大天守台
 帯曲輪から大天守台を見上げます。
 かなりな高さの石垣ですが、雑草がびっしり・・・
 もうちょっとなんとかならないものでしょうか?
(^^;
 帯曲輪からは埋門を通って天守台への入り口に到達します。

埋門跡

天守台穴蔵
 福岡城の天守台には石段がなく、付櫓から出入りしていたようです。
 現在は鉄製の階段がついていて、そこから上がります。
 まず目につくのが大きな穴蔵(地階)と礎石です。
 福岡城には天守がなかったのが通説ですが、最近は隣国を治めていた細川家の文書から、幕府に遠慮して解体した、というのが有力な説なんだそうです。
 黒田家中はトラブル続きだったので、幕府に気を遣ったんですね・・・

天守台からの眺め
(福岡ドームが見えます)

本丸への石段
 天守台を降りて本丸に向かいます。
 天守台の入り口は枡形になっていました。
 本丸からの入り口には高い石垣がそびえていました。

天守台への石段

小天守台から大天守台を見る
 本丸は公園になっていて、特に見るものがありませんでした。
 祈念櫓がありましたが、改築が激しいそうで、元の姿をあまりとどめてないそうです。

表御門跡

二の丸石垣
 福岡城内には、かつて平和台球場(西鉄ライオンズ、ダイエーホークスの本拠地)もありましたが、現在は取り壊されています。

母里太兵衛屋敷門
 左の写真は母里太兵衛の屋敷門です。
 母里といえば、「酒は飲め飲め〜」の黒田節で唄われた黒田家の重臣です。
 福島正則から名槍日本号を飲み取った逸話で知られています。

 さて、ここでちょうどいい時間になったもんで長浜ラーメンを食べに出かけた私。
 大ちょんぼです。
 大したことない城だ〜となめてかかったせいで、重要文化財の
「南の丸多聞櫓
を見逃してしまいました・・・
無念

でも長浜ラーメンはまいうーでしたよ(負け惜しみ)
to be continued・・・
2009.11.3作成
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