中之島さて、口之島を出港して中之島を目指すフェリーとしま。
口之島水道は波高2.5メートルはあろうかという波とうねりで大荒れの様子。
この航海で最高に揺れます。
噂に名高い七島灘を満喫します(^^;
雨が通っていきます。
うねうねと揺れます
船に弱い人は船室で横になって寝ていますが、
初めての土地に興奮気味の私は、寝ている場合ではございません。(笑)
時々船室を出ては写真を撮ります。
フランスから取材に来たという外国人3名も、
デジタルビデオカメラを回し続けてました。
雨が切れました。
中之島港岸壁ようやく中之島港に入港しました。
時折岸壁の上を波が洗っている状況で、船はぴたりと岸壁に着けます。
運転上手だなあ・・・
ここで中之島について少々・・・
面積は34,5平方キロ、周囲30キロ、人口は150人あまり。
村内最高峰である御岳(トカラ富士、標高979メートル)があります。
十島村内で、唯一支所や派出所、天文台、民俗資料館があり、
村の中心となっています。
中之島港岸壁さて、この船には健康診断に携わる医療関係者の他に、島内発電所の火気管理を点検する鹿児島県の職員や、施設点検のNTTの社員、送発電機器を点検する九州電力の社員なども乗船していまして、島に入る度に下船していくのです。
もちろん、健康診断を受診する島民も港に集まっていますので、桟橋はかなりの賑やかさになります。
下船していく人たち
荷役作業中点検作業の人たちは、島内の人のお迎えが来てますので、全員車に乗って目的地に向かいます。
観光に来ている私は徒歩です。
接岸中のフェリーとしま
距離が出ない・・・と言うわけで、ちょっと歩いたくらいでは距離が出ません。
防波堤の外は荒波が
接岸中のフェリーとしま傘を差して歩いていると、入港の手伝いに来ていたお巡りさんに声をかけられました。
そんなに怪しかったかな〜?(笑)
十島村で駐在さんがいるのは、この中之島だけなんだそうです。
戦前、村役場はこの中之島にあったそうです。
で、今はどこにあるのか?というと、
鹿児島市内にある
のです。
お隣の三島村同様、村内に役場がない珍しい地方自治体です。
当然、職員は鹿児島市内に住んでるわけで、消費税や固定資産税が村に入らない訳です。
十島村規模の自治体では、かなり深刻な問題らしいですよ。
日本の田舎だと、町一番の会社が役場であるなんてところは多いですからね。
島の道
南国らしいなあひたすら歩いていきます。
道なりに生えている植物は、やはり南国色豊か。
私の地元とは、少し感じが違います。
島の道2
汽船もまた道路なりさて、離島で暮らすとなると、重要になってくるのは交通インフラ。
しかし戦前の日本では鉄道や道路に比べ、航路の整備は著しく遅れていたようです。
そこで当時の十島村村長は、鹿児島出身の国会議員を通じて陳情を行い、当時の大蔵省の役人と折衝し、道路財源をもって航路に援助を受けることに成功しました。
これにより、金十丸が就航。
十島村の交通事情は格段に改善されました。
この功績を称え、
「汽船も亦道路なり」
の碑が中之島に建てられていました。
「海の国道」の考え方は、
すでに戦前に芽生えていたんですね・・・
案内板
南の植物中之島郵便局から友達に手紙を出しました。
なんと到着したのは5日後だったそうです。
やはり離島の暮らしは厳しいですねえ・・・
歩いていると、海岸に屋根を発見。
なにかな〜と思ってのぞき込んでみると・・・
この屋根は?
温泉のようです温泉でした(笑)
タオルを持ってきていませんでしたが、せっかくなので入っていくことにしました。
源泉が70度以上あるので、入れるまでの温度にするのに5分くらいかかりました(笑)
島の人たちの手入れが行き届いていて、とってもきれいな温泉でしたよ。
気持ちだけ、お金をおいてきました。
中之島の海岸には、この西区湯(硫黄泉)と、
東区湯(塩湯)があるそうです。
中はとってもきれいでした
このアングル格好いいでしょ?温泉入ってさっぱりしたところで船まで戻ってきました。
ちょうど健康診断が終わったところらしく、レントゲン車が船内に戻っていくところでした。
船内に戻るレントゲン車
さようなら中之島11:00過ぎ、船は中之島を後にしました。
港を出ると、さっそく船は揺れ始めます。
船に弱い人はすぐ横になって寝てしまいました。
NTTドコモのアンテナが見えます(笑)
次は平島です。私は小さくなっていく中之島をじーっと見ていました・・・ to be continued・・・ 2010.5.30作成 2010ツーレポトップへ Home