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![]() 復元された石垣 |
唐津東港に帰ってきました。 時刻はまだ15:00過ぎ。 近くの 唐津城 を見物してしていくことにします。 県道を進んでいくと、左手に県営住宅があります。 ここにはかつて 唐津城西ノ門 がありました。 ここから三の丸になります。 |
![]() 西の門跡 |
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![]() この辺りだったそうです。 (石垣が復元されてます) |
唐津藩では、藩主家の交代の時、旧藩の家臣達はこの門から退去する慣例だったそうです。 石垣が復元されていました。 |
![]() 藩主家交代の際は、 この門から退去したそうです。 |
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![]() 旧三の丸にあったお菓子屋さん |
県営住宅にほど近いところに、和菓子屋さんがありました。 明治時代に創業した「開花堂」というお店です。 さっそく入ってみました。 |
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![]() 名前なんだっけ? |
生菓子を二つばかり。 抹茶大福?を買ってみました。 抹茶のお餅に、あんと生クリーム、抹茶のスポンジ生地が入っていました。 和テイストがいいですね〜 |
![]() おいしいからまあいいか(笑) |
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![]() かんね餅 |
こちらは 「かんね餅」 唐津かんねさんにちなんだお餅です。 中には粒あんたっぷりの求肥餅です。 これまたおいしいです・・・ |
![]() これまたおいしい・・・ |
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![]() 二の門堀 |
さて、三の丸を抜けると 二の門堀 があります。 この堀の手前には太鼓櫓があって、城下に刻を知らせていたようです。 |
![]() この堀の内側が二の丸です。 |
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![]() 二の丸御殿跡の石垣 |
二の丸には藩の重臣達の屋敷や学問所などの藩の施設がありました。 一段高く石垣に囲まれた場所には二の丸御殿があり、藩主の生活の場となっていました。 |
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![]() 江戸時代の唐津 (鳥瞰図) |
登城口には陶板の唐津地図がありました。 江戸時代はこんな街だったんですね・・・ 唐津城が海を背にした 「後堅固」 の城だったことがよく分かります。 |
![]() 本丸への石段 |
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![]() 本丸への石段 |
唐津城の本丸は小山の上に築かれているため、長い石段を登っていきます。 エレベーターもあるようですが、有料なのでもちろんパスです(笑) |
![]() 本丸への石段 |
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![]() 模擬天守 |
唐津城に天守が築かれた記録はありませんが、天守台はあったため、昭和の時代に模擬天守が建てられました。 内部には唐津藩に関係した資料が展示されています。 |
![]() 本丸門 |
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![]() 虹の松原を望む |
唐津城は1602年に寺沢広高によって築かれました。 1595年、ここ唐津に8万石で封じられた広高は、 関ヶ原の合戦でも東軍に属し、 その功で肥後の国天草郡で4万石を加増されて12万3千石の外様大名となりました。 広高は松浦川の付け替えなどを含む大工事を行い、 廃城となった名護屋城の資材を利用し、唐津城を完成させました。 広高の子、堅高の時に唐津藩領であった天草で一揆が発生。 これがかの有名な天草・島原の乱でした。 このため寺沢家は天草領4万石を幕府に没収されます。 堅高は1647年に江戸藩邸で自害。(悩んだんだろうな・・・) 跡継ぎのなかった寺沢家は断絶します。 その後の唐津には譜代各家が6〜8万石で入り、最後は小笠原家で明治維新を迎えています。 |
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![]() 松浦川 |
模擬天守からは360度のパノラマを楽しむことができます。 東に虹の松原、 南に松浦川の流れ、 北は玄界灘の島々が見えます。 もうちょっと天気良ければなあ・・・ |
![]() 鳥島 高島 |
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![]() 唐津東港方面 |
先ほど帰ってきた唐津東港も見えます。 二本の煙突の下あたりです。 |
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![]() 二の丸御殿跡には学校が・・・ |
藩主が暮らした二の丸御殿跡には学校が建設中でした。 なんだかねえ・・・ |
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![]() 夜は豚角煮まんじゅう |
さて、急に皿うどんとカステラが食べたくなってきました。(笑) 唐津から長崎を目指します。 皿うどんの方は雨が降りそうだったので、 途中のリンガーハットで食べちゃいました・・・ 夜20:00頃に長崎市に到着。 駅前の土産物屋街でカステラを購入。 おうちで楽しむことにします。 豚角煮まんじゅう食べてみました。結構いけます。 冷凍で全国発送もやってるみたいです。 翌日は早朝出発予定だったので、この日は早めに寝ました。 |
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to be continued・・・ | |||
2009.11.21作成 | |||
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