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![]() 太平洋の夜明け |
はい、2009年も11月になりました。 南国といえどもさすがに朝晩は寒くなり、 ツーリングシーズンもそろそろ閉幕。 と言うわけで2009年を締めるべく、 宮崎カーフェリーに乗船です。 毎年11月に鹿児島に行ってる ような気がしますが、 気のせいかな?(笑) まあ、飲んだ後のお茶漬けや 締めのラーメンのようなものでして。 これがないと年が越せないのです。 (ホントかよ?) さて、航海は順調そのもの。 横転することもなく、 無事に宮崎港に入港着岸となりました。 |
![]() 同じアングルで 飽きもせず・・・ |
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![]() ギター和尚?! |
「そんなに鹿児島に行ってると行くところないんじゃない?」 よく聞かれます。 いや、まあ、 寄り道のネタは意外につきない もんですよ。 宮崎市からは国道10号線を西に走ります。 途中で国道268号線へ。 野尻町で気になる看板発見! 「ギター侍」ってのは聞いたことあるけど、 (そういえば最近見ませんね) 「ギター和尚」 ってのは初めて見ます。 琵琶法師みたいなもの? ギターで説法? 謎はつきず、妄想はふくらみます・・・ |
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![]() みごとな渓谷美 |
ギター和尚に後ろ髪を引かれつつ、 (まあ和尚は坊主で後ろ髪なんかないけど) 宮崎県は小林市を流れる 岩瀬川のほとり にやって来ました。 ここは小さいながらも見事な渓谷が広がっているのです。 |
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![]() ちゃんとお見せできないのが・・・ (陽石) |
しかしここの真の名物は、渓谷美にあらず。 「陰陽石」 なる奇岩が、この渓谷の売りになってます。 以前、お友達syunさんの日記で見て以来、 ずっと気になってたので、やって来ました。 「・・こ、これは・・?!」 いやいや、こりゃまずいっしょ〜?! 写真も、 そのままずばりを掲載出来ない のが非常に残念です(笑) モザイクなしを見たい方は、 ぜひ、 現地に飛んでください。 無修正で見ることができます。 (^^; しかし男って 「無修正」 って言葉に トキメキ ますよね・・・ |
![]() ・・・残念です。(笑) (コチラが陰石) |
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![]() 快晴の国道221号線 (えびの市) |
さて、陰陽石を堪能(笑)したので、お昼ご飯を食べに行きます。 先月、お友達どんちゃんがやたら褒めてたとあるお店にレッツラゴーです。 えびの市からループ橋を走り、熊本県は人吉市に向かいます。 |
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![]() ここです。 |
人吉市と言えば、鎌倉以来の名家である 相良氏の城下町。 (ちなみに相良氏発祥の地は静岡県相良です) あと、球磨川下りも有名ですね。 そうそう球磨焼酎(米)も忘れちゃいけません。 そんな人吉の片隅にあるお店にやって参りました。 |
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![]() 骨煎餅とうざく |
鰻重にしようかと思ったんですが、 めったに来られるところじゃないので、 うなぎ懐石を奮発しました。 次々に運ばれてくる絶品のうなぎ料理を 写真でお楽しみください・・・ |
![]() うなぎの肝焼き |
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![]() うなぎの白焼き |
いや〜思い出しただけでまた行きたくなってきました。 おいしいお店です。 ツーリングのついでにぜひどうぞ。 超有名店で、 混むときは凄く混むそうです。 |
![]() うなぎの蒲焼き |
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![]() 人吉城遠景 |
最近メタボ気味なので、ちょっと歩くことにしました。 人吉市街から球磨川を挟んだ対岸にある、 人吉城に向かいます。 源頼朝に仕えた相良長頼は、1205年に人吉荘の地頭に任じられ、 遠江国相良からこの地にやって来ました。 長頼は人吉城の基礎を築きました。 築城工事の時に三日月の模様が入った石が出土したため、 人吉城は別名 「繊月城」 「三日月城」 と呼ばれます。 (「繊月」は球磨焼酎の銘柄にもなってますよ) 人吉城は、「南九州型(群郭式とよばれる)」と呼ばれる、 シラス台地を深い空堀で分断し、 独立させた曲輪がいくつもある形式のお城です。 同タイプのお城としては、飫肥城や知覧城などがあります。 19代当主である相良義陽のころに近世城郭への改造が始まり、 22代当主頼寛のころにようやく完成しています。 余談ですが、この相良氏はいっつも隣国の島津氏の圧力にさらされている イメージがあります。 大国の隣の小国って大変ですよね・・・ |
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![]() 武者返しの石垣 |
人吉城はその後も何度か改修されています。 有名な 「武者返しの石垣」 は、幕末の頃に積まれたものです。 「武者返し」も球磨焼酎の銘柄になってますね。 |
![]() 石垣の最上部が 外側に突き出しています。 |
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![]() 人吉城解説板 |
解説板を見ていただいたら分かるとおり、 城は球磨川とその支流を外堀として、 背後の山(シラス台地)を深い空堀で遮断して守りを固める設計になっています。 また球磨川は物流にも利用され、 年貢米は球磨川で運ばれていました。 川に面して門があり、その曲輪には米蔵が建っていました。 |
![]() 川に面した門の跡 |
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![]() 紅葉が見事です。 |
終わりかけてはいましたが、 城跡は紅葉が見事でした。 |
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![]() 舟渡場の跡 |
城の東外れには、城下町との連絡に使われた渡し場の跡があります。 城の守りのために球磨川には橋が架けられず、 渡し船で行き来していたのです。 現在、川の対岸には球磨川下りの乗り場があります。 |
![]() 球磨川に面した石垣 |
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![]() 春日社跡の石垣 |
城の背後には中世以来の曲輪がそのまま残されており、神社やお寺が置かれて守りを固めていました。 | ||
![]() 地蔵院跡入口 |
その神社やお寺の入口には石垣が築かれていました。 地蔵院の入口は左に折れており、 枡形虎口の形を取っています。 地蔵院は本丸の真下にあったので、 守りを固める必要があったのでしょう。 |
![]() 枡形虎口の入口です。 |
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![]() 御下門跡 |
![]() 解説板 |
![]() 御下門内 |
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![]() 三の丸門跡 |
本丸への登城口には、 御下御門が構えられていました。 谷に枡形状の城門をむりやり押し込んだような大手門で、枡形も不完全でいびつな形です。 他にも二の丸と三の丸の間には通路がないなど、 中世以来の城を石垣化しただけという、 人吉城の性格がよく分かります。 |
![]() 二の丸門跡 |
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![]() 本丸への石段 |
本丸へは三の丸を通らず、二の丸から石段を登って本丸に到達するようになっています。 | ||
![]() 現在の本丸 |
人吉城本丸には護摩堂のみが建っていました。 宗教的な場所として使用されていたようです。 |
![]() 本丸解説板 |
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![]() 二の丸 |
一方の二の丸には御殿が建てられ、 藩主とその家族が生活する場所として利用されていました。 |
![]() 解説板 |
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![]() 三の丸への埋門 |
三の丸には神社と塩蔵、井戸があり、 石垣は築かれず、周囲に竹を植えていました。 これはシラス台地の崖の崩落を防ぐためでもあったようです。 |
![]() 三の丸から見る二の丸石垣 |
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![]() 三の丸からの人吉市街 |
お城をぷらぷら歩いていると、スーツ姿の方に話しかけられました。 なんでもリーマンライダーさんなんだそうで、 (リーマンブラザーズとは関係ありません) ライダーよしみで声をかけてくださったとのこと。 いろいろ地元情報を教えていただきました。 ありがとうございます。 この後、地元の酒屋さんで 球磨焼酎を物色。 自宅に発送したのは言うまでもありません。(笑) |
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![]() 霧島連山 |
さて、お兄さんおすすめの五木村に向かって走り出しました。 お兄さんの話では国道445号線が走りやすくって気持ちいいってことだったのですが、 現在はダム工事中らしく、足の遅いダンプが前をふさいでいて、 結構走りにくかったです(笑) でも道の駅まで足を伸ばし、五木特産の豆腐の燻製なんかを お土産にゲットいたしました。 これ結構おいしいんですよね〜 で、先を急ぐ旅でもなし。 道の駅で30分ほど昼寝して、再び人吉市街へ。 ここからは高速道を使って鹿児島へ。 照國神社近くに宿を取りました。 そのままぶらりとお散歩。 天文館公園にほど近い、奄美料理の居酒屋にて晩ご飯。 親切な女将さんと、奄美出身らしい船乗りさんのディープな奄美話を 小耳にしつつ、黒糖焼酎で乾杯しました。 焼酎一杯おまけしてもらったりしちゃいました。 ありがとうございます。 ほろ酔い気分で宿に帰って就寝したしました・・・ |
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to be continued・・・ | |||
2010.3.6作成 | |||
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